史記 / 日者列伝
司馬季主曰:「公且安坐。公見夫被髪童子乎?日月照之則行,不照則止,問之日月疵瑕吉凶,則不能理。由是觀之,能知別賢與不肖者寡矣。
新字:司馬季主曰:「公且安坐。公見夫被髪童子乎?日月照之則行,不照則止,問之日月疵瑕吉凶,則不能理。由是観之,能知別賢与不肖者寡矣。
書き下し
司馬季主曰く、「公且く安坐せよ。公、夫の被髪の童子を見るか。日月之を照らせば則ち行き、照らさざれば則ち止まる。之に日月の疵瑕吉凶を問へば、則ち理(をさ)むる能はず。是に由りて之を観れば、能く賢と不肖とを知り別つ者は寡し。
現代語訳
司馬季主は言った。「あなたがたはまず落ち着いて座りなさい。あなたがたは、あの髪を結わない幼い子どもを見たことがあるだろう。日や月が照らせば歩き、照らさなければ止まる。だがその子に日や月の欠けや吉凶を尋ねても、答えることはできない。このことから見ると、賢い者と愚かな者とを見分けられる者は少ないのだ。
解説
司馬季主が宋忠と賈誼に反論を始める冒頭の一節です。直前で二人は、なぜこれほどの人物が卑しい占いの仕事をしているのかと尋ね、司馬季主に大笑いされました。司馬季主はまず二人を座らせ、幼い子どものたとえを持ち出します。子どもは日月の光に従って歩いたり止まったりはできても、日月の食や吉凶の理を説明することはできない。同じように、世の人々は目に見える地位や評判に従って動くだけで、その奥にある本当の賢愚を見分けられる者は少ない、というのです。世の中の評価基準そのものを問う前置きであり、この後に続く官僚批判への導入になっています。私たちも、表面の光に反応して動くだけで、その仕組みを理解しないまま人や物事を評価していることがあります。見えている結果の裏にある理を考える習慣が、人を見る目を養います。
関連する章句
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史記 日者列伝古より命を受けて王たる、王者の興るや、何ぞ嘗て卜筮を以て天命に決せざらんや。其の周に於いて尤も甚だしく、秦に及びて見る可し。代王の入るや、卜者に任ず。太卜の起こるは、漢興るに由りて有り。司馬季主は楚の人なり。長安の東市に卜す。宋忠中大夫と為り、賈誼博士と為る。同日俱に出でて洗沐し、相従ひて論議し、易の先王聖人の道術を誦し、人情を究め遍くし、相視て嘆ず。賈誼曰く、「吾聞く、古の聖人は、朝廷に居らずんば、必ず卜医の中に在りと。今、吾已に三公九卿朝士大夫を見るに、皆知る可し。試みに之を卜数の中に之きて以て采を観ん」と。二人即ち輿を同じくして市に之き、卜肆の中に游ぶ。天新たに雨ふり、道に人少なし。司馬季主間坐し、弟子三四人侍し、方に天地の道、日月の運、陰陽吉凶の本を弁ず。二大夫再拝して謁す。司馬季主其の状貌を視るに、知有る者に類するが如し。即ち之を礼し、弟子をして之を延きて坐せしむ。坐定まり、司馬季主復た前語を理め、天地の終始、日月星辰の紀を分別し、仁義の際を差次し、吉凶の符を列し、語ること数千言、理に順はざる莫し。宋忠・賈誼瞿然として悟り、纓を猟め襟を正して危坐して曰く、「吾、先生の状を望み、先生の辞を聴くに、小子窃かに世を観るに、未だ嘗て見ざるなり。今何ぞ居の卑しく、何ぞ行ひの汚れたる」と。司馬季主腹を捧げて大笑して曰く、「大夫を観るに道術有る者に類す。今何ぞ言の陋しく、何ぞ辞の野なるや。今、夫子の賢とする所の者は何ぞや。高しとする所の者は誰ぞや。今何を以て長者を卑汚とする」と。
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史記 日者列伝今、公の所謂賢者は、皆羞と為す可し。卑疵して前み、孅趨して言ひ、相引くに勢を以てし、相導くに利を以てし、比周して正を賓(しりぞ)け、以て尊誉を求め、以て公奉を受く。私利を事とし、主法を枉げ、農民を猟る。官を以て威と為し、法を以て機と為し、利を求めて逆暴なり。譬へば白刃を操りて人を劫かす者に異なる無し。初めて官に試みらるる時、力を倍して巧詐を為し、虚功を飾り空文を執りて以て主上を罔し、上に居るを用て右と為す。官に試みられて賢に譲り功を陳べず、偽を見て実を増し、無を以て有と為し、少を以て多と為し、以て便勢尊位を求む。食飲駆馳し、姫・歌児を従へ、親を顧みず、法を犯し民を害し、公家を虚しくす。此れ夫の盗を為して矛弧を操らざる者なり。攻めて弦刃を用ひざる者なり。父母を欺きて未だ罪有らず、君を弑して未だ伐たれざる者なり。
