詩経 / 国風・周南・樛木
《樛木》,后妃逮下也,言能逮下而無嫉妬之心焉。 南有樛木,葛藟纍之。樂只君子,福履綏之。 南有樛木,葛藟荒之。樂只君子,福履將之。 南有樛木,葛藟縈之。樂只君子,福履成之。
新字:《樛木》,后妃逮下也,言能逮下而無嫉妬之心焉。 南有樛木,葛藟纍之。楽只君子,福履綏之。 南有樛木,葛藟荒之。楽只君子,福履将之。 南有樛木,葛藟縈之。楽只君子,福履成之。
書き下し
樛木(きゅうぼく)は、后妃の下に逮(およ)ぶなり。能く下に逮びて嫉妬の心無きを言うなり。 南に樛木有り、葛藟(かつるい)これに纍(まと)う。楽しき只(かな)君子、福履(ふくり)これを綏(やす)んず。 南に樛木有り、葛藟これを荒(おお)う。楽しき只君子、福履これを将(たす)く。 南に樛木有り、葛藟これを縈(めぐ)る。楽しき只君子、福履これを成す。
現代語訳
「樛木」の詩は、后妃の恵みが下の者にまで及ぶことを歌ったものである。后妃がよく目下の者に心を配り、嫉妬する心がないことをいう。 南の地に枝の垂れ下がった木があり、葛やかずらがそれにからみつく。楽しげな君子よ、幸いがその身を安らかにする。 南の地に枝の垂れ下がった木があり、葛やかずらがそれを覆いつくす。楽しげな君子よ、幸いがその身を助け大きくする。 南の地に枝の垂れ下がった木があり、葛やかずらがそれをめぐり巻く。楽しげな君子よ、幸いがその身に満ち満ちる。
解説
枝の垂れた大木に葛がからみつく姿を歌い起こし、君子に福が寄り添い、重なり、満ちていくさまを三度くり返して祝う短い頌歌である。毛詩序は、大木を后妃、からみつく葛を身分の低い妾たちにたとえ、后妃が嫉妬せず下の者を受け入れるから、皆がすがりつくことができるのだと読んだ。朱熹『詩集伝』も、后妃の徳を慕う妾たちがこれをたたえる詩とし、「君子」は妾たちから后妃を指した語だと解している。一方、詩そのものは、婚礼や宴の席で主人の幸いを祝う歌として素直に響く。「纍・荒・縈」「綏・将・成」と一字ずつ替えながら重ねていく形は、国風に多い章ごとのくり返しの典型で、歌われるほどに祝福が深まっていく。頼りにされる者が、それを疎まずに受け止める。そこに人が集まり、福も集まるという発想が、この短い詩に込められている。
この章句が説くこと
詩経祝福后妃福興
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