史記 / 滑稽列伝
公車令兩人共持舉其書,僅然能勝之。人主從上方讀之,止,輒乙其處,讀之二月乃盡。詔拜以為郎,常在側侍中。數召至前談語,人主未嘗不說也。時詔賜之食於前。飯已,盡懷其餘肉持去,衣盡汙。數賜縑帛,檐揭而去。徒用所賜錢帛,取少婦於長安中好女。率取婦一歲所者即棄去,更取婦。所賜錢財盡索之於女子。人主左右諸郎半呼之「狂人」。人主聞之,曰:「令朔在事無為是行者,若等安能及之哉!」朔任其子為郎,又為侍謁者,常持節出使。朔行殿中,郎謂之曰:「人皆以先生為狂。」朔曰:「如朔等,所謂避世於朝廷閒者也。古之人,乃避世於深山中。」時坐席中,酒酣,據地歌曰:「陸沈於俗,避世金馬門。宮殿中可以避世全身,何必深山之中,蒿廬之下。」金馬門者,宦者署門也,門傍有銅馬,故謂之曰「金馬門」。時會聚宮下博士諸先生與論議,共難之曰:「蘇秦、張儀一當萬乘之主,而都卿相之位,澤及後世。今子大夫修先王之術,慕聖人之義,諷誦詩書百家之言,不可勝數。著於竹帛,自以為海內無雙,即可謂博聞辯智矣。然悉力盡忠以事聖帝,曠日持久,積數十年,官不過侍郎,位不過執戟,意者尚有遺行邪?其故何也?」東方生曰:「是固非子所能備也。
新字:公車令両人共持舉其書,僅然能勝之。人主従上方読之,止,輒乙其処,読之二月乃尽。詔拝以為郎,常在側侍中。数召至前談語,人主未嘗不説也。時詔賜之食於前。飯已,尽懐其余肉持去,衣尽汚。数賜縑帛,檐掲而去。徒用所賜銭帛,取少婦於長安中好女。率取婦一歳所者即棄去,更取婦。所賜銭財尽索之於女子。人主左右諸郎半呼之「狂人」。人主聞之,曰:「令朔在事無為是行者,若等安能及之哉!」朔任其子為郎,又為侍謁者,常持節出使。朔行殿中,郎謂之曰:「人皆以先生為狂。」朔曰:「如朔等,所謂避世於朝廷閒者也。古之人,乃避世於深山中。」時坐席中,酒酣,拠地歌曰:「陸沈於俗,避世金馬門。宮殿中可以避世全身,何必深山之中,蒿廬之下。」金馬門者,宦者署門也,門傍有銅馬,故謂之曰「金馬門」。時会聚宮下博士諸先生与論議,共難之曰:「蘇秦、張儀一当万乗之主,而都卿相之位,沢及後世。今子大夫修先王之術,慕聖人之義,諷誦詩書百家之言,不可勝数。著於竹帛,自以為海内無双,即可謂博聞弁智矣。然悉力尽忠以事聖帝,曠日持久,積数十年,官不過侍郎,位不過執戟,意者尚有遺行邪?其故何也?」東方生曰:「是固非子所能備也。
書き下し
公車令両人共に持して其の書を挙げ、僅然として能く之に勝ふ。人主上方より之を読み、止まれば、輒ち其の処を乙す。之を読むこと二月にして乃ち尽く。詔して拝して以て郎と為し、常に側に在りて侍中す。数々召されて前に至りて談語し、人主未だ嘗て説ばずんばあらず。時に詔して之に食を前に賜ふ。飯已(を)はれば、尽く其の余肉を懐にして持ち去り、衣尽く汚る。数々縑帛を賜へば、檐掲して去る。徒だ賜ふ所の銭帛を用ひて、少婦を長安の中の好女に取る。率ね婦を取ること一歳所にして即ち棄て去り、更に婦を取る。賜ふ所の銭財は尽く之を女子に索(つく)す。人主の左右の諸郎、半ば之を狂人と呼ぶ。人主之を聞きて曰く、「朔をして事に在りて是の行ひを為す無からしめば、若等安くんぞ能く之に及ばんや」と。朔、其の子を任じて郎と為し、又侍謁者と為し、常に節を持して出使せしむ。朔、殿中を行くに、郎之に謂ひて曰く、「人皆先生を以て狂と為す」と。朔曰く、「朔等の如きは、所謂世を朝廷の間に避くる者なり。古の人は乃ち世を深山の中に避く」と。時に坐席の中にて酒酣なるに、地に拠りて歌ひて曰く、「俗に陸沈し、世を金馬門に避く。宮殿の中にも以て世を避け身を全うす可し。何ぞ必ずしも深山の中、蒿廬の下ならん」と。金馬門は宦者署の門なり。門の傍らに銅馬有り、故に之を謂ひて金馬門と曰ふ。時に宮下の博士諸先生を会聚して与に論議するに、共に之を難じて曰く、「蘇秦・張儀は一たび万乗の主に当たりて、卿相の位に都(を)り、沢後世に及ぶ。今、子大夫は先王の術を修め、聖人の義を慕ひ、詩書百家の言を諷誦すること、勝げて数ふ可からず。竹帛に著はし、自ら以て海内無双と為す。即ち博聞弁智と謂ふ可し。然るに力を悉くし忠を尽くして以て聖帝に事へ、日を曠しくし久しきを持すること数十年、官は侍郎に過ぎず、位は執戟に過ぎず。意ふに尚ほ遺行有るか。其の故は何ぞや」と。東方生曰く、「是れ固より子の能く備ふる所に非ざるなり。
