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史記 / 太史公自序

諸侯畔項王,唯齊連子羽城陽,漢得以閒遂入彭城。作田儋列傳第三十四。攻城野戰,獲功歸報,噲、商有力焉,非獨鞭策,又與之脫難。作樊酈列傳第三十五。漢既初定,文理未明,蒼為主計,整齊度量,序律歷。作張丞相列傳第三十六。結言通使,約懷諸侯;諸侯咸親,歸漢為藩輔。作酈生陸賈列傳第三十七。欲詳知秦楚之事,維周緤常從高祖,平定諸侯。作傅靳蒯成列傳第三十八。徙彊族,都關中,和約匈奴;明朝廷禮,次宗廟儀法。作劉敬叔孫通列傳第三十九。能摧剛作柔,卒為列臣;欒公不劫於埶而倍死。作季布欒布列傳第四十。敢犯顏色以達主義,不顧其身,為國家樹長畫。作袁盎晁錯列傳第四十一。守法不失大理,言古賢人,增主之明。作張釋之馮唐列傳第四十二。敦厚慈孝,訥於言,敏於行,務在鞠躬,君子長者。作萬石張叔列傳第四十三。守節切直,義足以言廉,行足以厲賢,任重權不可以非理撓。作田叔列傳第四十四。扁鵲言醫,為方者宗,守數精明;後世循序,弗能易也,而倉公可謂近之矣。作扁鵲倉公列傳第四十五。維仲之省,厥濞王吳,遭漢初定,以填撫江淮之閒。作吳王濞列傳第四十六。

新字:諸侯畔項王,唯斉連子羽城陽,漢得以閒遂入彭城。作田儋列伝第三十四。攻城野戦,獲功帰報,噲、商有力焉,非独鞭策,又与之脱難。作樊酈列伝第三十五。漢既初定,文理未明,蒼為主計,整斉度量,序律歴。作張丞相列伝第三十六。結言通使,約懐諸侯;諸侯咸親,帰漢為藩輔。作酈生陸賈列伝第三十七。欲詳知秦楚之事,維周緤常従高祖,平定諸侯。作傅靳蒯成列伝第三十八。徙彊族,都関中,和約匈奴;明朝廷礼,次宗廟儀法。作劉敬叔孫通列伝第三十九。能摧剛作柔,卒為列臣;欒公不劫於埶而倍死。作季布欒布列伝第四十。敢犯顔色以達主義,不顧其身,為国家樹長画。作袁盎晁錯列伝第四十一。守法不失大理,言古賢人,增主之明。作張釈之馮唐列伝第四十二。敦厚慈孝,訥於言,敏於行,務在鞠躬,君子長者。作万石張叔列伝第四十三。守節切直,義足以言廉,行足以厲賢,任重権不可以非理撓。作田叔列伝第四十四。扁鵲言医,為方者宗,守数精明;後世循序,弗能易也,而倉公可謂近之矣。作扁鵲倉公列伝第四十五。維仲之省,厥濞王呉,遭漢初定,以填撫江淮之閒。作呉王濞列伝第四十六。

書き下し

諸侯項王に畔くに、唯だ斉のみ子羽を城陽に連ね、漢以て間を得て遂に彭城に入る。田儋列伝第三十四を作る。城を攻め野に戦ひ、功を獲て帰報するに、噲・商力有り。独り鞭策するのみに非ず、又之と難を脱す。樊酈列伝第三十五を作る。漢既に初めて定まるも、文理未だ明らかならず。蒼主計と為り、度量を整斉し、律暦を序す。張丞相列伝第三十六を作る。言を結び使ひを通じ、諸侯を約懐す。諸侯咸親しみ、漢に帰して藩輔と為る。酈生陸賈列伝第三十七を作る。詳らかに秦楚の事を知らんと欲せば、維れ周緤常に高祖に従ひ、諸侯を平定す。傅靳蒯成列伝第三十八を作る。彊族を徙し、関中に都し、匈奴と和約し、朝廷の礼を明らかにし、宗廟の儀法を次す。劉敬叔孫通列伝第三十九を作る。能く剛を摧きて柔と作し、卒に列臣と為る。欒公は埶に劫かされずして死に倍(そむ)く。季布欒布列伝第四十を作る。敢へて顔色を犯して以て主の義に達し、其の身を顧みず、国家の為に長き画を樹つ。袁盎晁錯列伝第四十一を作る。法を守りて大理を失はず、古の賢人を言ひ、主の明を増す。張釈之馮唐列伝第四十二を作る。敦厚慈孝にして、言に訥く、行ひに敏く、務めは鞠躬に在り。君子長者なり。万石張叔列伝第四十三を作る。節を守りて切直、義は以て廉と言ふに足り、行ひは以て賢を厲ますに足り、重きに任じて権は非理を以て撓む可からず。田叔列伝第四十四を作る。扁鵲医を言ひ、方を為す者の宗と為り、数を守りて精明なり。後世序に循ひ、易ふる能はざるなり。而して倉公は之に近しと謂ふ可し。扁鵲倉公列伝第四十五を作る。維れ仲の省かるるや、厥の濞は呉に王たり。漢の初めて定まるに遭ひ、以て江淮の間を填撫す。呉王濞列伝第四十六を作る。

