韓非子 / 說林下二十三
崇侯、惡來知不適紂之誅也,而不見武王之滅之也。比干、子胥知其君之必亡也,而不知身之死也。故曰:「崇侯、惡來知心而不知事,比干、子胥知事而不知心。」聖人其備矣。宋太宰貴而主斷。季子將見宋君,梁子聞之曰:「語必可與太宰三坐乎,不然,將不免。」季子因說以貴主而輕國。楊朱之弟楊布衣素衣而出。天雨,解素衣,衣緇衣而反,其狗不知而吠之。
新字:崇侯、悪来知不適紂之誅也,而不見武王之滅之也。比干、子胥知其君之必亡也,而不知身之死也。故曰:「崇侯、悪来知心而不知事,比干、子胥知事而不知心。」聖人其備矣。宋太宰貴而主断。季子将見宋君,梁子聞之曰:「語必可与太宰三坐乎,不然,将不免。」季子因説以貴主而軽国。楊朱之弟楊布衣素衣而出。天雨,解素衣,衣緇衣而反,其狗不知而吠之。
書き下し
崇侯・悪来は紂の誅に適はざるを知るも、武王の之を滅ぼすを見ず。比干・子胥は其の君の必ず亡ぶるを知るも、身の死するを知らず。故に曰く、「崇侯・悪来は心を知りて事を知らず、比干・子胥は事を知りて心を知らず」と。聖人は其れ備はれり。宋の太宰貴くして主断す。季子将に宋君に見えんとす。梁子之を聞きて曰く、「語は必ず太宰と三坐すべからんか、然らずんば、将に免れざらんとす」と。季子因りて説くに主を貴びて国を軽んずるを以てす。楊朱の弟楊布、素衣を衣て出づ。天雨ふり、素衣を解き、緇衣を衣て反る。其の狗知らずして之に吠ゆ。
現代語訳
崇侯虎や悪来は、自分が紂王に誅されることはないと知っていたが、武王が紂を滅ぼすことは見通せなかった。比干や伍子胥は、自分の主君が必ず滅びることは知っていたが、自分の身が殺されることはわからなかった。だから「崇侯と悪来は主君の心を知って世の成り行きを知らず、比干と子胥は世の成り行きを知って主君の心を知らなかった」というのである。聖人はその両方を備えている。宋の太宰は身分が高く、国政を専断していた。季子が宋の君に謁見しようとしたとき、梁子がそれを聞いて言った。「話は必ず、太宰を加えて三人で同席しても差しつかえない内容にしなさい。そうでなければ、身を免れないだろう」。そこで季子は、君主を尊び国事を軽んずるような(太宰の権を侵さない)話をした。楊朱の弟の楊布が、白い衣を着て出かけた。雨が降ったので白い衣を脱ぎ、黒い衣に着替えて帰ってきた。すると飼い犬が主人とわからずに吠えかかった。
解説
関連する章句
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史記 老子韓非列伝伊尹は庖為り、百里奚は虜為りしは、皆其の上に干めし所由なり。故に此の二子は皆聖人なるに、猶ほ身を役して世を渉ること此くの如く其れ汙るる無き能はざりしなり。宋に富人有り、天雨りて牆壊る。其の子曰く、「築かざれば且に盗有らんとす」と。其の鄰人の父も亦た云ふ。暮れて果たして大いに其の財を亡ふ。其の家甚だ其の子を知として鄰人の父を疑ふ。昔者、鄭の武公、胡を伐たんと欲し、乃ち其の子を以て之に妻はす。因りて群臣に問ひて曰く、「吾兵を用ゐんと欲す。誰か伐つ可き者ぞ」と。関其思曰く、「胡は伐つ可し」と。乃ち関其思を戮して曰く、「胡は兄弟の国なり、子、之を伐たんと言ふは何ぞや」と。胡君、之を聞き、鄭を以て己に親しむと為して鄭に備へず。鄭人、胡を襲ひて之を取る。此の二の説く者、其の知は皆当れり、然れども甚だしき者は戮せられ、薄き者は疑はる。知の難きに非ざるなり、知に処するは則ち難きなり。
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『韓非子』人主第五十二昔關龍逄は桀に說きて其の四肢を傷つけられ、王子比干は紂を諫めて其の心を剖かれ、子胥は夫差に忠直にして屬鏤に誅せらる。此の三子なる者は、人臣と爲りて忠ならざるに非ず、而して說當らざるに非ざるなり、然り而して死亡の患を免れざる者は、主賢智の言を察せずして、不肖の患に蔽はるればなり。今人主肯へて法術の士を用ふるに非ずして、愚不肖の臣に聽けば、則ち賢智の士孰か敢へて三子の危に當りて其の智能を進むる者あらんや。此れ世の亂るる所以なり。
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説苑・雜言子石、呉山に登りて四望し、喟然として歎息して曰く、「嗚呼悲しいかな。世に事情に明らかにして人心に合わざる者有り、人心に合いて事情に明らかならざる者有り」と。弟子問いて曰く、「何の謂いぞや」と。子石曰く、「昔者、呉王夫差、伍子胥の言を聴かず、忠を尽くし極めて諫めしも、目を抉られて辜せらる。太宰嚭・公孫雒は、偷かに合し苟くも容れられ、以て夫差の志に順いて呉を伐たしむ。二子は身を江湖に沈められ、頭は越の旗に懸けらる。昔者、費仲・惡來革・長鼻決耳、崇侯虎は紂の心に順い、意に合わんと欲せしも、武王紂を伐ちて、四子は身を牧野に死し、頭足所を異にす。比干は忠を尽くして心を剖かれて死す。今、事情を明らかにせんと欲すれば、目を抉られ心を剖かるるの禍い有らんことを恐れ、人心に合わんと欲すれば、頭足所を異にするの患い有らんことを恐る。是に由りて之を観れば、君子の道狭きのみ。誠に其の明主に逢わずんば、狭道の中、又将に危険閉塞して、従いて出づ可き無からんとす」と。
