史記 / 酷吏列伝
謁居病臥閭里主人,湯自往視疾,爲謁居摩足。趙國以冶鑄爲業,王數訟鐵官事,湯常排趙王。趙王求湯陰事。謁居嘗案趙王,趙王怨之,并上書告:「湯,大臣也,史謁居有病,湯至爲摩足,疑與爲大姦。」事下廷尉。謁居病死,事連其弟,弟繋導官。湯亦治他囚導官,見謁居弟,欲陰爲之,而詳不省。謁居弟弗知,怨湯,使人上書告湯與謁居謀,共變告李文。事下減宣。宣嘗與湯有卻,及得此事,窮竟其事,未奏也。會人有盜發孝文園瘞錢,丞相靑翟朝,與湯約倶謝,至前,湯念獨丞相以四時行園,當謝,湯無與也,不謝。丞相謝,上使御史案其事。湯欲致其文丞相見知,丞相患之。三長史皆害湯,欲陷之。始長史朱買臣,會稽人也。讀春秋。莊助使人言買臣,買臣以楚辭與助倶幸,侍中,爲太中大夫,用事;而湯乃爲小吏,跪伏使買臣等前。已而湯爲廷尉,治淮南獄,排擠莊助,買臣固心望。及湯爲御史大夫,買臣以會稽守爲主爵都尉,列於九卿。數年,坐法廢,守長史,見湯,湯坐床上,丞史遇買臣弗爲禮。買臣楚士,深怨,常欲死之。王朝,齊人也。以術至右内史。邊通,學長短,剛暴彊人也,官再至濟南相。故皆居湯右,已而失官,守長史,詘體於湯。
新字:謁居病臥閭里主人,湯自往視疾,為謁居摩足。趙国以冶鋳為業,王数訟鉄官事,湯常排趙王。趙王求湯陰事。謁居嘗案趙王,趙王怨之,并上書告:「湯,大臣也,史謁居有病,湯至為摩足,疑与為大姦。」事下廷尉。謁居病死,事連其弟,弟繋導官。湯亦治他囚導官,見謁居弟,欲陰為之,而詳不省。謁居弟弗知,怨湯,使人上書告湯与謁居謀,共変告李文。事下減宣。宣嘗与湯有却,及得此事,窮竟其事,未奏也。会人有盗発孝文園瘞銭,丞相青翟朝,与湯約倶謝,至前,湯念独丞相以四時行園,当謝,湯無与也,不謝。丞相謝,上使御史案其事。湯欲致其文丞相見知,丞相患之。三長史皆害湯,欲陥之。始長史朱買臣,会稽人也。読春秋。荘助使人言買臣,買臣以楚辞与助倶幸,侍中,為太中大夫,用事;而湯乃為小吏,跪伏使買臣等前。已而湯為廷尉,治淮南獄,排擠荘助,買臣固心望。及湯為御史大夫,買臣以会稽守為主爵都尉,列於九卿。数年,坐法廃,守長史,見湯,湯坐床上,丞史遇買臣弗為礼。買臣楚士,深怨,常欲死之。王朝,斉人也。以術至右内史。辺通,学長短,剛暴彊人也,官再至済南相。故皆居湯右,已而失官,守長史,詘体於湯。
書き下し
謁居病みて閭里の主人に臥す、湯自ら往きて疾を視、謁居の為に足を摩す。趙国は冶鋳を以て業と為す、王数々鉄官の事を訟ふ、湯常に趙王を排す。趙王湯の陰事を求む。謁居嘗て趙王を案ず、趙王之を怨み、并せて上書して告ぐ、「湯は、大臣なり、史謁居病有り、湯至りて為に足を摩す、疑ふらくは与に大姦を為すならん」と。事廷尉に下る。謁居病死す、事其の弟に連なり、弟導官に繋がる。湯も亦他の囚を導官に治む、謁居の弟を見、陰に之が為にせんと欲し、而して詳りて省みず。謁居の弟知らず、湯を怨み、人をして上書して湯と謁居と謀りて、共に李文を変告せしを告げしむ。事減宣に下る。宣嘗て湯と卻有り、此の事を得るに及び、其の事を窮竟するも、未だ奏せざるなり。会々人の孝文園の瘞銭を盗み発く者有り、丞相青翟朝し、湯と約して倶に謝せんとす、前に至り、湯念ふに独り丞相のみ四時を以て園を行る、当に謝すべし、湯は与る無しと、謝せず。丞相謝す、上御史をして其の事を案ぜしむ。湯其の文を丞相の見知に致さんと欲す、丞相之を患ふ。三長史皆湯を害し、之を陥れんと欲す。