現代語訳
公車令が二人がかりでその書き板を持ち上げ、やっと持ち上げられるほどであった。君主(武帝)は上から順に読み、読むのをやめたところにはそのつど印をつけ、二か月かかってようやく読み終えた。詔によって郎に任じられ、いつも帝のそばに侍った。たびたび御前に呼ばれて語り合い、帝はいつも喜んだ。ときに詔によって御前で食事を賜ったが、食べ終わると残った肉をすべて懐に入れて持ち帰ったので、衣服がすっかり汚れた。たびたび絹を賜ると、肩に担いで持ち帰った。賜った銭や絹はもっぱら、長安の美しい若い娘を妻に迎えるのに使った。だいたい一年ほどで妻を捨てては、また新しい妻を迎えた。賜った金銭はすべて女性に使い果たした。帝の側近の郎たちの半分は、彼を「狂人」と呼んだ。帝はそれを聞いて言った。「朔に職務の上でこのような振る舞いをさせなければ、おまえたちなどとても彼には及ばない」。東方朔は息子を推して郎にし、さらに侍謁者(取り次ぎ役)にして、いつも節を持って使者として出かけさせた。東方朔が宮殿の中を歩いていると、郎の一人が言った。「人はみな先生を狂人だと思っていますよ」。東方朔は言った。「私のような者は、いわゆる朝廷の中で世を避けている者だ。昔の人は深い山の中で世を避けたものだが」。あるとき宴席で酒がたけなわになると、地面に手をついて歌った。「世俗の中に身を沈め、金馬門で世を避ける。宮殿の中でも世を避けて身を全うできる。どうして深い山の中や、よもぎ葺きの庵の下である必要があろうか」。金馬門とは宦者署の門のことで、門のそばに銅の馬があるので、金馬門と呼ぶのである。あるとき宮中の博士や学者たちが集まって議論したとき、みなで東方朔を問い詰めて言った。「蘇秦や張儀は、ひとたび大国の君主に会うと、卿や宰相の位につき、その恩恵は後世にまで及んだ。いまあなたは先王の道を修め、聖人の義を慕い、詩経・書経や諸子百家の言葉を数え切れないほど暗誦している。それを書物に著して、自分は天下に並ぶ者がないと思っている。博識で弁舌と知恵に優れていると言えよう。ところが力を尽くし忠誠を尽くして聖帝に仕え、長い年月を費やすこと数十年になるのに、官は侍郎にすぎず、位は執戟(戟を持つ護衛)にすぎない。思うに、まだ行いに足りないところがあるのではないか。そのわけは何なのか」。東方先生は言った。「それはもとより、あなたがたにわかることではない。
解説
関連する章句
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史記 滑稽列伝左右の群臣の事に習ひ経術に通ずる者に問ふも、能く知る莫し。詔して東方朔をして之を視しむ。朔曰く、「臣之を知る。願はくは美酒粱飯を賜ひて大いに臣に飱せしめよ。臣乃ち言はん」と。詔して曰く、「可なり」と。已にして又曰く、「某所に公田・魚池・蒲葦数頃有り。陛下以て臣に賜はば、臣朔乃ち言はん」と。詔して曰く、「可なり」と。是に於いて朔乃ち肯へて言ひて曰く、「所謂騶牙なる者なり。遠方当に来たりて義に帰すべくして、騶牙先づ見る。其の歯は前後一の若く、斉等にして牙無し。故に之を騶牙と謂ふ」と。其の後一歳所にして、匈奴の混邪王果たして十万の衆を将ゐて来たりて漢に降る。乃ち復た東方生に銭財を賜ふこと甚だ多し。