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史記 / 貨殖列伝

千戶之君則二十萬,朝覲聘享出其中。庶民農工商賈,率亦歲萬息二千,百萬之家則二十萬,而更傜租賦出其中。衣食之欲,恣所好美矣。故曰陸地牧馬二百蹄,牛蹄角千,千足羊,澤中千足彘,水居千石魚陂,山居千章之材。安邑千樹棗;燕、秦千樹栗;蜀、漢、江陵千樹橘;淮北、常山已南,河濟之閒千樹萩;陳、夏千畝漆;齊、魯千畝桑麻;渭川千畝竹;及名國萬家之城,帶郭千畝畝鐘之田,若千畝卮茜,千畦薑韭:此其人皆與千戶侯等。然是富給之資也,不窺市井,不行異邑,坐而待收,身有處士之義而取給焉。若至家貧親老,妻子軟弱,歲時無以祭祀進醵,飲食被服不足以自通,如此不慚恥,則無所比矣。是以無財作力,少有鬬智,既饒爭時,此其大經也。今治生不待危身取給,則賢人勉焉。是故本富為上,末富次之,姦富最下。無巖處奇士之行,而長貧賤,好語仁義,亦足羞也。凡編戶之民,富相什則卑下之,伯則畏憚之,千則役,萬則仆,物之理也。夫用貧求富,農不如工,工不如商,刺繡文不如倚市門,此言末業,貧者之資也。

新字:千戸之君則二十万,朝覲聘享出其中。庶民農工商賈,率亦歳万息二千,百万之家則二十万,而更傜租賦出其中。衣食之欲,恣所好美矣。故曰陸地牧馬二百蹄,牛蹄角千,千足羊,沢中千足彘,水居千石魚陂,山居千章之材。安邑千樹棗;燕、秦千樹栗;蜀、漢、江陵千樹橘;淮北、常山已南,河済之閒千樹萩;陳、夏千畝漆;斉、魯千畝桑麻;渭川千畝竹;及名国万家之城,帯郭千畝畝鐘之田,若千畝卮茜,千畦薑韭:此其人皆与千戸侯等。然是富給之資也,不窺市井,不行異邑,坐而待収,身有処士之義而取給焉。若至家貧親老,妻子軟弱,歳時無以祭祀進醵,飲食被服不足以自通,如此不慚恥,則無所比矣。是以無財作力,少有闘智,既饒争時,此其大経也。今治生不待危身取給,則賢人勉焉。是故本富為上,末富次之,姦富最下。無巖処奇士之行,而長貧賤,好語仁義,亦足羞也。凡編戸之民,富相什則卑下之,伯則畏憚之,千則役,万則仆,物之理也。夫用貧求富,農不如工,工不如商,刺繍文不如倚市門,此言末業,貧者之資也。

書き下し

千戸の君は則ち二十万、朝覲聘享其の中より出づ。庶民の農工商賈は、率ね亦歳に万に二千を息す。百万の家は則ち二十万、而して更傜租賦其の中より出づ。衣食の欲、好美する所を恣にす。故に曰く、陸地に馬を牧すること二百蹄、牛は蹄角千、千足の羊、沢中の千足の彘、水居の千石の魚陂、山居の千章の材。安邑の千樹の棗、燕・秦の千樹の栗、蜀・漢・江陵の千樹の橘、淮北・常山より已南、河済の間の千樹の萩、陳・夏の千畝の漆、斉・魯の千畝の桑麻、渭川の千畝の竹、及び名国万家の城、郭を帯ぶる千畝の畝ごとに鍾の田、若しくは千畝の卮茜、千畦の薑韭。此れ其の人皆千戸侯と等し。然れども是れ富給の資なり。市井を窺はず、異邑に行かず、坐して収むるを待ち、身に処士の義有りて給を取る。家貧しく親老い、妻子軟弱にして、歳時以て祭祀進醵する無く、飲食被服以て自ら通ずるに足らざるに至るが若き、此の如くにして慚恥せずんば、則ち比する所無し。是を以て財無ければ力を作し、少しく有れば智を闘はし、既に饒かなれば時を争ふ。此れ其の大経なり。今、生を治むるに身を危うくするを待たずして給を取らば、則ち賢人も勉む。是の故に本富を上と為し、末富之に次ぎ、姦富は最も下なり。巌処奇士の行ひ無くして、長く貧賤にして、好んで仁義を語るも、亦羞づるに足る。凡そ編戸の民は、富相什なれば則ち之に卑下し、伯なれば則ち之を畏憚し、千なれば則ち役せられ、万なれば則ち僕たり。物の理なり。夫れ貧を用て富を求むるは、農は工に如かず、工は商に如かず、繍文を刺すは市門に倚るに如かず。此れ末業は貧者の資なるを言ふなり。

