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詩経 / 国風・鄘風・定之方中

《定之方中》,美衛文公也。衛為狄所滅,東徙渡河,野處漕邑。齊桓公攘戎狄而封之。文公徙居楚丘,始建城市而營宮室,得其時制,百姓說之,國家殷富焉。 定之方中,作于楚宮。揆之以日,作于楚室。樹之榛栗,椅桐梓漆,爰伐琴瑟。 升彼虛矣,以望楚矣。望楚與堂,景山與京,降觀于桑。卜云其吉,終然允臧。 靈雨既零,命彼倌人。星言夙駕,說于桑田。匪直也人,秉心塞淵,騋牝三千。

新字:《定之方中》,美衛文公也。衛為狄所滅,東徙渡河,野処漕邑。斉桓公攘戎狄而封之。文公徙居楚丘,始建城市而営宮室,得其時制,百姓説之,国家殷富焉。 定之方中,作于楚宮。揆之以日,作于楚室。樹之榛栗,椅桐梓漆,爰伐琴瑟。 升彼虚矣,以望楚矣。望楚与堂,景山与京,降観于桑。卜云其吉,終然允臧。 霊雨既零,命彼倌人。星言夙駕,説于桑田。匪直也人,秉心塞淵,騋牝三千。

書き下し

定之方中は、衛の文公を美(ほ)むるなり。衛は狄(てき)の滅ぼす所と為り、東に徙(うつ)りて河を渡り、漕邑(そうゆう)に野処す。斉の桓公戎狄を攘(はら)いてこれを封ず。文公徙りて楚丘(そきゅう)に居り、始めて城市を建てて宮室を営み、其の時制を得たり。百姓これを説(よろこ)び、国家殷富(いんぷ)なり。 定(てい)の方(まさ)に中するとき、楚宮を作る。これを揆(はか)るに日を以てし、楚室を作る。これに榛(はしばみ)・栗を樹(う)え、椅(い)・桐・梓(し)・漆あり、爰(ここ)に伐りて琴瑟とせん。 彼の虚(きょ)に升(のぼ)り、以て楚を望む。楚と堂とを望み、景山と京とあり、降りて桑を観る。卜するに其れ吉なりと云い、終に然して允(まこと)に臧(よ)し。 霊雨既に零(ふ)り、彼の倌人(かんじん)に命ず。星にして言(ここ)に夙(つと)に駕し、桑田に説(やど)る。匪(た)だ直(ただ)に人のみならず、心を秉(と)ること塞淵(そくえん)にして、騋牝(らいひん)三千なり。

現代語訳

「定之方中」の詩は、衛の文公をたたえたものである。衛は狄(北方の異民族)に滅ぼされ、人々は東へ移って黄河を渡り、漕(そう)の町で野宿同然に暮らしていた。斉の桓公が戎狄を打ち払って衛を再び封じると、文公は楚丘(そきゅう)に移り住み、はじめて城と町を築いて宮殿を造営した。それが時節と制度にかなっていたので、民はこれを喜び、国は豊かに栄えたのである。 定の星が夕暮れの空の真南にかかる頃、楚丘に宮殿を建てた。日時計の影で方角を測り、楚丘に御殿を建てた。まわりに榛(はしばみ)や栗を植え、椅(いいぎり)・桐・梓(あずさ)・漆も植えた、いずれ伐って琴や瑟を作るために。 あの古い城跡に登って、楚丘の地を見渡した。楚丘と堂邑を見渡し、景山と高い丘を見定め、降りて桑畑の様子を見た。亀の甲で占うと吉と出て、果たしてまことに良い地であった。 恵みの雨が降り止むと、御者に命じた。星の残るうちから早々と馬車を支度させ、桑畑に出向いて休みつつ農事を励ました。この方はただ人柄が正しいだけではない、心の持ち方が誠実で奥深く、ついには立派な馬が三千頭にもなった。

解説

新しい都を築き、木を植え、土地を見定め、雨の後には早朝から桑畑へ出向く君主の姿を歌う詩である。毛詩序はこれを衛の文公をたたえたものとする。『左伝』閔公二年によれば、衛の懿公は鶴を好んで民心を失い、狄に攻められて戦死し、衛の遺民はわずか数百人で黄河を渡って漕に仮住まいした。その後、斉の桓公の助けで楚丘に国を再建したのが文公である。定の星が南中する初冬は、農事が終わって土木工事を起こす時期とされ、「時制を得たり」とはそのことを言う。琴瑟を作る木まで植えるという一句に、今だけでなく数十年先の礼楽の世を見据えた国づくりが表れる。滅亡の淵から、民の暮らしと先の世を同時に考えて国を立て直した指導者の姿は、再建を担う人に今も多くを語りかける。

この章句が説くこと

詩経衛文公再建国づくり

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