史記 / 滑稽列伝
居無何,二世殺死,優旃歸漢,數年而卒。
新字:居無何,二世殺死,優旃帰漢,数年而卒。
書き下し
居ること何も無くして、二世殺死せられ、優旃漢に帰し、数年にして卒す。
現代語訳
それから間もなく、二世皇帝が殺され、優旃は漢に帰順し、数年後に亡くなった。
解説
秦の芸人優旃の最後を記す短い一文です。優旃は背が極めて低い小人の芸人でしたが、秦の始皇帝と二世皇帝に仕え、笑いによって二人の暴政を和らげました。雨の中で震える衛兵を半数ずつ交代で休ませたり、始皇帝が狩り場を大きく広げようとしたのを「鹿に敵を防がせればよい」と茶化して思いとどまらせたりしています。二世皇帝が城壁に漆を塗ろうとしたときには、「漆を乾かす陰室を作るのが大変だ」と笑って中止させました。この段は、その直後に二世が殺され、優旃が漢に帰順して生涯を終えたことを伝えます。暴君のもとでも命を保ち、周りの人々を守り続けた優旃の生き方は、強い権力と向き合う知恵を示しています。正面衝突を避けながらも、言うべきことを言う。その柔らかな抵抗が、厳しい組織の中で人を守る力になるのです。
関連する章句
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史記 滑稽列伝優旃は、秦の倡侏儒なり。善く笑言を為し、然れども大道に合す。始皇の時、酒を置きて天雨ふり、陛楯者皆沾ひて寒し。優旃之を哀れみ、之に謂ひて曰く、「汝休まんと欲するか」と。陛楯者皆曰く、「幸甚」と。優旃曰く、「我即ち汝を呼ばば、汝疾く応へて諾と曰へ」と。頃く有りて、殿上寿を上げて万歳と呼ぶ。優旃檻に臨みて大呼して曰く、「陛楯郎」と。郎曰く、「諾」と。優旃曰く、「汝長しと雖も、何の益かあらん、幸に雨に立つ。我短しと雖も、幸に休居す」と。是に於て始皇陛楯者をして半ば相代はるを得しむ。二世立ち、又其の城を漆せんと欲す。優旃曰く、「善し。漆城蕩蕩として、寇来たるも上る能はず。即ち之を就さんと欲すれば、漆を為すは易きのみ、顧た蔭室を為り難し」と。是に於て二世之を笑ひ、以て其の故に止む。
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史記 滑稽列伝太史公曰く、淳于髡、天を仰ぎて大笑して、斉の威王横行す。優孟、頭を揺るがして歌ひて、負薪の者以て封ぜらる。優旃、檻に臨みて疾呼して、陛楯以て半ば更はるを得たり。豈に亦偉ならずや。
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史記 滑稽列伝宗室酒を置くに、髡嘗て側に在り。其の後百余年、楚に優孟有り。優孟は故の楚の楽人なり。長八尺、多弁にして、常に談笑を以て諷諫す。
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史記 秦始皇本紀禹龍門を鑿ち、大夏に通じ、河を決して水を亭め、之を海に放ち、身自ら築臿を持し、脛に毛毋し。臣虜の労も此より烈しからず』と。凡そ天下を有つことを貴ぶ所以の者は、意を肆にし欲を極むることを得、主は明法を重んじ、下は敢へて非を為さず、以て海内を制御すればなり。夫れ虞・夏の主は、貴きこと天子為るも、親ら窮苦の実に処りて、以て百姓に徇ふ。尚ほ何ぞ法に於てせん。朕は万乗を尊ぶも、其の実毋し。吾千乗の駕、万乗の属を造り、吾が号名を充たさんと欲す。且つ先帝は諸侯より起こり、天下を兼ね、天下已に定まり、外は四夷を攘ひて以て辺竟を安んじ、宮室を作りて以て意を得たるを章らかにす。而して君は先帝の功業の緒有るを観る。今朕位に即きて二年の間、群盗并び起こるも、君禁ずる能はず、又先帝の為す所を罷めんと欲す。