現代語訳

千戸の領主なら年に二十万銭で、朝見や諸侯との贈答の費用はその中から出す。庶民の農民・職人・商人・行商人も、おおむね一年に一万銭について二千銭の利益を得る。百万銭の財産を持つ家なら二十万銭となり、賦役の代納金や租税はその中から出す。衣食の欲望は、好きなだけ美しいものを楽しめる。だから次のように言う。陸で馬を二百蹄(五十頭)飼い、牛を蹄と角で千(百六十七頭ほど)、羊を千足(二百五十頭)、沢で豚を千足飼い、水辺に年千石の魚を産する池を持ち、山に千本の大木を持つ。安邑に千本のなつめの木、燕・秦に千本の栗の木、蜀・漢中・江陵に千本の橘の木、淮北・常山より南、黄河と済水の間に千本の萩(ひさぎ)の木、陳・夏に千畝の漆畑、斉・魯に千畝の桑と麻の畑、渭水の流域に千畝の竹林を持つ。また名のある国の一万戸の都市の城壁沿いに、一畝ごとに一鍾(六石四斗)を収穫する千畝の田を持ち、あるいは千畝の梔子と茜、千区画の生姜とにらの畑を持つ。こういう人々はみな千戸の侯と同等である。しかもこれは富を満たす元手であって、市場をのぞくこともなく、よその町に行くこともなく、座ったまま収入を待ち、身は在野の士の節義を保ちながら生活の資を得られる。家が貧しく親は年老い、妻子はか弱く、季節ごとの祭祀や宴会の費用も出せず、飲食や衣服も自分でまかなえないほどになりながら、それを恥じないようであれば、もう比べようもない(ひどい)。だから財がなければ力を働かせ、少しあれば知恵を競わせ、十分に豊かになれば時機を争う。これがその大原則である。いま生計を立てるのに身を危険にさらさずに暮らしの資が得られるなら、賢人もそれに励む。だから農業による本業の富を最上とし、商工業による末業の富をその次とし、不正による富を最も下とする。岩穴に住む高潔な隠者のような行いもないのに、長く貧しく卑しい身分のままで、好んで仁義を語るのは、恥ずべきことである。およそ戸籍に載る一般の民は、相手の富が自分の十倍ならへりくだり、百倍なら恐れはばかり、千倍なら使役され、万倍ならその召使いとなる。これが物の道理である。そもそも貧しい者が富を求めるには、農業は工業に及ばず、工業は商業に及ばず、刺繍をするのは市場の門に寄りかかって商売するのに及ばない。これは、商工業こそ貧しい者の元手であることを言っているのである。

解説

富の具体的な尺度と、富を得る道筋を説く段です。千戸の諸侯の年収は二十万銭ですが、庶民でも百万銭の元手があれば二割の利で同じ二十万銭を得られる。馬五十頭、千本の果樹、千畝の漆や竹を持てば千戸侯と同等だと、司馬遷は具体的に数え上げます。そして、財がなければ力で、少しあれば知恵で、豊かになれば時機で勝負せよという「大経」を示しました。農による本富を最上、商工による末富を次、不正による姦富を最下とする順位づけもここにあります。一方で、隠者の高潔さもないのに貧しいまま仁義ばかり語るのは恥だと、耳の痛いことも言います。富の差が十倍なら頭を下げ、万倍なら召使いになるという人間関係の冷徹な観察も添えられています。持っているものに応じて戦い方を変えるという原則は、今の起業や仕事の進め方にもそのまま当てはまります。

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