人物志 / 八觀
非天下之至精,其孰能得其實?
新字:非天下之至精,其孰能得其実?
書き下し
天下の至精に非ずんば、其れ孰か能く其の実を得んや。
現代語訳
天下第一の精妙な洞察力を持つ者でなければ、誰がその実態をつかむことができようか。
解説
人の本質を見抜くには、並外れて精緻な洞察力が要ると人物志は言い切る。言葉と表情の食い違い、志の同異、美徳の裏に潜む欠点など、これまで見てきた観察の視点はどれも一筋縄ではいかないものばかりであり、だからこそ簡単に「わかった」と決めつけることの危うさが浮かび上がる。自分が誰かを判断するとき、その判断がどれほど浅い観察に基づいているかを自覚することが、誤解を防ぐ第一歩になる。人を見る目は、一朝一夕には育たない。
この章句が説くこと
洞察精妙人物評価
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