史記 / 太史公自序
且士賢能而不用,有國者之恥;主上明聖而德不布聞,有司之過也。且余嘗掌其官,廢明聖盛德不載,滅功臣世家賢大夫之業不述,墮先人所言,罪莫大焉。余所謂述故事,整齊其世傳,非所謂作也,而君比之於春秋,謬矣。」於是論次其文。
新字:且士賢能而不用,有国者之恥;主上明聖而徳不布聞,有司之過也。且余嘗掌其官,廃明聖盛徳不載,滅功臣世家賢大夫之業不述,堕先人所言,罪莫大焉。余所謂述故事,整斉其世伝,非所謂作也,而君比之於春秋,謬矣。」於是論次其文。
書き下し
且つ士賢能にして用ひられざるは、国を有つ者の恥なり。主上明聖にして徳布聞せざるは、有司の過ちなり。且つ余嘗て其の官を掌る。明聖盛徳を廃して載せず、功臣世家賢大夫の業を滅して述べず、先人の言ふ所を墮とさば、罪焉より大なるは莫し。余の所謂故事を述べ、其の世伝を整斉するは、所謂作るに非ざるなり。而るに君之を春秋に比するは、謬りなり」と。是に於いて其の文を論次す。
現代語訳
「そのうえ、士が賢く有能であるのに用いられないのは、国を治める者の恥である。主上が賢明で聖徳を備えているのに、その徳が広く知られないのは、担当の役人の過ちである。しかも私はかつてその官職(太史令)を務めた者である。賢明な天子の盛んな徳を捨てて記載せず、功臣や世家、賢い大夫たちの業績を消して述べず、亡き父の言い残したことを捨ててしまえば、これより大きな罪はない。私のいう昔の事を述べ、代々の伝えを整理することは、いわゆる創作ではない。それなのにあなたがこれを春秋になぞらえるのは誤りである」。こうして(司馬遷は)その文章を論じて順序立てていった。
解説
壺遂との問答の結びです。司馬遷は、賢い士が用いられないのは国の恥、明君の徳が伝わらないのは役人の過ちだと言い、太史令として天子の徳や功臣・賢大夫の業績を記録しないことは、父の遺言に背く最大の罪だと述べます。そして、自分がするのは昔の出来事を述べて整理することであって、孔子の春秋のように新たに作ることではないと謙遜しました。孔子の「述べて作らず」を踏まえた言い方で、春秋になぞらえるのは誤りだと退けています。しかし実際の史記は、単なる記録の整理をはるかに超えた、司馬遷自身の歴史観を示す著作となりました。この謙遜には、権力者の目を意識した慎重さも感じられます。人の業績を記録し伝えることは、その人を正しく評価する行為でもあります。記録しなければ、功績は消えてしまいます。見えない働きを書き残すことも、組織を支える大切な仕事です。
関連する章句
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『長短経』正論壺遂曰く「孔子の時、上に明君無く、下は任用せらるるを得ず。故に春秋を作り、空文を垂れて以て礼義を断じ、一王の法に当つ。今、夫子は上は明天子に遇い、下は其の社稷を保つを得て職守を曠しくせず。夫子の論ずる所は、何を以て明らかにせんと欲するか」と。太史公曰く「伏羲は至って純厚にして、八卦を作る。堯舜の盛んなる、尚書之を載せ、礼楽作る。湯武の隆んなる、詩人之を歌う。春秋は善を採り悪を貶し、三代の徳を推し、周室を褒む。独り刺譏するのみに非ざるなり。漢興りて以来、明天子に至り、命を穆清に受け、沢は罔極に流る。臣下百官、力めて聖徳を誦するも、猶お其の意を宣べ尽くす能わず。且つ士、賢能にして用いられざるは、国を有つ者の恥なり。主上明聖にして、徳の布聞せざるは、有司の過ちなり。且つ余、其の官を掌り、明聖を廃するは、罪、焉より大なるは莫し。余の所謂述は、所謂作に非ざるなり。而るに君、之を春秋に比するは、謬れり」と。〉
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史記 太史公自序上大夫壺遂曰く、「昔、孔子何為れぞ春秋を作れるか」と。太史公曰く、「余、董生に聞く、曰く、『周道衰廃し、孔子魯の司寇と為る。諸侯之を害し、大夫之を壅ぐ。孔子言の用ひられず、道の行はれざるを知るや、二百四十二年の中を是非し、以て天下の儀表と為し、天子を貶し、諸侯を退け、大夫を討ち、以て王事を達するのみ』と。子曰く、『我之を空言に載せんと欲するも、之を行事に見すことの深切著明なるに如かざるなり』と。夫れ春秋は、上は三王の道を明らかにし、下は人事の紀を弁じ、嫌疑を別ち、是非を明らかにし、猶予を定め、善を善とし悪を悪とし、賢を賢とし不肖を賤しみ、亡国を存し、絶世を継ぎ、敝を補ひ廃を起こす。王道の大なる者なり。易は天地・陰陽・四時・五行を著す。故に変に長ず。礼は人倫を経紀す。故に行ひに長ず。書は先王の事を記す。故に政に長ず。詩は山川谿谷・禽獣草木・牝牡雌雄を記す。故に風に長ず。楽は楽しむ所以にして立つ。故に和に長ず。春秋は是非を弁ず。故に人を治むるに長ず。是の故に礼は以て人を節し、楽は以て和を発し、書は以て事を道ひ、詩は以て意を達し、易は以て化を道ひ、春秋は以て義を道ふ。乱世を撥めて之を正に反すは、春秋より近きは莫し。春秋は文成ること数万、其の指は数千。万物の散聚は皆春秋に在り。春秋の中、君を弑すること三十六、国を亡ぼすこと五十二、諸侯奔走して其の社稷を保つを得ざる者、勝げて数ふ可からず。其の所以を察するに、皆其の本を失ふのみ。故に易に曰く、『之を豪釐に失へば、差ふに千里を以てす』と。故に曰く、『臣君を弑し、子父を弑するは、一旦一夕の故に非ざるなり。其の漸久し』と。故に国を有つ者は以て春秋を知らざる可からず。前に讒有れども見ず、後に賊有れども知らず。
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