老に至り、朔且に死せんとする時、諫めて曰く、「詩に云ふ、『営営たる青蠅、蕃に止まる。愷悌の君子、讒言を信ずる無かれ。讒言極まり罔く、交々四国を乱す』と。願はくは陛下巧佞を遠ざけ、讒言を退けよ」と。帝曰く、「今顧みるに東方朔多く善言するか」と。之を怪しむ。居ること幾何も無く、朔果たして病みて死す。伝に曰く、「鳥の将に死なんとするや、其の鳴くや哀し。人の将に死なんとするや、其の言ふや善し」と。此の謂ひなり。武帝の時、大将軍衛青なる者は衛后の兄なり。封ぜられて長平侯と為る。軍に従ひて匈奴を撃ち、余吾水の上に至りて還る。斬首捕虜し、功有りて来たり帰る。詔して金千斤を賜ふ。将軍宮門を出づるに、斉人東郭先生、方士を以て公車に待詔し、道に当たりて衛将軍の車を遮り、拝謁して曰く、「願はくは事を白さん」と。将軍車を前に止む。東郭先生、車に旁(そ)ひて言ひて曰く、「王夫人新たに上に幸を得たるも、家貧し。今将軍金千斤を得たり。誠に其の半ばを以て王夫人の親に賜はば、人主之を聞きて必ず喜ばん。此れ所謂奇策便計なり」と。衛将軍之に謝して曰く、「先生幸ひに之に告ぐるに便計を以てす。請ふ、教へを奉ぜん」と。是に於いて衛将軍乃ち五百金を以て王夫人の親の寿と為す。王夫人以て武帝に聞す。帝曰く、「大将軍は此を為すを知らず」と。
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史記 滑稽列伝褚先生曰く、臣、幸ひに経術を以て郎と為るを得て、而して好みて外家の伝語を読む。窃かに遜譲せず、復た故事滑稽の語六章を作り、之を左に編む。以て覧観して意を揚ぐ可く、以て後世の好事の者に示して之を読ましめ、以て心を游ばせ耳を駭かし、以て上方の太史公の三章に附益す。武帝の時、幸する所の倡、郭舎人なる者有り。言を発し辞を陳ぶること大道に合はずと雖も、然れども人主をして和説せしむ。武帝少き時、東武侯の母常に帝を養ふ。帝壮なる時、之を号して大乳母と曰ふ。率ね一月に再び朝す。朝奏入るに、詔有りて幸臣馬游卿をして帛五十匹を以て乳母に賜ひ、又飲糒飱を奉じて乳母を養はしむ。乳母上書して曰く、「某所に公田有り、願はくは之を仮倩するを得ん」と。帝曰く、「乳母之を得んと欲するか」と。以て乳母に賜ふ。乳母の言ふ所、未だ嘗て聴かれざるはあらず。詔有りて乳母をして車に乗りて馳道の中を行かしむるを得。此の時に当たりて、公卿大臣皆乳母を敬重す。乳母の家の子孫奴従の者、長安の中に横暴し、道に当たりて人の車馬を掣頓し、人の衣服を奪ふ。中に聞こゆるも、之を法に致すに忍びず。有司、乳母の家室を徙し、之を辺に処らしめんと請ふ。奏可とせらる。乳母当に入りて前に至り、面見して辞すべし。乳母先づ郭舎人に見え、為に下りて泣く。舎人曰く、「即し入りて見え辞して去らば、疾歩して数々還顧せよ」と。乳母其の言の如くし、謝して去り、疾歩して数々還顧す。郭舎人疾言して之を罵りて曰く、「咄、老女子、何ぞ疾く行かざる。陛下已に壮なり。寧ろ尚ほ汝の乳を須ちて活きんや。尚ほ何ぞ還顧する」と。是に於いて人主憐れみて之を悲しみ、乃ち詔を下して止めて乳母を徙す無からしめ、之を譖する者を罰謫す。武帝の時、斉人に東方生、名は朔なる有り。古伝の書を好み、経術を愛するを以て、多く外家の語を博観する所あり。朔初めて長安に入り、公車に至りて上書す。凡そ三千の奏牘を用ふ。
