詩経 / 国風・邶風・緑衣
《綠衣》,衛莊姜傷己也。妾上僭,夫人失位而作是詩也。 綠兮衣兮,綠衣黃裏。心之憂矣,曷維其已。 綠兮衣兮,綠衣黃裳。心之憂矣,曷維其亡。 綠兮絲兮,女所治兮。我思古人,俾無訧兮。 絺兮綌兮,淒其以風。我思古人,實獲我心。
新字:《緑衣》,衛荘姜傷己也。妾上僭,夫人失位而作是詩也。 緑兮衣兮,緑衣黄裏。心之憂矣,曷維其已。 緑兮衣兮,緑衣黄裳。心之憂矣,曷維其亡。 緑兮糸兮,女所治兮。我思古人,俾無訧兮。 絺兮綌兮,淒其以風。我思古人,実獲我心。
書き下し
緑衣(りょくい)は、衛の荘姜(そうきょう)、己を傷むなり。妾上僭(じょうせん)し、夫人位を失いて是の詩を作るなり。 緑なるかな衣なるかな、緑の衣に黄の裏。心の憂い、曷(いつ)か維れ其れ已(や)まん。 緑なるかな衣なるかな、緑の衣に黄の裳(もすそ)。心の憂い、曷か維れ其れ亡(わす)れん。 緑なるかな糸なるかな、女(なんじ)の治(おさ)めし所なり。我古人を思う、我をして訧(とが)無からしむ。 絺(ち)なるかな綌(げき)なるかな、淒(せい)として其れ以て風ふく。我古人を思う、実に我が心を獲(え)たり。
現代語訳
「緑衣」の詩は、衛の荘姜(衛の荘公の夫人)が自分の身の上を悲しんだものである。妾が身分を越えて上に立ち、夫人がその地位を失ったので、この詩を作った。 緑よ、衣よ、緑の上着に黄色の裏地。心の憂いは、いつになったら止むのだろう。 緑よ、衣よ、緑の上着に黄色の裳。心の憂いは、いつになったら忘れられるのだろう。 緑よ、糸よ、それはあなたが手ずから整えたもの。わたしは古の人を思い、過ちのないよう身を保つ。 細い葛布よ、粗い葛布よ、ひんやりと風が吹き抜ける。わたしは古の人を思う、まことにわたしの心をわかってくれる。
解説
緑の上着に黄色の裏地、黄色の裳という衣の取り合わせを歌いながら、心の憂いが止まないことを嘆く詩である。古代の色の考え方では、黄は正しい色、緑は混じった間の色とされた。毛詩序と毛伝は、本来内に置かれるべき緑が表に、表にあるべき黄が裏に回っていることを、妾が上に立ち、正夫人である荘姜が地位を失った姿の比喩と読んだ。荘姜は衛の荘公の夫人で、美しかったが子がなかったと『左伝』隠公三年に記されている。朱熹『詩集伝』も荘姜の作とする説に従い、第三章以下を、古人を思って自らを慰める言葉と読んだ。近代には、亡き妻の縫った衣を見て妻を偲ぶ夫の歌とする解釈も出ている。季節外れの薄い葛布が秋風に冷えるさまに、居場所を失った人の心細さがにじむ。何に読むにせよ、身近な衣一枚に深い喪失を託す表現の力が光る一篇である。
この章句が説くこと
詩経衛荘姜憂い邶風
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