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『韓非子』難四第三十九不肖者の主を煬るは、以て明を害するに足らず。今知を加へずして賢者をして己を煬らしむれば、則ち必ず危ふし。或ひと曰く、屈到は芰を嗜み、文王は菖蒲葅を嗜む、正味に非ざるなり、而して二賢之を尚ぶ、味はふ所必ずしも美ならず。晋の霊侯は参無恤を説び、燕噲は子之を賢とす、正士に非ざるなり、而して二君之を尊ぶ、賢とする所必ずしも賢ならざるなり。賢に非ずして賢として之を用ふるは、愛して之を用ふると同じ。賢誠に賢にして之を挙ぐるは、愛する所を用ふると状を異にす。故に楚荘は孫叔を挙げて覇たり、商辛は費仲を用ひて滅ぶ、此れ皆賢とする所を用ひて事相反するなり。燕噲は賢とする所を挙ぐと雖も、而も愛する所を用ふるに同じ、衛奚ぞ距ぞ然らんや。則ち侏儒の未だ見るべからざるなり。君壅がれて其の壅がるるを知らず、已に之を見ての後に其の壅がるるを知る、故に壅臣を退くるは、是れ知を加ふるなり。「知を加へずして賢者をして己を煬らしむれば則ち必ず危ふし」と曰ふも、而るに今以て知を加ふれば、則ち己を煬らしむと雖も、必ず危ふからず。
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『韓非子』外儲說左下第三十三故に曰く、与に居る所に在らず、与に謀る所に在るなり。」孔子魯の哀公に御坐す、哀公之に桃と黍とを賜ふ。哀公曰く、「請ふ用ひよ。」仲尼先づ黍を飯して後に桃を啗ふ、左右皆口を揜ひて笑ふ。哀公曰く、「黍は、之を飯するに非ざるなり、以て桃を雪ふなり。」仲尼対へて曰く、「丘之を知れり。夫れ黍は、五穀の長なり、先王を祭るに上盛と為す。果蓏六有り、而して桃を下と為す、先王を祭るに廟に入るを得ず。丘の聞くや、君子は賤を以て貴を雪ふ、貴を以て賤を雪ふを聞かず。今五穀の長を以て果蓏の下を雪ふは、是れ上を以て下を雪ふなり。丘以て義を妨ぐと為す、故に敢て以て宗廟の盛に先んぜざるなり。」簡主左右に謂ふ、「車席泰だ美なり。夫れ冠は賤しと雖も、頭必ず之を戴く。屨は貴しと雖も、足必ず之を履む。今車席此の如く、太だ美なり、吾将に何の屩か以て之を履まんとする。夫れ下を美にして上を耗らすは、義を妨ぐるの本なり。」費仲紂に説きて曰く、「西伯昌は賢なり、百姓之を悦び、諸侯焉に附く、誅せざるべからず。誅せずんば、必ず殷の禍と為らん。」紂曰く、「子の言ふ、義主なり、何ぞ誅すべけんや。」費仲曰く、「冠は穿弊すと雖も、必ず頭に戴く。履は五采なりと雖も、必ず之を地に践む。今西伯昌は、人臣なり、義を修めて人之に向ふ。卒に天下の患と為るは、其れ必ず昌ならんか。人臣其の賢を以て其の主の為にせざれば、誅せざるべきに非ざるなり。且つ主にして臣を誅す、焉んぞ過有らん。」紂曰く、「夫れ仁義は、上の下を勧むる所以なり。今昌仁義を好む、之を誅するは不可なり。」三たび説きて用ひられず、故に亡ぶ。斉の宣王匡倩に問ひて曰く、「儒者は博するか。」曰く、「不なり。」王曰く、「何ぞや。」匡倩対へて曰く、「博は梟を貴ぶ、勝つ者は必ず梟を殺す。梟を殺すは、是れ貴ぶ所を殺すなり。儒者以て義を害すと為す、故に博せざるなり。」又問ひて曰く、「儒者は弋するか。」曰く、「不なり。弋は、下より上を害する者なり、是れ下より君を傷つくるなり。
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『韓非子』難言第三殊に文学を釈て、質を以て言を信にすれば、則ち見て以て鄙と為さる。時に詩書を称し、往古に道法すれば、則ち見て以て誦と為さる。此れ臣非の言ふを難しとして重ねて患ふる所以なり。故に度量正しと雖も、未だ必ずしも聴かれず。義理全しと雖も、未だ必ずしも用ゐられず。大王若し此を以て信ぜずんば、則ち小なる者は以て毀訾誹謗と為し、大なる者は患禍災害死亡其の身に及ぶ。故に子胥は善く謀りて呉之を戮し、仲尼は善く説きて匡之を囲み、管夷吾は実に賢にして魯之を囚ふ。故に此の三大夫豈に賢ならざらんや。而るに三君明らかならざるなり。上古に湯有り、至聖なり。伊尹は、至智なり。夫れ至智にして至聖に説く、然り且つ七十たび説きて受けられず。身ら鼎俎を執りて庖宰と為り、昵近習親して、湯乃ち僅かに其の賢を知りて之を用ゐる。故に曰く、至智を以て至聖に説くも、未だ必ずしも至りて受けられず、伊尹の湯に説くこと是れなり。智を以て愚に説けば必ず聴かれず、文王の紂に説くこと是れなり。