史記 / 滑稽列伝
孔子曰、六藝の治に於けるは一なり。天道恢恢、豈に大ならずや。談言微中すれば、亦た以て紛を解く可し。太史公曰、淳于髡仰ぎて天を大笑して、齊威王横行す。優孟頭を揺るがして歌ひて、負薪者以て封ぜらる。優旃檻に臨みて疾呼して、陛楯半更するを得たり。豈に亦た偉ならずや。
新字:孔子曰、六芸の治に於けるは一なり。天道恢恢、豈に大ならずや。談言微中すれば、亦た以て紛を解く可し。太史公曰、淳于髡仰ぎて天を大笑して、斉威王横行す。優孟頭を揺るがして歌ひて、負薪者以て封ぜらる。優旃檻に臨みて疾呼して、陛楯半更するを得たり。豈に亦た偉ならずや。
書き下し
孔子曰く、「六藝の治に於けるは一なり」と。天道恢恢たり、豈に大ならずや。談言微中すれば、亦た以て紛を解く可し。太史公曰く、淳于髡仰ぎて天を大笑して、齊威王横行す。優孟頭を揺るがして歌ひて、負薪者以て封ぜらる。優旃檻に臨みて疾呼して、陛楯半更するを得たり。豈に亦た偉ならずや。
現代語訳
「さりげない一言が的を射れば、こじれた問題さえ解きほぐせる」——機知に富む人々の働きを、司馬遷が讃える、この篇の結びです。司馬遷は、まずこの篇の主題を掲げます。「天の道は、広く大きい(天道恢恢)。実に大いなるものではないか。(正面からの堅苦しい議論だけでなく)さりげない談笑の中の一言が、うまく的を射れば(談言微中)、それによって、こじれた紛争さえも解きほぐすことができる(亦可以解紛)」と。堅苦しい正論だけが物事を動かすのではない。機知に富んだ、さりげない一言が、時に大きな働きをするのだ、というのです。そして、この篇で描いた三人の働きを、簡潔に振り返って讃えます。「淳于髡は、天を仰いで大笑いしてみせただけで、(王に贈り物を増やさせ、援軍を得て)齊の威王を天下に雄飛させた。優孟は、頭を揺すって歌ってみせただけで、(不遇だった宰相・孫叔敖の遺児を救い)薪売りに身を落としていた者を、領主に取り立てさせた。優旃は、欄干に身を乗り出して大声で叫んでみせただけで、雨に凍える衛士たちを、交代で休ませることができた」と。彼らは、権力も地位も持たない、一介の弁士や芸人でした。それでも、その機知に富んだ一言、一つの振る舞いが、王を動かし、人を救い、無謀を止めた。「なんと、見事なものではないか(豈不亦偉哉)」と、司馬遷は讃えるのです。ここに、言葉と機知の力についての教訓があります。第一に、堅苦しい正論や、権力・地位だけが、物事を動かすのではないということ。機知に富んだ、さりげない一言が、時に、正面からの議論以上の力を発揮する(談言微中、亦可以解紛)。第二に、その言葉が力を持つのは、単に面白いからではなく、それが「的を射て(微中)」いるから、つまり物事の本質や急所を、的確に突いているからだということ。ユーモアの奥に、鋭い洞察と道理がなければ、人は動かない。第三に、権力や地位を持たない者でも、機知と洞察があれば、王を動かし、人を救い、大きな働きをなしうるということ。組織や人生で、正論や権力だけでなく機知に富んだ言葉が物事を動かす力を持つと知ること、その言葉が本質や急所を的確に突いてこそ力を持つと理解すること、そして地位がなくとも機知と洞察で大きな働きをなしうると信じること——司馬遷のこの結びは、的を射た言葉と機知の力を、鮮やかに教えます。