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史記 滑稽列伝彼も一時なり、此も一時なり。豈に同じくす可けんや。夫れ張儀・蘇秦の時は、周室大いに壊れ、諸侯朝せず、力政して権を争ひ、相禽にするに兵を以てし、并せて十二国と為り、未だ雌雄有らず。士を得る者は彊く、士を失ふ者は亡ぶ。故に説聴かれ行ひ通じ、身は尊位に処り、沢後世に及び、子孫長く栄ゆ。今は然らざるなり。聖帝上に在り、徳天下に流れ、諸侯賓服し、威四夷を振るはし、四海の外を連ねて以て帯と為し、覆盂よりも安く、天下平均にして、合して一家と為る。動発して事を挙ぐること、猶ほ之を掌中に運らすが如し。賢と不肖と、何を以て異ならんや。方今、天下の大、士民の衆きを以て、精を竭くし説を馳せ、並び進みて輻湊する者、勝げて数ふ可からず。力を悉くし義を慕ひ、衣食に困しみ、或いは門戸を失ふ。張儀・蘇秦をして僕と並びて今の世に生まれしめば、曾ち掌故を得る能はず、安くんぞ敢へて常侍侍郎を望まんや。伝に曰く、『天下に害菑無ければ、聖人有りと雖も、其の才を施す所無し。上下和同すれば、賢者有りと雖も、功を立つる所無し』と。故に曰く、時異なれば則ち事異なると。然りと雖も、安くんぞ以て身を修むるを務めざる可けんや。詩に曰く、『鐘を宮に鼓すれば、声外に聞こゆ。鶴九皋に鳴けば、声天に聞こゆ』と。苟も能く身を修めば、何ぞ栄えざるを患へん。太公は躬ら仁義を行ふこと七十二年、文王に逢ひ、其の説を行ふを得て、斉に封ぜられ、七百歳にして絶えず。此れ士の日夜孜孜として、学を修め道を行ひ、敢へて止まざる所以なり。今の世の処士は、時に用ひられずと雖も、崛然として独立し、塊然として独処し、上は許由を観、下は接輿を察し、策は范蠡に同じく、忠は子胥に合ひ、天下和平にして、義と相扶け、偶寡なく徒少なきは、固より其の常なり。子何ぞ余を疑はんや」と。是に於いて諸先生黙然として以て応ふる無きなり。建章宮の後閤の重櫟の中に物有りて出づ。其の状麋に似たり。以て聞す。武帝往きて臨みて之を視る。
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史記 滑稽列伝之に安くにか計策を受けたるを問ふ。対へて曰く、「之を待詔の者東郭先生に受く」と。詔して東郭先生を召し、拝して以て郡都尉と為す。東郭先生、久しく公車に待詔し、貧困饑寒にして、衣敝れ、履完からず。雪中を行くに、履上有りて下無く、足尽く地を践む。道中の人之を笑ふ。東郭先生之に応へて曰く、「誰か能く履きて雪中を行き、人をして之を視しむるに、其の上は履なるも、其の履の下の処は乃ち人の足に似たる者あらんや」と。其の拝せられて二千石と為るに及び、青緺を佩びて宮門を出で、行きて主人に謝す。故に以て官を同じくして待詔せし所の者、等比して都門の外に祖道す。道路に栄華あり、名を当世に立つ。此れ所謂褐を衣て宝を懐く者なり。其の貧困の時に当たりては、人省視する莫し。其の貴きに至るや、乃ち争ひて之に附く。諺に曰く、「馬を相するに之を痩に失ひ、士を相するに之を貧に失ふ」と。其れ此の謂ひか。王夫人病甚だし。人主至りて自ら往きて之に問ひて曰く、「子当に王と為るべし。安くにか之を置かんと欲する」と。対へて曰く、「願はくは洛陽に居らしめん」と。人主曰く、「不可なり。洛陽には武庫・敖倉有り、関口に当たり、天下の咽喉なり。先帝より以来、伝へて為に王を置かず。然れども関東の国は斉より大なるは莫し。以て斉王と為す可し」と。王夫人手を以て頭を撃ち、幸甚と呼ぶ。王夫人死す。号して斉王の太后薨ずと曰ふ。昔者、斉王、淳于髡をして鵠を楚に献ぜしむ。邑門を出で、道にて其の鵠を飛ばし、徒だ空籠を掲げ、詐を造り辞を成し、往きて楚王に見えて曰く、「斉王、臣をして来たりて鵠を献ぜしむ。水上を過ぎるに、鵠の渇くに忍びず、出だして之に飲ましむるに、我を去りて飛び亡ぐ。吾、腹を刺し頸を絞りて死なんと欲す。人の吾が王を議して、鳥獣の故を以て士をして自ら傷殺せしむと為さんことを恐る。鵠は毛物にして相類する者多し。吾買ひて之に代へんと欲すれども、是れ信ならずして吾が王を欺くなり。他国に赴きて奔亡せんと欲すれども、吾が両主の使ひの通ぜざるを痛む。故に来たりて過ちに服し、叩頭して罪を大王に受く」と。