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史記 日者列伝二君曰く、「尊官厚祿は、世の高しとする所なり、賢才之に処る。今処る所其の地に非ず、故に之を卑と謂ふ。言信ならず、行験あらず、取当たらず、故に之を汙と謂ふ。夫れ卜筮なる者は、世俗の賤簡する所なり。世皆言ひて曰く、『夫れ卜者は多言誇厳して以て人情を得、虚しく人の祿命を高くして以て人の志を説ばしめ、擅に禍災を言ひて以て人の心を傷り、矯りて鬼神を言ひて以て人の財を尽くし、厚く拝謝を求めて以て己に私す』と。此れ吾が恥づる所、故に之を卑汙と謂ふなり」と。
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史記 日者列伝「公、夫の談士弁人を見るか。事を慮り計を定むるは、必ず是の人なり。然れども一言を以て人主の意に説く能はず。故に言へば必ず先王を称し、語れば必ず上古を道ふ。事を慮り計を定むるに、先王の成功を飾り、其の敗害を語り、以て人主の志を恐喜せしめ、以て其の欲を求む。多言誇厳、此より大なるは莫し。然れども国を彊くし功を成し、忠を上に尽くさんと欲せば、此に非ずんば立たず。今、夫の卜者は、惑ひを導き愚を教ふるなり。夫れ愚惑の人、豈に能く一言を以て之を知らんや。言は多きを厭はず。故に騏驥は罷驢と駟を為す能はず、而して鳳皇は燕雀と群を為さず、而して賢者も亦不肖の者と列を同じくせず。故に君子は卑隠に処りて以て衆を辟け、自ら匿れて以て倫を辟け、微かに徳順を見はして以て群害を除き、以て天性を明らかにし、上を助け下を養ひ、其の功利を多くして、尊誉を求めず。公の等は喁喁たる者なり。何ぞ長者の道を知らんや」と。宋忠・賈誼忽として自失し、芒乎として色無く、悵然として口を噤みて言ふ能はず。是に於いて衣を摂りて起ち、再拝して辞す。行くこと洋洋たり。門を出でて僅かに能く自ら車に上り、軾に伏して頭を低れ、卒に気を出だす能はず。
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史記 日者列伝太史公曰く、古者、卜人の載せざる所以の者は、多く篇に見えず。司馬季主に至るに及びて、余志して之を著す。褚先生曰く、臣郎為りし時、長安の中に游観し、卜筮の賢大夫を見る。其の起居行歩を観るに、坐起自ら動き、誓ひて其の衣冠を正して郷人に当たる。君子の風有り。性好く解する婦の来たりて卜するを見るに、之に対して顔色厳振し、未だ嘗て歯を見して笑はず。古より以来、賢者の世を避くるに、止まりて沢に舞ふに居る者有り、民間に居りて口を閉ぢて言はざる者有り、卜筮の間に隠居して以て身を全うする者有り。夫れ司馬季主は楚の賢大夫なり。長安に游学し、易経に通じ、黄帝・老子を術(まな)び、博聞遠見なり。其の二大夫貴人に対する談言を観るに、古の明王聖人の道を称引す。固より浅聞小数の能に非ず。卜筮を以て名声を千里に立つる者に及びては、各々往往にして在り。伝に曰く、「富を上と為し、貴之に次ぐ。既に貴ければ各々一伎能を学びて其の身を立つ」と。黄直は大夫なり。陳君夫は婦人なり。馬を相するを以て名を天下に立つ。斉の張仲・曲成侯は善く撃刺するを以て剣を用ふるを学び、名を天下に立つ。留長孺は彘を相するを以て名を立つ。滎陽の褚氏は牛を相するを以て名を立つ。能く伎能を以て名を立つる者甚だ多く、皆高世絶人の風有り。何ぞ言ふに勝ふ可けんや。故に曰く、「其の地に非ざれば、之を樹うるも生ぜず。其の意に非ざれば、之を教ふるも成らず」と。夫れ家の子孫を教ふるは、当に其の好む所以を視るべし。好みて苟くも生活の道を含まば、因りて之を成す。故に曰く、「宅を制し子に命ずるは、以て士を観るに足る。子に処る所有らば、賢人と謂ふ可し」と。臣郎為りし時、太卜の待詔して郎為る者と署を同じくす。言ひて曰く、「孝武帝の時、占家を聚会して之に問ふ、某日婦を取る可きか」と。
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史記 日者列伝述べて作らざるは、君子の義なり。今夫れ卜者は、必ず天地に法り、四時に象り、仁義に順ふ。莊子曰く、「君子は内に饑寒の患無く、外に劫奪の憂無く、上に居りて敬せられ、下に居りて害を為さざるは、君子の道なり」と。今夫れ卜筮なる者の業為るや、之を積むに委聚無く、之を蔵むるに府庫を用ゐず、持たざる索の物を持ちて、無窮の世に游ぶ。日中すれば必ず移り、月満つれば必ず虧く。先王の道、乍ち存し乍ち亡ぶ。公卜者に言必ず信ならんことを責むるは、亦た惑ひならずや。
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