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史記 / 太史公自序

能信意彊秦,而屈體廉子,用徇其君,俱重於諸侯。作廉頗藺相如列傳第二十一。湣王既失臨淄而奔莒,唯田單用即墨破走騎劫,遂存齊社稷。作田單列傳第二十二。能設詭說解患於圍城,輕爵祿,樂肆志。作魯仲連鄒陽列傳第二十三。作辭以諷諫,連類以爭義,離騷有之。作屈原賈生列傳第二十四。結子楚親,使諸侯之士斐然爭入事秦。作呂不韋列傳第二十五。曹子匕首,魯獲其田,齊明其信;豫讓義不為二心。作刺客列傳第二十六。能明其畫,因時推秦,遂得意於海內,斯為謀首。作李斯列傳第二十七。為秦開地益眾,北靡匈奴,據河為塞,因山為固,建榆中。作蒙恬列傳第二十八。填趙塞常山以廣河內,弱楚權,明漢王之信於天下。作張耳陳餘列傳第二十九。收西河、上黨之兵,從至彭城;越之侵掠梁地以苦項羽。作魏豹彭越列傳第三十。以淮南叛楚歸漢,漢用得大司馬殷,卒破子羽于垓下。作黥布列傳第三十一。楚人迫我京索,而信拔魏趙,定燕齊,使漢三分天下有其二,以滅項籍。作淮陰侯列傳第三十二。楚漢相距鞏洛,而韓信為填潁川,盧綰絕籍糧餉。作韓信盧綰列傳第三十三。

新字:能信意彊秦,而屈体廉子,用徇其君,倶重於諸侯。作廉頗藺相如列伝第二十一。湣王既失臨淄而奔莒,唯田単用即墨破走騎劫,遂存斉社稷。作田単列伝第二十二。能設詭説解患於囲城,軽爵禄,楽肆志。作魯仲連鄒陽列伝第二十三。作辞以諷諫,連類以争義,離騷有之。作屈原賈生列伝第二十四。結子楚親,使諸侯之士斐然争入事秦。作呂不韋列伝第二十五。曹子匕首,魯獲其田,斉明其信;予譲義不為二心。作刺客列伝第二十六。能明其画,因時推秦,遂得意於海内,斯為謀首。作李斯列伝第二十七。為秦開地益衆,北靡匈奴,拠河為塞,因山為固,建榆中。作蒙恬列伝第二十八。填趙塞常山以広河内,弱楚権,明漢王之信於天下。作張耳陳余列伝第二十九。収西河、上党之兵,従至彭城;越之侵掠梁地以苦項羽。作魏豹彭越列伝第三十。以淮南叛楚帰漢,漢用得大司馬殷,卒破子羽于垓下。作黥布列伝第三十一。楚人迫我京索,而信抜魏趙,定燕斉,使漢三分天下有其二,以滅項籍。作淮陰侯列伝第三十二。楚漢相距鞏洛,而韓信為填潁川,盧綰絶籍糧餉。作韓信盧綰列伝第三十三。

書き下し

能く意を彊秦に信べ、而して体を廉子に屈し、用て其の君に徇ひ、俱に諸侯に重んぜらる。廉頗藺相如列伝第二十一を作る。湣王既に臨淄を失ひて莒に奔る。唯だ田単のみ即墨を用て騎劫を破走し、遂に斉の社稷を存す。田単列伝第二十二を作る。能く詭説を設けて患ひを囲城に解き、爵禄を軽んじ、志を肆にするを楽しむ。魯仲連鄒陽列伝第二十三を作る。辞を作りて以て諷諫し、類を連ねて以て義を争ふ。離騒之有り。屈原賈生列伝第二十四を作る。子楚に結びて親しみ、諸侯の士をして斐然として争ひて入りて秦に事へしむ。呂不韋列伝第二十五を作る。曹子の匕首、魯其の田を獲、斉其の信を明らかにす。豫譲は義として二心を為さず。刺客列伝第二十六を作る。能く其の画を明らかにし、時に因りて秦を推し、遂に意を海内に得たり。斯は謀首たり。李斯列伝第二十七を作る。秦の為に地を開き衆を益し、北のかた匈奴を靡し、河に拠りて塞と為し、山に因りて固めと為し、楡中を建つ。蒙恬列伝第二十八を作る。趙を填め常山を塞ぎて以て河内を広め、楚の権を弱め、漢王の信を天下に明らかにす。張耳陳余列伝第二十九を作る。西河・上党の兵を収め、従ひて彭城に至る。越の梁地を侵掠して以て項羽を苦しむ。魏豹彭越列伝第三十を作る。淮南を以て楚に叛きて漢に帰し、漢用て大司馬殷を得、卒に子羽を垓下に破る。黥布列伝第三十一を作る。楚人我を京・索に迫る。而して信は魏・趙を抜き、燕・斉を定め、漢をして天下を三分して其の二を有たしめ、以て項籍を滅ぼす。淮陰侯列伝第三十二を作る。楚漢鞏・洛に相距ぐ。而して韓信は為に潁川を填め、盧綰は籍の糧餉を絶つ。韓信盧綰列伝第三十三を作る。