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史記 張釈之馮唐列伝釈之従ひて行き、虎圏に登る。上、上林尉に諸々の禽獣の簿を問ふこと、十余問。尉左右を視て、尽く対ふること能はず。虎圏の嗇夫(しよくふ)旁らより尉に代はりて、上の問ふ所の禽獣の簿に対ふること甚だ悉くす。以て其の能く口対して響きの応ずるがごとく窮まり無きを観しめんと欲す。文帝曰く、「吏は当に是くの若くならざるべけんや。尉は無頼なり」と。乃ち釈之に詔して嗇夫を拝して上林の令と為さしむ。釈之之を久しくして前みて曰く、「陛下は絳侯周勃を以て何如なる人と為すや」と。上曰く、「長者なり」と。又復た問ふ、「東陽侯張相如は何如なる人ぞや」と。上復た曰く、「長者なり」と。釈之曰く、「夫れ絳侯・東陽侯は称して長者と為す。此の両人は事を言ふに曾て口より出だすこと能はず。豈に此の嗇夫の諜諜として利口捷給なるに斅(なら)はんや。且つ秦は刀筆の吏に任ずるを以て、吏争ひて亟疾苛察を以て相高くす。然れども其の敝は徒に文具はるのみにして、惻隠の実無し。故を以て其の過ちを聞かず、陵遅して二世に至り、天下土崩す。今陛下、嗇夫の口弁なるを以て之を超遷せば、臣恐らくは天下風に随ひて靡靡として、争ひて口弁を為して其の実無からん。且つ下の上に化するは景響よりも疾し。挙錯は審らかにせざるべからざるなり」と。文帝曰く、「善し」と。乃ち止めて嗇夫を拝せず。
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史記 外戚世家褚先生曰く、丈夫は龍変す。伝に曰く、「蛇化して龍と為るも、其の文を変ぜず。家化して国と為るも、其の姓を変ぜず」と。丈夫当時富貴なれば、百悪滅除し、光耀栄華、貧賤の時何ぞ之を累すに足らんや。武帝の時、夫人尹婕妤を幸す。邢夫人は娙娥と号す、衆人之を「娙何」と謂ふ。娙何の秩は中二千石に比し、容華の秩は二千石に比し、婕妤の秩は列侯に比す。常に婕妤より遷りて皇后と為る。尹夫人と邢夫人と同時に并びに幸せられ、詔有りて相見るを得ず。尹夫人自ら武帝に請ひ、邢夫人を望見せんことを願ふ、帝之を許す。即ち他の夫人をして飾らしめ、従ふ御者数十人、邢夫人と為りて来たり前ましむ。尹夫人前みて之を見て、曰く、「此れ邢夫人の身に非ざるなり」と。帝曰く、「何を以て之を言ふ」と。対へて曰く、「其の身貌形状を視るに、以て人主に当たるに足らざるなり」と。是に於て帝乃ち詔して邢夫人をして故衣を衣て、独身にて来たり前ましむ。尹夫人之を望み見て、曰く、「此れ真に是なり」と。是に於て乃ち低頭し俛して泣き、自ら其の如かざるを痛む。諺に曰く、「美女室に入れば、悪女の仇なり」と。褚先生曰く、浴するは必ずしも江海ならず、之を要するに垢を去るなり。馬は必ずしも騏驥ならず、之を要するに善く走るなり。士は必ずしも世に賢ならず、之を要するに道を知るなり。女は必ずしも貴種ならず、之を要するに貞好なり。伝に曰く、「女は美悪と無く、室に入れば妬まる。士は賢不肖と無く、朝に入れば嫉まる」と。美女は、悪女の仇なり。豈に然らずや。鉤弋夫人は姓は趙氏、河間の人なり。武帝に幸せらるるを得て、子一人を生む、昭帝是なり。武帝年七十にして、乃ち昭帝を生む。昭帝立つ時、年五歳のみ。衛太子廃せられて後、未だ復た太子を立てず。而して燕王旦上書して、国を帰して入りて宿衛せんことを願ふ。武帝怒り、立ちどころに其の使者を北闕に斬る。上甘泉宮に居り、画工を召して周公の成王を負ふを図画せしむ。
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