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史記 / 范雎蔡沢列伝

當此時,秦昭王使謁者王稽於魏。鄭安平詐為卒,侍王稽。王稽問:「魏有賢人可與俱西游者乎?」鄭安平曰:「臣里中有張祿先生,欲見君,言天下事。其人有仇,不敢晝見。」王稽曰:「夜與俱來。」鄭安平夜與張祿見王稽。語未究,王稽知范睢賢,謂曰:「先生待我於三亭之南。」與私約而去。王稽辭魏去,過載范睢入秦。至湖,望見車騎從西來。范睢曰:「彼來者為誰?」王稽曰:「秦相穰侯東行縣邑。」范睢曰:「吾聞穰侯專秦權,惡內諸侯客,此恐辱我,我寧且匿車中。」有頃,穰侯果至,勞王稽,因立車而語曰:「關東有何變?」曰:「無有。」又謂王稽曰:「謁君得無與諸侯客子俱來乎?無益,徒亂人國耳。」王稽曰:「不敢。」即別去。范睢曰:「吾聞穰侯智士也,其見事遲,鄉者疑車中有人,忘索之。」於是范睢下車走,曰:「此必悔之。」行十餘里,果使騎還索車中,無客,乃已。王稽遂與范睢入咸陽。已報使,因言曰:「魏有張祿先生,天下辯士也。曰『秦王之國危於累卵,得臣則安。然不可以書傳也』。臣故載來。」秦王弗信,使舍食草具。待命歲餘。當是時,昭王已立三十六年。南拔楚之鄢郢,楚懷王幽死於秦。秦東破齊。湣王嘗稱帝,後去之。數困三晉。厭天下辯士,無所信。

新字:当此時,秦昭王使謁者王稽於魏。鄭安平詐為卒,侍王稽。王稽問:「魏有賢人可与倶西游者乎?」鄭安平曰:「臣里中有張禄先生,欲見君,言天下事。其人有仇,不敢昼見。」王稽曰:「夜与倶来。」鄭安平夜与張禄見王稽。語未究,王稽知范睢賢,謂曰:「先生待我於三亭之南。」与私約而去。王稽辞魏去,過載范睢入秦。至湖,望見車騎従西来。范睢曰:「彼来者為誰?」王稽曰:「秦相穰侯東行県邑。」范睢曰:「吾聞穰侯専秦権,悪内諸侯客,此恐辱我,我寧且匿車中。」有頃,穰侯果至,労王稽,因立車而語曰:「関東有何変?」曰:「無有。」又謂王稽曰:「謁君得無与諸侯客子倶来乎?無益,徒乱人国耳。」王稽曰:「不敢。」即別去。范睢曰:「吾聞穰侯智士也,其見事遅,郷者疑車中有人,忘索之。」於是范睢下車走,曰:「此必悔之。」行十余里,果使騎還索車中,無客,乃已。王稽遂与范睢入咸陽。已報使,因言曰:「魏有張禄先生,天下弁士也。曰『秦王之国危於累卵,得臣則安。然不可以書伝也』。臣故載来。」秦王弗信,使舎食草具。待命歳余。当是時,昭王已立三十六年。南抜楚之鄢郢,楚懐王幽死於秦。秦東破斉。湣王嘗称帝,後去之。数困三晋。厭天下弁士,無所信。

書き下し

此の時に当たり、秦の昭王、謁者王稽を魏に使はす。鄭安平詐りて卒と為り、王稽に侍す。王稽問ふ、「魏に賢人の与に倶に西游すべき者有るか」と。鄭安平曰く、「臣の里中に張禄先生有り、君に見えて天下の事を言はんと欲す。その人仇有り、敢へて昼見えず」と。王稽曰く、「夜与に倶に来たれ」と。鄭安平、夜張禄と王稽に見ゆ。語未だ究まらざるに、王稽、范睢の賢なるを知り、謂ひて曰く、「先生、我を三亭の南に待て」と。私かに約して去る。王稽、魏を辞して去り、過りて范睢を載せて秦に入る。湖に至り、車騎の西より来たるを望見す。范睢曰く、「彼の来たる者は誰と為す」と。王稽曰く、「秦の相穣侯、東して県邑を行く」と。范睢曰く、「吾聞く、穣侯は秦の権を専らにし、諸侯の客を内るるを悪むと。此れ恐らくは我を辱めん、我寧ろ且く車中に匿れん」と。頃有りて、穣侯果たして至り、王稽を労ひ、因りて車を立てて語りて曰く、「関東に何の変か有る」と。曰く、「有る無し」と。また王稽に謂ひて曰く、「謁君、諸侯の客子と倶に来たること無きを得んや。益無し、徒らに人の国を乱すのみ」と。王稽曰く、「敢へてせず」と。即ち別れ去る。范睢曰く、「吾聞く、穣侯は智士なり、その事を見ること遅し。郷者車中に人有るを疑ひて、これを索むることを忘る」と。是に於いて范睢車を下りて走りて曰く、「此れ必ずこれを悔いん」と。行くこと十余里、果たして騎をして還りて車中を索めしむ、客無し、乃ち已む。王稽遂に范睢と咸陽に入る。已に使ひを報じ、因りて言ひて曰く、「魏に張禄先生有り、天下の弁士なり。曰く『秦王の国は累卵より危ふし、臣を得ば則ち安からん。然れども書を以て伝ふべからず』と。臣故に載せて来たる」と。秦王信ぜず、舎して食はしむるに草具を以てす。命を待つこと歳余。是の時に当たり、昭王已に立つこと三十六年。南のかた楚の鄢郢を抜き、楚の懐王秦に幽死す。秦東のかた斉を破る。湣王嘗て帝と称し、後これを去る。数々三晋を困しむ。天下の弁士を厭ひ、信ずる所無し。

