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史記 / 酷吏列伝

於是聞有逮皆亡匿。獄久者至更數赦十有餘歳而相告言,大抵盡詆以不道以上。廷尉及中都官詔獄逮至六七萬人,吏所增加十萬餘人。周中廢,後爲執金時,逐盜,捕治桑弘羊、衞皇后昆弟子刻深,天子以爲盡力無私,遷爲御史大夫。家兩子,夾河爲守。其治暴酷皆甚於王温舒等矣。杜周初徴爲廷史,有一馬,且不全;及身久任事,至三公列,子孫尊官,家訾累數巨萬矣。

新字:於是聞有逮皆亡匿。獄久者至更数赦十有余歳而相告言,大抵尽詆以不道以上。廷尉及中都官詔獄逮至六七万人,吏所增加十万余人。周中廃,後為執金時,逐盗,捕治桑弘羊、衛皇后昆弟子刻深,天子以為尽力無私,遷為御史大夫。家両子,夾河為守。其治暴酷皆甚於王温舒等矣。杜周初徴為廷史,有一馬,且不全;及身久任事,至三公列,子孫尊官,家訾累数巨万矣。

書き下し

是に於て逮有るを聞けば皆亡げ匿る。獄の久しき者は数々の赦を更ること十有余歳に至りて相告言す、大抵尽く詆るに不道以上を以てす。廷尉及び中都官の詔獄の逮至ること六七万人、吏の増加する所十万余人。周中ごろ廃せられ、後に執金時為り、盗を逐ひ、桑弘羊・衛皇后の昆弟の子を捕へ治むること刻深なり、天子以て力を尽くして私無しと為し、遷りて御史大夫と為る。家の両子、河を夾みて守と為る。其の治暴酷なること皆王温舒等より甚し。杜周初め徴されて廷史と為りしとき、一馬有り、且つ全からず。身久しく事に任じ、三公の列に至るに及び、子孫尊官にして、家訾数巨万を累ぬ。

現代語訳

そのため逮捕状が出たと聞くと、人々はみな逃げ隠れた。獄に長くつながれた者は、何度も大赦を経て十余年たっても、互いに告発し合い、たいていはみな不道以上の重罪に陥れられた。廷尉と中都官の詔獄に逮捕されて送られた者は六、七万人に上り、役人が付け加えた者は十万余人に及んだ。杜周は途中で罷免されたが、後に執金吾(都の警察長官)となり、盗賊を追い、桑弘羊や衛皇后の兄弟の子を捕らえて取り調べるのに苛酷であったので、天子は力を尽くして私心がないと考え、御史大夫に昇進させた。家の二人の息子は、黄河を挟んで両岸の郡の太守となった。その統治の乱暴さと苛酷さは、いずれも王温舒らよりもひどかった。杜周が初めて召されて廷史となったときは、馬が一頭あるだけで、しかもその馬は満足なものではなかった。長く職務を務めて三公の列に至ると、子孫は高い官職に就き、家の財産は数巨万を重ねるほどになった。

解説

酷吏列伝の本文の結びとなる杜周の後半生です。杜周の時代には、逮捕状が出たと聞くだけで人々は逃げ隠れ、獄では十年以上も告発が続き、詔獄に送られた者は六、七万人、役人が付け加えた者は十万余人に上りました。杜周は皇后の一族や桑弘羊のような権力者にも容赦しなかったことで「私心がない」と評価され、御史大夫にまで上り、二人の息子も黄河を挟んだ両岸の郡の太守になります。そして司馬遷は最後に、杜周が廷史になったときは満足な馬一頭しかなかったのに、今や一族は高官となり財産は巨万を重ねたと記して筆を止めます。張湯や尹斉の清貧と対照的な結末で、苛酷さが権力と富に結びついていく様子を、数字の対比だけで鋭く示しています。厳しさが私心のなさを装うことの危うさを教える段です。

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