詩経 / 国風・衛風・芄蘭
《芄蘭》,刺惠公也。驕而無禮,大夫刺之。 芄蘭之支,童子佩觿。雖則佩觿,能不我知。容兮遂兮,垂帶悸兮。 芄蘭之葉,童子佩韘。雖則佩韘,能不我甲。容兮遂兮,垂帶悸兮。
新字:《芄蘭》,刺恵公也。驕而無礼,大夫刺之。 芄蘭之支,童子佩觿。雖則佩觿,能不我知。容兮遂兮,垂帯悸兮。 芄蘭之葉,童子佩韘。雖則佩韘,能不我甲。容兮遂兮,垂帯悸兮。
書き下し
芄蘭(がんらん)は、恵公を刺るなり。驕りて礼無く、大夫これを刺る。 芄蘭の支(えだ)、童子觿(けい)を佩(お)ぶ。則ち觿を佩ぶと雖も、能(すなわ)ち我を知らず。容たり遂(すい)たり、垂帯悸(き)たり。 芄蘭の葉、童子韘(しょう)を佩ぶ。則ち韘を佩ぶと雖も、能ち我に甲(な)れず。容たり遂たり、垂帯悸たり。
現代語訳
「芄蘭」の詩は、衛の恵公を風刺したものである。恵公はおごって礼をわきまえなかったので、大夫がこれを刺ったのである。 ががいもの細い枝のように、少年が大人の結び目解き(觿)を腰に下げている。腰に下げてはいても、私のことなど分かってはいない。すまして気取った足取りで、垂らした帯がゆらゆら揺れる。 ががいもの葉のように、少年が大人の弓懸(ゆがけ)を腰に下げている。腰に下げてはいても、私に親しもうとはしない。すまして気取った足取りで、垂らした帯がゆらゆら揺れる。
解説
大人の持ち物である觿(紐の結び目を解く角製の錐)や韘(弓を引くための指当て)を腰に下げ、帯を垂らして気取って歩く少年を、からかうように描いた詩である。毛詩序は、衛の恵公が驕って礼がなかったのを大夫が刺ったものとする。恵公は宣公と宣姜の子で、幼くして位についた。大人の装いだけを身につけ、中身が追いつかない若い君主の姿を、ががいもの頼りない枝葉にたとえたと読まれる。一方、朱熹は「この詩は分からない所が多い」としてあえて深く解かず、後世には恋人をからかう娘の歌と読む説もある。形だけ大人の道具を持っても、それを使いこなす知恵と人への気配りがなければ意味がない、という皮肉は、急に高い地位に就いた人への警告として今も通じる。
この章句が説くこと
詩経風刺衛若君装い
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