始め長史朱買臣は、会稽の人なり。春秋を読む。荘助人をして買臣を言はしむ、買臣楚辞を以て助と倶に幸せられ、侍中となり、太中大夫と為りて、事を用ふ。而して湯は乃ち小吏為り、買臣等の前に跪伏して使はる。已にして湯廷尉と為り、淮南の獄を治め、荘助を排擠す、買臣固より心に望む。湯御史大夫と為るに及び、買臣会稽守を以て主爵都尉と為り、九卿に列す。数年にして、法に坐して廃せられ、長史を守す、湯に見ゆるに、湯床上に坐し、丞史買臣を遇して礼を為さず。買臣は楚の士なり、深く怨み、常に之を死なしめんと欲す。王朝は、斉人なり。術を以て右内史に至る。辺通は、長短を学ぶ、剛暴にして彊き人なり、官再び済南の相に至る。故より皆湯の右に居る、已にして官を失ひ、長史を守し、体を湯に詘す。
現代語訳
魯謁居が病気になって町の家主の家で寝ていると、張湯は自ら見舞いに行き、謁居のために足をさすってやった。趙国は製鉄と鋳造を生業としており、趙王はたびたび鉄官(国の製鉄専売の役所)のことで訴えたが、張湯はいつも趙王を退けていた。趙王は張湯の隠し事を探していた。魯謁居はかつて趙王を取り調べたことがあり、趙王は彼を恨んでいたので、あわせて上書して告発した。「張湯は大臣である。属官の魯謁居が病気になると、張湯は出向いて足までさすってやった。二人で大きな悪事を企んでいるのではないか」。事件は廷尉に下された。魯謁居は病死したが、事件はその弟に及び、弟は導官(宮中の米を扱う役所)の獄につながれた。張湯もまた別の囚人を導官で取り調べていたとき、謁居の弟を見かけ、ひそかに助けてやろうと思いながら、わざと知らぬふりをした。謁居の弟はそれとは知らずに張湯を恨み、人をやって上書させ、張湯と謁居が共謀して李文を変事として告発したことを訴えさせた。事件は減宣に下された。減宣はかつて張湯と不仲であったので、この事件を得ると徹底的に追及したが、まだ上奏はしなかった。ちょうどそのころ、孝文帝の陵園に埋められた銭を盗掘した者があった。丞相の荘青翟は朝廷に出て、張湯とともに謝罪しようと約束した。ところが御前に出ると、張湯は、四季ごとに陵園を巡るのは丞相だけだから丞相が謝罪すべきで、自分は関係ないと考え、謝罪しなかった。丞相が謝罪すると、主上は御史にその事件を取り調べさせた。張湯は、丞相が知りながら見逃した罪に当てはめようとしたので、丞相はこれを憂えた。丞相府の三人の長史はみな張湯を憎み、陥れようとした。長史の朱買臣は会稽の人である。『春秋』を読んでいた。荘助が人を通じて朱買臣を推薦し、朱買臣は楚辞によって荘助とともに寵愛を受け、侍中となり、太中大夫となって権勢をふるった。そのころ張湯はまだ下級の役人で、朱買臣らの前にひざまずいて使われていた。やがて張湯は廷尉となり、淮南の獄を裁いて荘助を排斥したので、朱買臣は内心深く恨んでいた。張湯が御史大夫になると、朱買臣は会稽太守から主爵都尉となり、九卿に列した。数年後、法に触れて罷免され、丞相長史を代行することになった。張湯に会いに行くと、張湯は腰掛けに座ったままで、その丞史たちも朱買臣に礼を尽くさなかった。朱買臣は気性の激しい楚の士で、深く恨み、いつも張湯を死に追いやりたいと思っていた。王朝は斉の人である。術策によって右内史に至った。辺通は縦横家の長短の術を学んだ、剛直で荒々しく強い人物で、官は二度済南の相に至った。三人とももとは張湯より上位にいたが、やがて官を失って丞相長史を代行し、張湯に対して身を屈することになったのである。
