晏子春秋 / 外篇下・景公欲誅羽人,晏子以為法不宜殺
景公蓋姣,有羽人視景公僣者。公謂左右曰:「問之,何視寡人之僣也?」羽人對曰:「言亦死,而不言亦死,竊姣公也。」公曰:「合色寡人也!殺之。」晏子不時而入見曰:「蓋聞君有所怒羽人。」公曰:「然。色寡人,故將殺之。」晏子對曰:「嬰聞拒欲不道,惡愛不祥,雖使色君,於法不宜殺也。」公曰:「惡,然乎!若使沐浴,寡人將使抱背。」
新字:景公蓋姣,有羽人視景公僣者。公謂左右曰:「問之,何視寡人之僣也?」羽人対曰:「言亦死,而不言亦死,窃姣公也。」公曰:「合色寡人也!殺之。」晏子不時而入見曰:「蓋聞君有所怒羽人。」公曰:「然。色寡人,故将殺之。」晏子対曰:「嬰聞拒欲不道,悪愛不祥,雖使色君,於法不宜殺也。」公曰:「悪,然乎!若使沐浴,寡人将使抱背。」
書き下し
景公蓋し姣にして、羽人の景公を視て僣する者有り。公左右に謂いて曰く、「之に問え、何ぞ寡人を視て僣するや」と。羽人対えて曰く、「言うも亦た死し、言わざるも亦た死す、竊かに公を姣とするなり」と。公曰く、「寡人を色に合するなり、之を殺せ」と。晏子時ならずして入り見えて曰く、「蓋し聞く、君羽人に怒る所有りと」と。公曰く、「然り。寡人を色とす、故に将に之を殺さんとす」と。晏子対えて曰く、「嬰聞く、欲を拒むは道ならず、愛を悪むは不祥なりと。君を色とせしむと雖も、法に於いて宜しく殺すべからず」と。公曰く、「悪、然るか。若し沐浴せしめば、寡人は将に背を抱かしめん」と。
現代語訳
景公はおそらく色好みであったようで、羽人(羽飾りをつける役の者)に、景公をじっと見て無遠慮にする者がいました。公は側近に言いました。「あの者に問え。なぜ私を見て、あのように無遠慮にしたのか」。羽人は答えました。「言っても死ぬ、言わなくても死ぬと存じます。ひそかに公を好ましく思ったのです」。公は言いました。「私に色目を使ったのか。殺せ」。晏子は時ならぬときに入って謁見して言いました。「君が羽人にお怒りになっていると聞きました」。公は言いました。「そうだ。私に色目を使った。だから殺そうと思う」。晏子は答えました。「私はこう聞いています。欲を拒むのは道にかなわず、愛を憎むのは不吉である、と。たとえ君に色目を使ったとしても、法の上では殺すべきではありません」。公は言いました。「ああ、そうか。では沐浴させて、私の背を抱かせよう」。
解説
この章句が説くこと
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史記 太史公自序諸侯項王に畔くに、唯だ斉のみ子羽を城陽に連ね、漢以て間を得て遂に彭城に入る。田儋列伝第三十四を作る。城を攻め野に戦ひ、功を獲て帰報するに、噲・商力有り。独り鞭策するのみに非ず、又之と難を脱す。樊酈列伝第三十五を作る。漢既に初めて定まるも、文理未だ明らかならず。蒼主計と為り、度量を整斉し、律暦を序す。張丞相列伝第三十六を作る。言を結び使ひを通じ、諸侯を約懐す。諸侯咸親しみ、漢に帰して藩輔と為る。酈生陸賈列伝第三十七を作る。詳らかに秦楚の事を知らんと欲せば、維れ周緤常に高祖に従ひ、諸侯を平定す。傅靳蒯成列伝第三十八を作る。彊族を徙し、関中に都し、匈奴と和約し、朝廷の礼を明らかにし、宗廟の儀法を次す。劉敬叔孫通列伝第三十九を作る。能く剛を摧きて柔と作し、卒に列臣と為る。欒公は埶に劫かされずして死に倍(そむ)く。季布欒布列伝第四十を作る。敢へて顔色を犯して以て主の義に達し、其の身を顧みず、国家の為に長き画を樹つ。袁盎晁錯列伝第四十一を作る。法を守りて大理を失はず、古の賢人を言ひ、主の明を増す。張釈之馮唐列伝第四十二を作る。敦厚慈孝にして、言に訥く、行ひに敏く、務めは鞠躬に在り。君子長者なり。万石張叔列伝第四十三を作る。節を守りて切直、義は以て廉と言ふに足り、行ひは以て賢を厲ますに足り、重きに任じて権は非理を以て撓む可からず。田叔列伝第四十四を作る。扁鵲医を言ひ、方を為す者の宗と為り、数を守りて精明なり。後世序に循ひ、易ふる能はざるなり。而して倉公は之に近しと謂ふ可し。扁鵲倉公列伝第四十五を作る。維れ仲の省かるるや、厥の濞は呉に王たり。漢の初めて定まるに遭ひ、以て江淮の間を填撫す。呉王濞列伝第四十六を作る。
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国語・魯語上莒(きょ)の太子僕(ぼく)、紀公を弑(しい)し、其の宝を以て来奔す。宣公、僕人をして書を以て季文子(きぶんし)に命ぜしめて曰く、「夫れ莒の太子は吾が故を以て其の君を殺すを憚らず、而して其の宝を以て来たる。其の我を愛すること甚だし。我が為に之に邑を予えよ。今日必ず授けよ。命に逆らうこと無かれ」と。里革(りかく)之に遇いて其の書を更(あらた)めて曰く、「夫れ莒の太子は其の君を殺して其の宝を竊みて来たる。窮固(きゅうこ)を識らずして又た自ら邇(ちか)づかんことを求む。我が為に之を夷に流せ。今日必ず通ぜよ。命に逆らうこと無かれ」と。明日、有司復命す。公之を詰(なじ)る。僕人、里革を以て対う。公之を執えて曰く、「君命に違う者は、女(なんじ)も亦た之を聞けるか」と。対えて曰く、「臣、死を以て筆を奮えり。奚(なん)ぞ啻(ただ)に其れ之を聞くのみならんや。臣之を聞けり、曰く、『則を毀つ者を賊と為し、賊を掩(おお)う者を蔵と為し、宝を竊む者を宄(き)と為し、宄の財を用うる者を姦と為す』と。君をして蔵姦(ぞうかん)の者と為さしむるは、去らざるべからざるなり。臣の君命に違う者も、亦た殺さざるべからざるなり」と。公曰く、「寡人実に貪れり。子の罪に非ず」と。乃ち之を舎(ゆる)す。
