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史記 / 滑稽列伝

褚先生曰:臣幸得以經術為郎,而好讀外家傳語。竊不遜讓,復作故事滑稽之語六章,編之於左。可以覽觀揚意,以示後世好事者讀之,以游心駭耳,以附益上方太史公之三章。武帝時有所幸倡郭舍人者,發言陳辭雖不合大道,然令人主和說。武帝少時,東武侯母常養帝,帝壯時,號之曰「大乳母」。率一月再朝。朝奏入,有詔使幸臣馬游卿以帛五十匹賜乳母,又奉飲糒飱養乳母。乳母上書曰:「某所有公田,願得假倩之。」帝曰:「乳母欲得之乎?」以賜乳母。乳母所言,未嘗不聽。有詔得令乳母乘車行馳道中。當此之時,公卿大臣皆敬重乳母。乳母家子孫奴從者橫暴長安中,當道掣頓人車馬,奪人衣服。聞於中,不忍致之法。有司請徙乳母家室,處之於邊。奏可。乳母當入至前,面見辭。乳母先見郭舍人,為下泣。舍人曰:「即入見辭去,疾步數還顧。」乳母如其言,謝去,疾步數還顧。郭舍人疾言罵之曰:「咄!老女子!何不疾行!陛下已壯矣,寧尚須汝乳而活邪?尚何還顧!」於是人主憐焉悲之,乃下詔止無徙乳母,罰謫譖之者。武帝時,齊人有東方生名朔,以好古傳書,愛經術,多所博觀外家之語。朔初入長安,至公車上書,凡用三千奏牘。

新字:褚先生曰:臣幸得以経術為郎,而好読外家伝語。窃不遜譲,復作故事滑稽之語六章,編之於左。可以覧観揚意,以示後世好事者読之,以游心駭耳,以附益上方太史公之三章。武帝時有所幸倡郭舎人者,発言陳辞雖不合大道,然令人主和説。武帝少時,東武侯母常養帝,帝壮時,号之曰「大乳母」。率一月再朝。朝奏入,有詔使幸臣馬游卿以帛五十匹賜乳母,又奉飲糒飱養乳母。乳母上書曰:「某所有公田,願得仮倩之。」帝曰:「乳母欲得之乎?」以賜乳母。乳母所言,未嘗不聴。有詔得令乳母乗車行馳道中。当此之時,公卿大臣皆敬重乳母。乳母家子孫奴従者横暴長安中,当道掣頓人車馬,奪人衣服。聞於中,不忍致之法。有司請徙乳母家室,処之於辺。奏可。乳母当入至前,面見辞。乳母先見郭舎人,為下泣。舎人曰:「即入見辞去,疾歩数還顧。」乳母如其言,謝去,疾歩数還顧。郭舎人疾言罵之曰:「咄!老女子!何不疾行!陛下已壮矣,寧尚須汝乳而活邪?尚何還顧!」於是人主憐焉悲之,乃下詔止無徙乳母,罰謫譖之者。武帝時,斉人有東方生名朔,以好古伝書,愛経術,多所博観外家之語。朔初入長安,至公車上書,凡用三千奏牘。

書き下し

褚先生曰く、臣、幸ひに経術を以て郎と為るを得て、而して好みて外家の伝語を読む。窃かに遜譲せず、復た故事滑稽の語六章を作り、之を左に編む。以て覧観して意を揚ぐ可く、以て後世の好事の者に示して之を読ましめ、以て心を游ばせ耳を駭かし、以て上方の太史公の三章に附益す。武帝の時、幸する所の倡、郭舎人なる者有り。言を発し辞を陳ぶること大道に合はずと雖も、然れども人主をして和説せしむ。武帝少き時、東武侯の母常に帝を養ふ。帝壮なる時、之を号して大乳母と曰ふ。率ね一月に再び朝す。朝奏入るに、詔有りて幸臣馬游卿をして帛五十匹を以て乳母に賜ひ、又飲糒飱を奉じて乳母を養はしむ。乳母上書して曰く、「某所に公田有り、願はくは之を仮倩するを得ん」と。帝曰く、「乳母之を得んと欲するか」と。以て乳母に賜ふ。乳母の言ふ所、未だ嘗て聴かれざるはあらず。詔有りて乳母をして車に乗りて馳道の中を行かしむるを得。此の時に当たりて、公卿大臣皆乳母を敬重す。乳母の家の子孫奴従の者、長安の中に横暴し、道に当たりて人の車馬を掣頓し、人の衣服を奪ふ。中に聞こゆるも、之を法に致すに忍びず。有司、乳母の家室を徙し、之を辺に処らしめんと請ふ。奏可とせらる。乳母当に入りて前に至り、面見して辞すべし。乳母先づ郭舎人に見え、為に下りて泣く。舎人曰く、「即し入りて見え辞して去らば、疾歩して数々還顧せよ」と。乳母其の言の如くし、謝して去り、疾歩して数々還顧す。郭舎人疾言して之を罵りて曰く、「咄、老女子、何ぞ疾く行かざる。陛下已に壮なり。寧ろ尚ほ汝の乳を須ちて活きんや。尚ほ何ぞ還顧する」と。是に於いて人主憐れみて之を悲しみ、乃ち詔を下して止めて乳母を徙す無からしめ、之を譖する者を罰謫す。武帝の時、斉人に東方生、名は朔なる有り。古伝の書を好み、経術を愛するを以て、多く外家の語を博観する所あり。朔初めて長安に入り、公車に至りて上書す。凡そ三千の奏牘を用ふ。

