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史記 / 太史公自序

吳楚為亂,宗屬唯嬰賢而喜士,士鄉之,率師抗山東滎陽。作魏其武安列傳第四十七。智足以應近世之變,寬足用得人。作韓長孺列傳第四十八。勇於當敵,仁愛士卒,號令不煩,師徒鄉之。作李將軍列傳第四十九。自三代以來,匈奴常為中國患害;欲知彊弱之時,設備征討,作匈奴列傳第五十。直曲塞,廣河南,破祁連,通西國,靡北胡。作衛將軍驃騎列傳第五十一。大臣宗室以侈靡相高,唯弘用節衣食為百吏先。作平津侯列傳第五十二。漢既平中國,而佗能集楊越以保南藩,納貢職。作南越列傳第五十三。吳之叛逆,甌人斬濞,葆守封禺為臣。作東越列傳第五十四。燕丹散亂遼閒,滿收其亡民,厥聚海東,以集真藩,葆塞為外臣。作朝鮮列傳第五十五。唐蒙使略通夜郎,而邛笮之君請為內臣受吏。作西南夷列傳第五十六。子虛之事,大人賦說,靡麗多誇,然其指風諫,歸於無為。作司馬相如列傳第五十七。黥布叛逆,子長國之,以填江淮之南,安剽楚庶民。作淮南衡山列傳第五十八。奉法循理之吏,不伐功矜能,百姓無稱,亦無過行。作循吏列傳第五十九。正衣冠立於朝廷,而群臣莫敢言浮說,長孺矜焉;好薦人,稱長者,壯有溉。

新字:呉楚為乱,宗属唯嬰賢而喜士,士郷之,率師抗山東滎陽。作魏其武安列伝第四十七。智足以応近世之変,寛足用得人。作韓長孺列伝第四十八。勇於当敵,仁愛士卒,号令不煩,師徒郷之。作李将軍列伝第四十九。自三代以来,匈奴常為中国患害;欲知彊弱之時,設備征討,作匈奴列伝第五十。直曲塞,広河南,破祁連,通西国,靡北胡。作衛将軍驃騎列伝第五十一。大臣宗室以侈靡相高,唯弘用節衣食為百吏先。作平津侯列伝第五十二。漢既平中国,而佗能集楊越以保南藩,納貢職。作南越列伝第五十三。呉之叛逆,甌人斬濞,葆守封禺為臣。作東越列伝第五十四。燕丹散乱遼閒,満収其亡民,厥聚海東,以集真藩,葆塞為外臣。作朝鮮列伝第五十五。唐蒙使略通夜郎,而邛笮之君請為内臣受吏。作西南夷列伝第五十六。子虚之事,大人賦説,靡麗多誇,然其指風諫,帰於無為。作司馬相如列伝第五十七。黥布叛逆,子長国之,以填江淮之南,安剽楚庶民。作淮南衡山列伝第五十八。奉法循理之吏,不伐功矜能,百姓無称,亦無過行。作循吏列伝第五十九。正衣冠立於朝廷,而群臣莫敢言浮説,長孺矜焉;好薦人,称長者,壮有溉。

書き下し

呉楚乱を為すに、宗属唯だ嬰のみ賢にして士を喜び、士之に郷ひ、師を率ゐて山東に抗して滎陽にあり。魏其武安列伝第四十七を作る。智は以て近世の変に応ずるに足り、寛は用て人を得るに足る。韓長孺列伝第四十八を作る。敵に当たるに勇にして、士卒を仁愛し、号令煩はしからず、師徒之に郷ふ。李将軍列伝第四十九を作る。三代より以来、匈奴常に中国の患害と為る。彊弱の時を知り、備へを設け征討せんと欲し、匈奴列伝第五十を作る。曲塞を直くし、河南を広め、祁連を破り、西国に通じ、北胡を靡す。衛将軍驃騎列伝第五十一を作る。大臣宗室は侈靡を以て相高ぶ。唯だ弘のみ衣食を節するを用て百吏の先と為る。平津侯列伝第五十二を作る。漢既に中国を平らぐ。而して佗は能く楊越を集めて以て南藩を保ち、貢職を納る。南越列伝第五十三を作る。呉の叛逆するや、甌人濞を斬り、封禺を葆守して臣と為る。東越列伝第五十四を作る。燕丹遼間に散乱し、満其の亡民を収め、厥れ海東に聚め、以て真藩を集め、塞を葆ちて外臣と為る。朝鮮列伝第五十五を作る。唐蒙使ひして略々夜郎に通じ、而して邛・笮の君請ひて内臣と為りて吏を受く。西南夷列伝第五十六を作る。子虚の事、大人の賦の説は、靡麗にして誇多し。然れども其の指は風諫して、無為に帰す。司馬相如列伝第五十七を作る。黥布叛逆し、子長之に国し、以て江淮の南を填め、剽楚の庶民を安んず。淮南衡山列伝第五十八を作る。法を奉じ理に循ふの吏は、功に伐らず能に矜らず、百姓称する無きも、亦過行無し。循吏列伝第五十九を作る。衣冠を正して朝廷に立ち、而して群臣敢へて浮説を言ふ莫きは、長孺焉を矜る。好んで人を薦め、長者を称するは、壮にして溉有り。

