詩経 / 国風・周南・桃夭
《桃夭》,后妃之所致也。不妒忌,則男女以正,婚姻以時,國無鰥民也。 桃之夭夭,灼灼其華。之子于歸,宜其室家。 桃之夭夭,有蕡其實。之子于歸,宜其家室。 桃之夭夭,其葉蓁蓁。之子于歸,宜其家人。
新字:《桃夭》,后妃之所致也。不妬忌,則男女以正,婚姻以時,国無鰥民也。 桃之夭夭,灼灼其華。之子于帰,宜其室家。 桃之夭夭,有蕡其実。之子于帰,宜其家室。 桃之夭夭,其葉蓁蓁。之子于帰,宜其家人。
書き下し
桃夭(とうよう)は、后妃の致す所なり。妒忌(とき)せざれば、則ち男女以て正しく、婚姻以て時あり、国に鰥民(かんみん)無きなり。 桃の夭夭(ようよう)たる、灼灼(しゃくしゃく)たる其の華。之(こ)の子于(ゆ)き帰(とつ)ぐ、其の室家(しっか)に宜しからん。 桃の夭夭たる、蕡(ふん)たる有り其の実。之の子于き帰ぐ、其の家室に宜しからん。 桃の夭夭たる、其の葉蓁蓁(しんしん)たり。之の子于き帰ぐ、其の家人に宜しからん。
現代語訳
「桃夭」の詩は、后妃の徳がもたらしたものを歌ったものである。后妃が嫉妬しなければ、男女の関係は正しく、結婚はふさわしい時期に行われ、国に妻のない男がいなくなる。 若々しい桃の木に、燃えるように咲く花。この娘がお嫁に行く、その家庭にきっとよくなじむだろう。 若々しい桃の木に、ふっくらと実がなる。この娘がお嫁に行く、その家庭にきっとよくなじむだろう。 若々しい桃の木に、葉が青々と茂る。この娘がお嫁に行く、その家の人々ときっと和やかに暮らすだろう。
解説
若い桃の木の花、実、葉を順に歌いながら、嫁いでいく娘を祝福する婚礼の歌である。花から実へ、実から茂る葉へと移る流れは、娘が妻となり母となり、一家を繁らせていく未来を重ねているとも読める。毛詩序は、后妃が嫉妬しないので男女の仲が正しく保たれ、婚姻が時にかない、国に独り身の男がいなくなったと、ここでも后妃の徳の感化として読んだ。詩そのものは、明るく華やかな嫁入りの祝い歌である。『大学』は第三章を引き、「其の家人に宜しくして、而る後に以て国人を教うべし」と、家を斉えることが国を治めることの本であると説いた。「桃の夭夭たる、灼灼たる其の華」は古来、若い花嫁や春の華やぎを表す名句として親しまれてきた。新しい家族に「宜しからん」と願う言葉は、祝いの席の心として今も変わらない。
この章句が説くこと
詩経婚礼桃祝福大学
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