現代語訳

諸侯が項王に背いたとき、ただ斉だけが子羽(項羽)を城陽に引きつけたので、漢はその隙を得てついに彭城に入った。そこで田儋列伝第三十四を作った。城を攻め野で戦い、手柄を立てて帰って報告するのに、樊噲・酈商は力があった。ただ馬を鞭打って走らせただけでなく、主君とともに危難を切り抜けた。そこで樊酈列伝第三十五を作った。漢は天下を平定したばかりで、制度はまだ明らかでなかった。張蒼は会計の長官となり、度量衡を整え、音律と暦を順序立てた。そこで張丞相列伝第三十六を作った。言葉を交わして使者を通じ、諸侯と約束を結んでなつかせた。諸侯はみな親しみ、漢に帰順して守りとなった。そこで酈生陸賈列伝第三十七を作った。秦・楚の間の出来事を詳しく知りたければ、周緤がいつも高祖に従って諸侯を平定したことを見るとよい。そこで傅靳蒯成列伝第三十八を作った。有力な豪族を移住させ、関中に都を置き、匈奴と和親の約を結び、朝廷の礼を明らかにし、宗廟の儀式の作法を整えた。そこで劉敬叔孫通列伝第三十九を作った。剛直さをくじいて柔軟になり、ついに重臣の列に加わった。欒布は権勢に脅かされず、死を恐れずに(彭越への)義を貫いた。そこで季布欒布列伝第四十を作った。あえて主君の顔色に逆らって正しい道を通し、わが身を顧みず、国家のために長期の計画を立てた。そこで袁盎晁錯列伝第四十一を作った。法を守って大きな道理を失わず、古の賢人について語り、主君の明察を増した。そこで張釈之馮唐列伝第四十二を作った。手厚く慈しみ深く孝行で、口は重いが行いは素早く、務めはひたすら身を慎んで恭しくすることにあった。君子であり長者である。そこで万石張叔列伝第四十三を作った。節操を守って切実で率直、その義は清廉と言うに足り、その行いは賢者を励ますに足り、重任を負っても権力によって道理に外れて曲げられることがなかった。そこで田叔列伝第四十四を作った。扁鵲は医術を説き、処方を行う者の祖となり、医術の法則を守って精密で明らかであった。後世はその順序に従い、変えることができない。倉公(淳于意)はそれに近いと言える。そこで扁鵲倉公列伝第四十五を作った。仲(劉喜)が王位を廃されると、その子の劉濞が呉王となった。漢が天下を定めたばかりのときにあたり、長江と淮水の間を鎮め安んじた。そこで呉王濞列伝第四十六を作った。

解説

列伝の篇目解説の続きで、漢初の功臣や名臣の列伝です。樊噲と酈商は戦場で主君とともに危難を脱し、張蒼は度量衡と暦を整え、酈食其と陸賈は言葉で諸侯をなつかせ、叔孫通は朝廷の礼を定めました。武の功と文の功がそれぞれ位置づけられています。季布は剛直さを抑えて柔軟になり、欒布は権勢を恐れずに義を貫き、袁盎と晁錯は主君の顔色に逆らって国家の長期の計を立て、張釈之は法を守りつつ大きな道理を失わなかった。万石君の一族は口数は少なく行いは素早いとされます。一つ一つの評が、臣下としてのあり方の見本になっています。扁鵲や倉公といった医者までが列伝に入っているのは、技術によって世に貢献した人も等しく記録するという司馬遷の姿勢の表れです。国を支えるのは、戦う人、仕組みを整える人、言葉で人をつなぐ人、技術で人を救う人と、実にさまざまな働きなのです。

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