現代語訳

強い秦に対して自分の意志を貫き、廉頗に対しては身を屈して、それによって主君に尽くし、二人ともに諸侯から重んじられた。そこで廉頗藺相如列伝第二十一を作った。湣王が臨淄を失って莒に逃げたとき、ただ田単だけが即墨を拠点として騎劫を打ち破り、ついに斉の国家を存続させた。そこで田単列伝第二十二を作った。奇抜な説を立てて包囲された城の難を解き、爵位や俸禄を軽んじ、志のままに生きることを楽しんだ。そこで魯仲連鄒陽列伝第二十三を作った。文辞を作って遠回しに諫め、類例を連ねて義を争った。離騒がまさにそれである。そこで屈原賈生列伝第二十四を作った。子楚(のちの荘襄王)と結んで親しみ、諸侯の士たちを競って秦に仕えに行かせた。そこで呂不韋列伝第二十五を作った。曹沫の匕首によって魯は奪われた土地を取り戻し、斉は信義を明らかにした。豫譲は義によって二心を抱かなかった。そこで刺客列伝第二十六を作った。その計画を明らかにし、時勢に乗じて秦を押し上げ、ついに天下で志を遂げた。李斯はその謀の首謀者であった。そこで李斯列伝第二十七を作った。秦のために領土を開き人口を増やし、北は匈奴を打ち靡かせ、黄河に拠って砦とし、山を利用して守りを固め、楡中を築いた。そこで蒙恬列伝第二十八を作った。趙の地を鎮め常山をふさいで河内を広げ、楚の力を弱め、漢王の信義を天下に明らかにした。そこで張耳陳余列伝第二十九を作った。西河・上党の兵を集め、(漢王に)従って彭城まで行った。彭越は梁の地を侵して項羽を苦しめた。そこで魏豹彭越列伝第三十を作った。淮南の地をもって楚に背いて漢に帰順し、漢はそれによって楚の大司馬周殷を味方に得て、ついに子羽(項羽)を垓下で破った。そこで黥布列伝第三十一を作った。楚の人々がわが軍を京・索の地に追い詰めていたとき、韓信は魏・趙を攻め落とし、燕・斉を平定して、漢に天下の三分の二を保有させ、それによって項籍(項羽)を滅ぼした。そこで淮陰侯列伝第三十二を作った。楚と漢が鞏・洛陽で対峙したとき、韓信(韓王信)は漢のために潁川を鎮め、盧綰は項籍の食糧補給を断った。そこで韓信盧綰列伝第三十三を作った。

解説

列伝の篇目解説の続きで、廉頗・藺相如から楚漢戦争の武将たちまでの要点です。藺相如は強国秦には一歩も引かず、同じ趙の廉頗にはへりくだって国の和を保ちました。外には強く内には低く、という使い分けが一句に込められています。田単は即墨の一城から斉を再興し、魯仲連は爵禄を軽んじて志のままに生き、屈原は離騒によって諫めました。刺客列伝では、曹沫の匕首が斉に信義を明らかにさせ、豫譲が二心を抱かなかったことがたたえられます。李斯については秦の天下統一の謀の首謀者と記すにとどめ、その最期には触れていません。後半は、黥布、韓信、盧綰ら項羽を倒した武将たちが、それぞれ漢の勝利にどう貢献したかを一句でまとめています。どの人物も、置かれた立場の中で自分にしかできない役割を果たしています。大きな勝利は、それぞれの持ち場を守った多くの人の働きの積み重ねなのです。

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