是れ上は以て先帝に報ゆる毋く、次は朕の為に忠力を尽くさず。何を以て位に在らんや」と。去疾・斯・劫を吏に下し、他罪を案責す。去疾・劫曰く、「将相は辱められず」と。自殺す。斯卒に囚はれ、五刑に就く。三年、章邯等其の卒を将ゐて鉅鹿を囲む。楚の上将軍項羽楚の卒を将ゐて往きて鉅鹿を救ふ。冬、趙高丞相と為り、竟に李斯を案じて之を殺す。夏、章邯等戦ひて数却く。二世人をして邯を譲めしむ。邯恐れ、長史欣をして事を請はしむ。趙高見ず、又信ぜず。欣恐れ、亡げ去る。高人をして捕追せしむるも及ばず。欣邯に見えて曰く、「趙高中に事を用ゐる。将軍功有るも亦誅せられ、功無きも亦誅せられん」と。項羽急に秦の軍を撃ち、王離を虜にす。邯等遂に兵を以て諸侯に降る。八月己亥、趙高乱を為さんと欲するも、群臣の聴かざらんことを恐れ、乃ち先づ験を設け、鹿を持ちて二世に献じ、曰く、「馬なり」と。二世笑ひて曰く、「丞相誤れるか、鹿を謂ひて馬と為す」と。左右に問ふ。左右或いは默し、或いは馬と言ひて以て趙高に阿順す。或いは鹿と言ふ。高因りて陰かに諸の鹿と言ふ者を中つるに法を以てす。後群臣皆高を畏る。
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史記 李斯列伝高自ら権の重きを知り、乃ち鹿を献じて、之を馬と謂ふ。二世左右に問ふ、「此れ乃ち鹿なるか」と。左右皆曰く「馬なり」と。二世驚き、自ら以て惑へりと為し、乃ち太卜を召して之を卦せしむ。太卜曰く、「陛下春秋に郊祀し、宗廟鬼神を奉ずるに、斎戒明らかならず。故に此に至る。盛徳に依りて斎戒を明らかにすべし」と。是に於て乃ち上林に入りて斎戒す。日に游弋猟す。行人の上林中に入る有り。二世自ら射て之を殺す。趙高其の女婿咸陽の令閻楽をして、何人かの人を賊殺して上林に移せしを知らずと劾せしむ。高乃ち二世を諫めて曰く、「天子故無くして不辜の人を賊殺するは、此れ上帝の禁なり。鬼神享けず、天且に殃を降さんとす。当に宮を遠く避けて以て之を禳ふべし」と。二世乃ち出でて望夷の宮に居る。留まること三日、趙高詐りて衛士に詔し、士をして皆素服して兵を持ちて内に郷はしめ、入りて二世に告げて曰く、「山東の群盗の兵大いに至る」と。二世上りて観て之を見、恐懼す。高既に因りて劫かして自殺せしむ。璽を引きて之を佩ぶ。左右百官従ふ莫し。殿に上れば、殿壊れんと欲する者三たび。高自ら天の与せず、群臣の許さざるを知り、乃ち始皇の弟を召し、之に璽を授く。子嬰既に位につき、之を患へ、乃ち疾と称して事を聴かず、宦者韓談及び其の子と高を殺さんことを謀る。高上謁して、病を請ふ。因りて召し入れ、韓談をして刺して之を殺さしめ、其の三族を夷す。子嬰立ちて三月、沛公の兵武関より入り、咸陽に至る。群臣百官皆畔き、適はず。子嬰妻子と自ら其の頸に系くるに組を以てし、軹道の旁に降る。沛公因りて以て吏に属す。項王至りて之を斬る。遂に以て天下を亡ふ。
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史記 滑稽列伝楚荘王の時、愛する所の馬有り、之を衣するに文繡を以てし、馬病肥して死す、群臣をして之を喪せしめ、棺槨大夫の礼を以て之を葬らんと欲す。王下令して曰く、「敢へて馬を以て諫むる者有らば、罪死に至らん」と。優孟聞き、殿門に入り、仰ぎて天を大哭す。王驚きて其の故を問ふ。優孟曰く、「馬は王の愛する所なり、大夫の礼を以て之を葬るは、薄し、請ふ人君の礼を以て之を葬らん。諸侯之を聞かば、皆大王の人を賤しみて馬を貴ぶを知らん」と。王曰く、「寡人の過一に此に至るか」と。
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