国語 / 魯語上
莒太子僕弒紀公,以其寶來奔。宣公使僕人以書命季文子曰:「夫莒太子不憚以吾故殺其君,而以其寶來,其愛我甚矣。為我予之邑。今日必授,無逆命矣。」里革遇之而更其書曰:「夫莒太子殺其君而竊其寶來,不識窮固又求自邇,為我流之於夷。今日必通,無逆命矣。」明日,有司復命,公詰之,僕人以里革對。公執之,曰:「違君命者,女亦聞之乎?」對曰:「臣以死奮筆,奚啻其聞之也!臣聞之曰:『毀則者為賊,掩賊者為藏,竊寶者為宄,用宄之財者為姦』,使君為藏姦者,不可不去也。臣違君命者,亦不可不殺也。」公曰:「寡人實貪,非子之罪。」乃舍之。
新字:莒太子僕弒紀公,以其宝来奔。宣公使僕人以書命季文子曰:「夫莒太子不憚以吾故殺其君,而以其宝来,其愛我甚矣。為我予之邑。今日必授,無逆命矣。」里革遇之而更其書曰:「夫莒太子殺其君而窃其宝来,不識窮固又求自邇,為我流之於夷。今日必通,無逆命矣。」明日,有司復命,公詰之,僕人以里革対。公執之,曰:「違君命者,女亦聞之乎?」対曰:「臣以死奮筆,奚啻其聞之也!臣聞之曰:『毀則者為賊,掩賊者為蔵,窃宝者為宄,用宄之財者為姦』,使君為蔵姦者,不可不去也。臣違君命者,亦不可不殺也。」公曰:「寡人実貪,非子之罪。」乃舎之。
書き下し
莒(きょ)の太子僕(ぼく)、紀公を弑(しい)し、其の宝を以て来奔す。宣公、僕人をして書を以て季文子(きぶんし)に命ぜしめて曰く、「夫れ莒の太子は吾が故を以て其の君を殺すを憚らず、而して其の宝を以て来たる。其の我を愛すること甚だし。我が為に之に邑を予えよ。今日必ず授けよ。命に逆らうこと無かれ」と。里革(りかく)之に遇いて其の書を更(あらた)めて曰く、「夫れ莒の太子は其の君を殺して其の宝を竊みて来たる。窮固(きゅうこ)を識らずして又た自ら邇(ちか)づかんことを求む。我が為に之を夷に流せ。今日必ず通ぜよ。命に逆らうこと無かれ」と。明日、有司復命す。公之を詰(なじ)る。僕人、里革を以て対う。公之を執えて曰く、「君命に違う者は、女(なんじ)も亦た之を聞けるか」と。対えて曰く、「臣、死を以て筆を奮えり。奚(なん)ぞ啻(ただ)に其れ之を聞くのみならんや。臣之を聞けり、曰く、『則を毀つ者を賊と為し、賊を掩(おお)う者を蔵と為し、宝を竊む者を宄(き)と為し、宄の財を用うる者を姦と為す』と。君をして蔵姦(ぞうかん)の者と為さしむるは、去らざるべからざるなり。臣の君命に違う者も、亦た殺さざるべからざるなり」と。公曰く、「寡人実に貪れり。子の罪に非ず」と。乃ち之を舎(ゆる)す。
現代語訳
莒(山東の小国)の太子僕が父の紀公を殺し、国の宝物を持って魯に亡命してきた。魯の宣公は側近の僕人に書き付けを持たせて、季文子(魯の執政)にこう命じた。「莒の太子は、わしのためを思って自分の君を殺すこともはばからず、しかも宝物を持ってやって来た。わしを慕うことがまことに深い。わしのためにこの者に領地を与えよ。今日のうちに必ず授けよ。命令に背いてはならぬ」。ところが里革(魯の太史)が途中でこの使いに出会い、書き付けを書き換えてこう記した。「莒の太子は自分の君を殺し、その宝物を盗んでやって来た。追いつめられた身であることもわきまえず、そのうえこちらに近づこうとしている。わしのためにこの者を夷狄の地へ追放せよ。今日のうちに必ず済ませよ。命令に背いてはならぬ」。翌日、役人が命を果たしたと報告した。宣公がこれを問い詰めると、僕人は里革のしわざだと答えた。宣公は里革を捕らえて言った。「君命に背く者がどうなるか、お前も聞いたことがあろう」。里革は答えた。「私は死を覚悟して筆をふるったのです。聞いたことがあるどころではありません。私はこう聞いております。『法をこわす者を賊といい、賊をかくまう者を蔵といい、宝を盗む者を宄といい、盗んだ財を用いる者を姦という』。わが君を、賊をかくまい盗品を用いる者にしてしまうわけにはいかず、あの者は追い払わねばなりませんでした。そして君命に背いた私もまた、殺されねばなりません」。宣公は言った。「わしが本当に欲に目がくらんだのだ。そなたの罪ではない」。そして里革を許した。
解説
この章句が説くこと
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