現代語訳

ちょうどそのころ、秦の昭王は謁者(取次ぎ役)の王稽を魏に使者として送った。鄭安平は下働きの兵卒になりすまして王稽に仕えた。王稽は尋ねた。「魏に、一緒に西の秦へ連れて行けるような賢人はいないか。」鄭安平は言った。「私の郷里に張禄先生という人がいて、あなたにお会いして天下の事を語りたいと望んでいる。ただその人には仇がいて、昼間は会いに来られない。」王稽は言った。「夜に一緒に連れて来なさい。」鄭安平は夜、張禄と共に王稽に会った。話がまだ終わらないうちに、王稽は范睢が賢者であることを見抜き、言った。「先生、三亭の南で私を待っていてください。」ひそかに約束して別れた。王稽は魏に別れを告げて去り、途中で范睢を車に乗せて秦に入った。湖(地名)に着いたとき、車馬が西からやって来るのが見えた。范睢は言った。「あちらから来るのは誰か。」王稽は言った。「秦の宰相穣侯が、東の県や町を巡視しているのだ。」范睢は言った。「穣侯は秦の権力を一手に握り、諸侯の客が秦に入るのを嫌うと聞いている。きっと私を辱めるだろう。しばらく車の中に隠れていよう。」しばらくすると、穣侯が案の定やって来て、王稽をねぎらい、車を止めて話しかけた。「関東(函谷関以東の諸国)に何か変わったことはあったか。」王稽は言った。「何もない。」穣侯はまた王稽に言った。「謁者殿、諸侯の客人を連れて来てはいまいな。益はなく、人の国を乱すだけだ。」王稽は言った。「とんでもない。」穣侯はすぐに別れて去った。范睢は言った。「穣侯は知恵者だが、物事に気づくのが遅いと聞いている。さっき車の中に人がいるのではと疑いながら、探すのを忘れた。」そこで范睢は車を降りて歩きながら言った。「きっと後悔して戻ってくる。」十里余り行くと、はたして騎兵を引き返させて車の中を探させたが、客はいなかったので、それでやめた。王稽はこうして范睢と共に咸陽に入った。使者の務めの報告を終えると、王稽は申し上げた。「魏に張禄先生という者がいて、天下の弁士だ。その人は『秦王の国は卵を積み重ねたよりも危うい。私を得れば安泰になる。しかし書面では伝えられない』と言っている。それで私は車に乗せて連れて来た。」秦王は信用せず、宿舎に置いて粗末な食事を与えた。范睢は一年余り、お召しを待った。このころ、昭王は即位してすでに三十六年、南は楚の鄢郢を落とし、楚の懐王は秦に幽閉されて死んだ。秦は東の斉を破った。斉の湣王はかつて帝を称したが、後にそれを取り下げた。秦はたびたび三晋を苦しめていた。昭王は天下の弁舌の士にうんざりして、誰も信じていなかった。

解説

張禄と名を変えた范雎が秦に入るまでの段です。鄭安平は秦の使者王稽に兵卒として仕え、夜に范雎を引き合わせました。王稽は話の途中で范雎の才を見抜き、ひそかに車に乗せて秦へ向かいます。途中で宰相の穣侯魏冉の一行と出会うと、范雎は「穣侯は他国の客を嫌う」と車の中に隠れ、穣侯が「客を連れてきていないか」と尋ねて去った後、「穣侯は知恵者だが気づくのが遅い。必ず戻って探しに来る」と予見して車を降りました。はたして騎兵が戻って車を調べましたが、范雎の姿はありませんでした。相手の性格まで読み切った用心深さが光る場面です。しかし咸陽に着いても、弁舌の士に飽きていた昭王は范雎を信用せず、一年以上粗末な扱いのまま放っておかれました。どれほど優れた人でも、機会が来るまで待たされる時期があるという点は、今の仕事でも実感のある話です。

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