解説
関連する章句
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史記 酷吏列伝湯数々丞相の事を行ふ、此の三長史の素より貴きを知り、常に之を淩折す。故を以て三長史合謀して曰く、「始め湯君と謝せんことを約し、已にして君を売る。今君を劾するに宗廟の事を以てせんと欲す、此れ君に代はらんと欲するのみ。吾湯の陰事を知る」と。吏をして湯の左の田信等を捕へ案ぜしめ、曰く湯且に奏請せんと欲すれば、信輒ち先に之を知り、物を居へて富を致し、湯と之を分かつと、及び他の姦事あり。事の辞頗る聞こゆ。上湯に問ひて曰く、「吾の為す所、賈人輒ち先に之を知り、益々其の物を居ふ、是れ類ひ吾が謀を以て之に告ぐる者有るなり」と。湯謝せず。湯又詳り驚きて曰く、「固より宜しく有るべし」と。減宣も亦謁居等の事を奏す。天子果して湯を以て詐を懐き面欺すと為し、使ひ八輩をして湯を簿責せしむ。湯具に自ら此れ無しと道ひ、服せず。是に於て上趙禹をして湯を責めしむ。禹至り、湯を譲めて曰く、「君何ぞ分を知らざるや。君の治めて夷滅する所の者幾何人ぞや。今人君を言ふに皆状有り、天子重ねて君を獄に致し、君をして自ら計を為さしめんと欲す、何ぞ多く以て簿に対ふるを為さんや」と。湯乃ち書を為りて謝して曰く、「湯尺寸の功無く、刀筆の吏より起こり、陛下幸ひに致して三公と為す、以て責を塞ぐ無し。然れども謀りて湯を罪に陥るる者は、三長史なり」と。遂に自殺す。湯死し、家産の直五百金に過ぎず、皆得る所の奉賜にして、他の業無し。昆弟諸子厚く湯を葬らんと欲す、湯の母曰く、「湯は天子の大臣為り、汚悪の言を被りて死す、何ぞ厚く葬らんや」と。載するに牛車を以てし、棺有りて槨無し。天子之を聞きて、曰く、「此の母に非ずんば此の子を生むこと能はず」と。乃ち尽く案じて三長史を誅す。丞相青翟自殺す。田信を出だす。上湯を惜しむ。稍く其の子安世を遷す。趙禹中ごろ廃せられ、已にして廷尉と為る。始め条侯以為へらく禹は賊深なりと、任ぜず。禹少府と為るに及び、九卿に比す。禹は酷急なり、晩節に至り、事益々多く、吏務めて厳峻を為す、而して禹の治は加々緩やかにして、名づけて平と為す。
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史記 酷吏列伝父死して後、湯長安の吏と為ること、之を久しくす。周陽侯始め諸卿為りし時、嘗て長安に繋がる、湯身を傾けて之が為にす。出でて侯と為るに及び、大いに湯と交はり、遍く湯を貴人に見えしむ。湯内史に給事し、寧成の掾と為る、湯を以て害無しと為し、大府に言ひ、調して茂陵の尉と為し、方中を治めしむ。武安侯丞相と為り、湯を徴して史と為し、時に之を天子に薦言し、御史に補し、事を案ぜしむ。陳皇后の蠱獄を治め、深く党与を竟む。是に於て上以て能と為し、稍く遷りて太中大夫に至る。趙禹と共に諸律令を定め、務めは文を深くし、職を守るの吏を拘するに在り。已にして趙禹遷りて中尉と為り、徙りて少府と為る、而して張湯廷尉と為る、両人交驩し、而して禹に兄事す。禹人と為り廉倨なり。吏と為りて以来、舎に食客毋し。公卿相造りて禹に請ふも、禹終に報謝せず、務めて知友賓客の請を絶ち、孤立して一意を行ふのみ。文法を見れば輒ち取り、亦覆案せず、官属の陰罪を求む。湯人と為り詐多く、智を舞はして以て人を御す。