詩経 / 国風・衛風・竹竿
《竹竿》,衛女思歸也。適異國而不見答,思而能以禮者也。 籊籊竹竿,以釣于淇。豈不爾思?遠莫致之。 泉源在左,淇水在右。女子有行,遠兄弟父母。 淇水在右,泉源在左。巧笑之瑳,佩玉之儺。 淇水滺滺,檜楫松舟。駕言出遊,以寫我憂。
新字:《竹竿》,衛女思帰也。適異国而不見答,思而能以礼者也。 籊籊竹竿,以釣于淇。豈不爾思?遠莫致之。 泉源在左,淇水在右。女子有行,遠兄弟父母。 淇水在右,泉源在左。巧笑之瑳,佩玉之儺。 淇水滺滺,檜楫松舟。駕言出遊,以写我憂。
書き下し
竹竿は、衛女帰らんことを思うなり。異国に適(ゆ)きて答えられず、思いて能く礼を以てする者なり。 籊籊(てきてき)たる竹竿、以て淇に釣る。豈(あに)爾(なんじ)を思わざらんや、遠くして之を致す莫し。 泉源は左に在り、淇水は右に在り。女子行くこと有り、兄弟父母に遠ざかる。 淇水は右に在り、泉源は左に在り。巧笑の瑳(さ)たる、佩玉(はいぎょく)の儺(だ)たる。 淇水滺滺(ゆうゆう)たり、檜(かい)の楫(かじ)松の舟。駕して言(ここ)に出遊し、以て我が憂いを写(のぞ)かん。
現代語訳
「竹竿」の詩は、他国に嫁いだ衛の女性が故郷に帰りたいと思ったものである。異国に嫁いで夫に顧みられず、故郷を思いながらも、礼をわきまえてそれを抑えることのできた人であった。 すらりと長い竹竿で、かつて淇水で釣りをした。あなた(故郷)を思わないことがあろうか、ただ遠すぎて行き着くすべがないのだ。 泉水の流れは左にあり、淇水は右にある。娘は嫁いでゆくもの、兄弟や父母のもとを遠く離れてしまった。 淇水は右にあり、泉水の流れは左にある。あの頃は白い歯を見せてあでやかに笑い、帯の玉飾りを鳴らしてしなやかに歩いたものだった。 淇水はゆったりと流れ、檜(ひのき)の櫂(かい)に松の舟が浮かぶ。車を仕立てて出かけてゆき、胸にたまった憂いを晴らしたいものだ。
解説
この章句が説くこと
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