現代語訳

呉楚七国が乱を起こしたとき、皇族の中でただ竇嬰だけが賢く士を好んだので、士たちは彼に心を寄せ、竇嬰は軍を率いて山東の反乱軍に対抗し、滎陽に駐屯した。そこで魏其武安列伝第四十七を作った。知恵は近い時代の変化に対応するに足り、寛大さは人を得るに足りた。そこで韓長孺列伝第四十八を作った。敵に向かうときは勇敢で、兵士をいつくしみ、命令は煩わしくなく、兵たちは彼に心を寄せた。そこで李将軍列伝第四十九を作った。夏・殷・周の三代以来、匈奴はいつも中国の災いであった。その強弱の時期を知り、備えを設けて征討しようとして、匈奴列伝第五十を作った。曲がった辺境の塞をまっすぐにし、河南の地を広げ、祁連山で匈奴を破り、西方の国々と通じ、北の胡を打ち靡かせた。そこで衛将軍驃騎列伝第五十一を作った。大臣や皇族がぜいたくを競って自慢し合う中で、ただ公孫弘だけが衣食を節約して百官の先頭に立った。そこで平津侯列伝第五十二を作った。漢が中国を平定したあと、趙佗は楊越の民を集めて南方の守りを保ち、貢ぎ物を納めた。そこで南越列伝第五十三を作った。呉が反逆したとき、東甌の人々は劉濞を斬り、封山・禺山を守って漢の臣下となった。そこで東越列伝第五十四を作った。燕の太子丹の民が遼東の地に散らばり乱れたのを、衛満がその流民を収め、海の東に集めて真番を従え、国境を守って漢の外臣となった。そこで朝鮮列伝第五十五を作った。唐蒙が使者となって夜郎と通じると、邛・笮の君主たちは内臣となって漢の役人を受け入れたいと願い出た。そこで西南夷列伝第五十六を作った。子虚の賦の物語や大人の賦の説は、華やかで誇張が多い。しかしその趣旨は遠回しの諫めであり、無為に帰着する。そこで司馬相如列伝第五十七を作った。黥布が反逆したので、高祖の子の劉長がその地の王となり、長江・淮水の南を鎮め、すばしこく荒々しい楚の民を安んじた。そこで淮南衡山列伝第五十八を作った。法を守り道理に従う役人は、功を誇らず才能を自慢せず、民からたたえられることもないが、過ちの行いもない。そこで循吏列伝第五十九を作った。衣冠を正して朝廷に立つと、群臣があえて浮ついた説を口にしなかったのは、汲長孺(汲黯)がそれを重んじたからである。好んで人を推薦し、長者をたたえたのは、(鄭当時が)意気盛んで節操があったからである。

解説

列伝の篇目解説の続きで、武帝時代の人物や周辺の諸民族の列伝が並びます。李広については、敵に勇敢で兵士をいつくしみ、命令が煩わしくなかったので兵が慕ったと記され、司馬遷の深い敬意がにじみます。匈奴列伝は、その強弱の時期を知って備えるために書いたと、実用的な目的が明かされています。公孫弘については、ぜいたくを競う大臣の中でただ一人倹約したと、美点だけを挙げています。南越・東越・朝鮮・西南夷と、周辺の民族や国々にも独立した列伝を立てているのは、史記の視野の広さを示すものです。循吏列伝の評では、法を守り道理に従う役人は功を誇らず、民にたたえられることもないが過ちもない、と言います。派手な成果はなくても、過ちなく務めを果たし続ける人は、組織の土台そのものです。目立たない堅実さを評価できる組織こそ、長く安定するのです。

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