始め小吏為りしとき、乾没し、長安の富賈田甲・魚翁叔の属と交私す。九卿に列するに及び、天下の名士大夫を収接し、己の心内に合はずと雖も、然れども陽に浮慕す。是の時上方に文学に郷ふ、湯大獄を決し、古義に傅けんと欲し、乃ち博士弟子の尚書・春秋を治むるものを請ひて廷尉史に補し、疑法を亭す。疑事を奏讞するに、必ず豫め先に上の為に其の原を分別し、上の是とする所は、受けて讞決の法を廷尉の絜令に著し、主の明を揚ぐ。事を奏して即し譴めらるれば、湯応じて謝し、上の意の便とする所に郷ひ、必ず正・監・掾史の賢者を引きて、曰く、「固より臣の為に議す、上の臣を責むるが如し、臣用ひず、愚にして此に抵る」と。罪常に釈さる。間々事を奏して、上之を善しとすれば、曰く、「臣此の奏を為るを知るに非ず、乃ち正・監・掾史某之を為る」と。其の吏を薦めんと欲するや、人の善を揚げ人の過ちを蔽ふこと此くの如し。
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史記 酷吏列伝治むる所即し上の意の罪せんと欲する所ならば、監史の深禍なる者に予へ、即し上の意の釈さんと欲する所ならば、監史の軽平なる者に与ふ。治むる所即し豪ならば、必ず文を舞はし巧みに詆る。即し下戸の羸弱ならば、時に口もて言ふ、文もて法を致すと雖も、上財察せよと。是に於て往往にして湯の言ふ所を釈す。湯大吏に至り、内行修まる。賓客に通じて飲食す。故人の子弟の吏為る及び貧しき昆弟に於て、之を調護すること尤も厚し。其の諸公に造り請ふこと、寒暑を避けず。是を以て湯は文深く意忌にして専ら平らかならずと雖も、然れども此の声誉を得たり。而して刻深の吏の多く爪牙の用を為す者は、文学の士に依る。丞相弘数々其の美を称す。淮南・衡山・江都の反獄を治むるに及び、皆根本を窮む。厳助及び伍被、上之を釈さんと欲す。湯争ひて曰く、「伍被は本反謀を画す、而して助は親幸して禁闥に出入する爪牙の臣なり、乃ち諸侯と交私すること此くの如し、誅せずんば、後に治むべからず」と。是に於て上之を論ずるを可とす。其の獄を治めて大臣を排して自ら功と為すこと、多く此の類なり。是に於て湯益々尊任せられ、遷りて御史大夫と為る。会々渾邪等降り、漢大いに兵を興して匈奴を伐つ、山東水旱あり、貧民流徙し、皆給を県官に仰ぐ、県官空虚なり。是に於て上の指を丞け、請ひて白金及び五銖銭を造り、天下の塩鉄を籠め、富商大賈を排し、告緡令を出だし、豪彊并兼の家を鉏き、文を舞はし巧みに詆りて以て法を輔く。湯朝する毎に事を奏し、国家の用を語り、日晏れ、天子食を忘る。丞相は充位を取るのみ、天下の事皆湯に決す。百姓其の生に安んぜず、騒動す、県官の興す所、未だ其の利を獲ず、姦吏并びに侵漁す、是に於て痛く縄するに罪を以てす。則ち公卿以下より、庶人に至るまで、咸湯を指す。湯嘗て病む、天子自ら至りて病を視る、其の隆貴なること此くの如し。匈奴来たりて和親を請ふ、群臣上の前に議す。博士狄山曰く、「和親便なり」と。
