詩経 / 国風・邶風・二子乗舟
《二子乘舟》,思伋、壽也。衛宣公之二子爭相為死,國人傷而思之,作是詩也。 二子乘舟,汎汎其景。願言思子,中心養養。 二子乘舟,汎汎其逝。願言思子,不瑕有害。
新字:《二子乗舟》,思伋、寿也。衛宣公之二子争相為死,国人傷而思之,作是詩也。 二子乗舟,汎汎其景。願言思子,中心養養。 二子乗舟,汎汎其逝。願言思子,不瑕有害。
書き下し
二子乗舟は、伋(きゅう)・寿(じゅ)を思うなり。衛の宣公の二子、争いて相為(ため)に死す。国人傷みてこれを思い、是の詩を作るなり。 二子舟に乗り、汎汎(はんはん)として其れ景(ゆ)く。願(ここ)に言(われ)子を思い、中心養養(ようよう)たり。 二子舟に乗り、汎汎として其れ逝く。願に言子を思う、瑕(なん)ぞ害有らざらんや。
現代語訳
「二子乗舟」の詩は、伋(きゅう)と寿(じゅ)の二人を偲んだものである。衛の宣公の二人の息子は、互いに相手に代わって死のうと争い、ともに命を落とした。国の人々はこれを痛み悲しんで偲び、この詩を作ったのである。 二人の若君が舟に乗り、ゆらゆらと遠ざかってゆく。しきりに君たちのことを思えば、胸の内は揺れ動いて落ち着かない。 二人の若君が舟に乗り、ゆらゆらと去ってゆく。しきりに君たちのことを思う、どうか災いにあわずにいてほしいものだが。
解説
舟に乗って去ってゆく二人の若者を見送り、その身を案じる短い詩である。毛詩序は、衛の宣公の子の伋と寿を偲んだ歌とする。『左伝』桓公十六年によれば、宣公と宣姜は太子伋を除こうとして、国境で盗賊に殺させる計略を立てた。宣姜の子である寿はこれを伋に告げて逃げるよう勧めたが、伋は父の命に背けないと聞き入れない。そこで寿は伋の旗を掲げて先に出発し身代わりに殺され、後から来た伋も自ら名乗って殺された。詩そのものには事件の細部は歌われず、ただ遠ざかる舟と、無事を祈る胸の揺れだけがある。その余白が、かえって見送る者の不安を深くする。前の「新台」と並べると、君主の乱れた欲が、次の世代の若者の命にまで及んでいった衛の悲劇の流れが見えてくる。
この章句が説くこと
詩経衛兄弟別れ左伝
関連する章句
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