現代語訳

褚先生(褚少孫)は言う。私は幸いにも経学の学識によって郎官となることができ、正史以外の伝記や言い伝えを読むのが好きであった。僭越ながら、さらに昔の滑稽な話を六章作り、左に編んだ。読めば心を晴らすことができ、後世の物好きな人々に読ませて、心を遊ばせ耳を驚かせ、前にある太史公の三章に付け加えるものである。武帝の時代に、寵愛された芸人で郭舎人という者がいた。言うことや話すことは大道にかなうものではなかったが、君主を和ませ喜ばせた。武帝が幼いころ、東武侯の母がいつも帝を育てていた。帝が成人すると、彼女を「大乳母」と呼んだ。だいたい月に二度参内した。参内の知らせが入ると、詔によって寵臣の馬游卿(ばゆうけい)に絹五十匹を乳母に与えさせ、また飲み物や干し飯、食事を差し上げて乳母をもてなさせた。乳母が上書して言った。「どこそこに公田があるので、それを借り受けたい」。帝は「乳母はそれが欲しいのか」と言って、乳母に与えた。乳母の言うことは聞き入れられないことがなかった。詔によって、乳母は車に乗って天子専用の馳道を通ることを許された。この時、公卿大臣はみな乳母を敬い重んじた。乳母の家の子や孫、召使いや従者たちは長安の中で横暴にふるまい、道の真ん中で人の車馬を引き止め、人の衣服を奪った。そのことは宮中に聞こえたが、帝は彼らを法で罰するのが忍びなかった。役人が乳母の一家を辺境に移すよう願い出て、裁可された。乳母は参内して帝の前に出て、直接いとまごいをすることになった。乳母は先に郭舎人に会い、彼のために泣いた。郭舎人は言った。「参内していとまごいをして下がるとき、足早に歩きながら何度も振り返りなさい」。乳母は言われたとおりに、礼を述べて下がり、足早に歩きながら何度も振り返った。郭舎人は激しい口調で乳母を罵った。「こら、婆さん、なぜさっさと行かないのか。陛下はもう大人だ。まだおまえの乳で生きているとでもいうのか。何を振り返っているのだ」。すると帝は乳母を哀れに思って悲しみ、詔を下して乳母の移住を取りやめさせ、乳母を讒言した者を罰した。武帝の時代、斉の人で東方先生、名を朔という者がいた。古い伝記の書物を好み、経学を愛して、正史以外の書物も広く読んでいた。東方朔は初めて長安に入ると、公車(上書を受け付ける役所)に行って上書したが、使った書き板は全部で三千枚であった。

解説

ここから先は、前漢の褚少孫が補った部分です。褚少孫は、司馬遷の書いた三人に加えて、自分が集めた滑稽な話六章を付け足すと断っています。最初の郭舎人の話では、武帝の乳母の一族が横暴を働いて辺境へ移されそうになったとき、郭舎人がわざと乳母を罵り、武帝の情に訴えて処分を撤回させました。乳母への恩と法の筋との間で揺れる武帝の心を読み、叱る芝居で逆に同情を引き出した巧みな手です。ただし、横暴な一族が罰を免れ、讒言した者が罰せられたという結末には、公正さの点で疑問も残ります。続いて東方朔が三千枚の書き板で上書する場面に入ります。人の心を動かす演出は強い力を持ちますが、その力を何のために使うかが問われます。情に訴える手法は、筋の通った目的に使ってこそ価値があるのです。

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