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『政談』大坂在番の事且又大坂にては下々の欠落常にある事なり、欠落は大方は御城下へ出てゝ定の刻限に帰らぬ故直に欠落になるなり、又行きかた知れず失することもあり、大方は博奕などの意趣によりで海へ突落して殺す成るへし、又欠落したるものが十日計りも過きて後御城内へ来り、其の儘又何方へやらん行くこともありと承はる、不思議千万なることなり、畢竟御堀を越え来るべきやうなし、御門より出入するか、御城中にかくれ居るか、此の二つを出つべからず、惣じて余りに法厳しく、一事あれば詮議六ケ敷故、面々に事のなきやうにと心得ることを、御番衆の伝授にすることにて斯の如きこと却て知れぬと見えたり、法を末にて厳しくして、元来法の立てやうに行届かぬ所有れば、必ず斯の如くなるものなり、大坂御番に限らず、当時は何方も〳〵斯の如し、心得あるべきこと也、
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『韓非子』定法第四十三問ふ者曰く、「徒だ術のみにして法無く、徒だ法のみにして術無きは、其の不可なるは何ぞや。」対へて曰く、「申不害は、韓の昭侯の佐なり。韓は、晋の別国なり。晋の故法未だ息まずして、韓の新法又生じ、先君の令未だ収めずして、後君の令又下る。申不害其の法を擅にせず、其の憲令を一にせざれば、則ち姦多し。故に利故法前令に在れば則ち之に道り、利新法後令に在れば則ち之に道る。利故新相反し、前後相勃るに在れば、則ち申不害十たび昭侯をして術を用ひしむと雖も、而も姦臣猶ほ其の辞を譎る所有り。故に万乗の勁韓に託して、十七年にして霸王に至らざる者は、術を上に用ふと雖も、法勤めて官に飾へざるの患なり。公孫鞅の秦を治むるや、告相坐を設けて其の実を責め、什伍を連ねて其の罪を同じくし、賞厚くして信、刑重くして必なり。是を以て其の民力を用ひて労して休まず、敵を逐ひて危ふくして却かず、故に其の国富みて兵強し。
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『韓非子』難一第三十六郄子因りて曰く、「胡ぞ以て徇へざる」と。其の僕曰く、「曩には将に之を救はんとするにあらずや」と。郄子曰く、「吾敢て謗を分かたざらんや」と。或ひと曰く、郄子の言は、察せざる可からざるなり、謗を分かつに非ざるなり。韓子の斬る所や、若し罪人ならば、則ち救ふ可からず、罪人を救ふは、法の敗るる所以なり、法敗るれば則ち国乱る。若し罪人に非ざれば、則ち之に勧むるに徇ふるを以てす可からず、之に勧むるに徇ふるを以てするは、是れ不辜を重ぬるなり、不辜を重ぬるは、民の怨みを起こす所以の者なり、民怨めば則ち国危ふし。郄子の言は、危ふからざれば則ち乱る、察せざる可からざるなり。且つ韓子の斬る所若し罪人ならば、郄子奚ぞ分かたん。斬ること若し罪人に非ざれば、則ち已に之を斬れり、而して郄子乃ち至る、是れ韓子の謗已に成りて郄子且つ後れて至るなり。夫れ郄子の「以て徇へよ」と曰ふは、以て人を斬るの謗を分かつに足らずして、又徇ふるの謗を生ず。是れ子謗を分かつと言ふか。昔者紂炮烙を為る、崇侯・悪来又渉る者の脛を斬れと曰ふ、奚ぞ紂の謗を分かたん。且つ民の上に望むや甚だし、韓子得ざれば、且に郄子の之を得んことを望まんとす。今郄子俱に得ず、則ち民上に望みを絶たん。故に曰く、郄子の言は謗を分かつに非ず、謗を益すなり、と。且つ郄子の往きて罪を救ふや、韓子を以て非と為すなり。其の非と為す所以を道はずして、之に「以て徇へよ」と勧む、是れ韓子をして其の過を知らざらしむるなり。夫れ下は民をして望みを上に絶たしめ、又韓子をして其の失を知らざらしむ、吾未だ郄子の謗を分かつ所以の者を得ざるなり。桓公管仲の束縛を解きて之を相とす。管仲曰く、「臣寵有り、然り而して臣卑し」と。公曰く、「子をして高・国の上に立たしめん」と。管仲曰く、「臣貴し、然り而して臣貧し」と。公曰く、「子をして三帰の家を有たしめん」と。管仲曰く、「臣富めり、然り而して臣䟽し」と。是に於て立てて以て仲父と為す。
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