呻吟語 / 内篇・存心・君子は理を畏るること法を畏るるより甚だし
得罪於法,尚可逃避;得罪於理,更沒處存身。只我底心,便放不過我。是故君子畏理甚於畏法。
新字:得罪於法,尚可逃避;得罪於理,更没処存身。只我底心,便放不過我。是故君子畏理甚於畏法。
書き下し
法に罪を得るは、尚ほ逃避す可し。理に罪を得るは、更に身を存する處無し。只だ我が底の心、便ち我を放し過ごさず。是の故に君子は理を畏るること法を畏るるより甚だし。
現代語訳
法に対して罪を犯したなら、まだ逃げ隠れができます。道理に対して罪を犯したなら、身を置く場所がどこにもありません。ただ自分の心が、自分を見逃してくれないからです。ですから君子は、法を恐れるよりも道理を恐れることのほうが甚だしいのです。
解説
法と道理の違いが、逃げ場の有無で示されます。法からは逃げられるが、道理からは逃げられない。理由は外にはなく、自分の心が自分を見逃さないからだ、と。取り締まる者がいないのに逃げられないという構造が、法より厳しい理由になっています。見つからなければよいという発想を、監視の強化ではなく逃げ場の無さで断ち切る一段です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
法理逃避自責畏れ
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