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史記 酷吏列伝上其の便を問ふ、山曰く、「兵は凶器なり、未だ数々動かし易からず。高帝匈奴を伐たんと欲し、大いに平城に困しみ、乃ち遂に和親を結ぶ。孝恵・高后の時、天下安楽なり。孝文帝の匈奴を事とせんと欲するに及び、北辺蕭然として兵に苦しむ。孝景の時、呉楚七国反し、景帝両宮の間を往来し、寒心すること数月。呉楚已に破れ、景帝を竟ふるまで兵を言はず、天下富実す。今陛下兵を挙げて匈奴を撃ちてより、中国以て空虚にして、辺民大いに困貧す。此に由りて之を観れば、和親に如かず」と。上湯に問ふ、湯曰く、「此れ愚儒にして、知無し」と。狄山曰く、「臣は固より愚忠なり、御史大夫湯の若きは乃ち詐忠なり。湯の淮南・江都を治むるが若き、深文を以て痛く諸侯を詆り、骨肉を別疎し、蕃臣をして自ら安んぜざらしむ。臣固より湯の詐忠為るを知る」と。是に於て上色を作して曰く、「吾生をして一郡に居らしめば、能く虜をして入りて盗ましむる無からんか」と。曰く、「能はず」と。曰く、「一県に居らしめば」と。対へて曰く、「能はず」と。復た曰く、「一障の間に居らしめば」と。山自ら弁窮まりて且に吏に下されんとするを度り、曰く、「能くせん」と。是に於て上山を遣はして鄣に乗らしむ。月余に至りて、匈奴山の頭を斬りて去る。是より以後、群臣震慴す。湯の客田甲は、賈人なりと雖も、賢操有り。始め湯小吏為りし時、銭を与に通ず、湯大吏と為るに及び、甲の湯の行義の過失を責むる所以、亦烈士の風有り。湯御史大夫為ること七歳にして、敗る。河東の人李文嘗て湯と卻有り、已にして御史中丞と為り、恚りて、数々中の文書の事より以て湯を傷つくべき者有らば、地を為すこと能はず。湯に愛する所の史魯謁居有り、湯の平らかならざるを知り、人をして蜚変を上らしめて文の姦事を告げしむ、事湯に下る、湯治めて文を論殺す、而して湯心に謁居の之を為すを知る。上問ひて曰く、「変事を言ふ縦跡安くより起こる」と。湯詳り驚きて曰く、「此れ殆ど文の故人之を怨むならん」と。
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史記 酷吏列伝数々廃せられ数々起こり、御史及び中丞為ること幾ど二十歳。王温舒中尉を免ぜられ、而して宣左内史と為る。其の米塩を治む、事の大小皆其の手に関はる、自ら県名曹の実物を部署し、官吏令丞擅に揺かすことを得ず、痛く重法を以て之を縄す。官に居ること数年、一切の郡中小治弁を為す、然れども独り宣のみ小を以て大に致し、能く力に因りて之を行ふ、以て経と為し難し。中ごろ廃せらる。右扶風と為り、成信を怨むに坐す、信亡げて上林の中に蔵る、宣郿の令をして信を格殺せしむ、吏卒信を格する時、射て上林苑の門に中つ、宣吏に下されて罪を詆られ、以て大逆と為し、族に当たる、自殺す。而して杜周任用せらる。杜周は、南陽杜衍の人なり。義縦南陽の守為り、以て爪牙と為し、挙げて廷尉史と為す。張湯に事ふ、湯数々其の害無きを言ひ、御史に至る。辺の失亡を案ぜしむ、論殺する所甚だ衆し。事を奏して上の意に中る、任用せられ、減宣と相編み、更々中丞と為ること十余歳。其の治宣と相放ふ、然れども重遅にして、外は寛、内は深く骨に次ぐ。宣左内史為り、周廷尉為り、其の治大いに張湯に放ひて善く候伺す。上の擠さんと欲する所は、因りて之を陥れ、上の釈さんと欲する所は、久しく繋ぎて問を待ちて微かに其の冤状を見す。客周を譲めて曰く、「君天子の為に平を決す、三尺の法に循はず、専ら人主の意指を以て獄を為す。獄は固より是くの如きか」と。周曰く、「三尺安くより出づるや。前主の是とする所は著して律と為し、後主の是とする所は疏して令と為す、当時是と為す、何ぞ古の法ならんや」と。周廷尉と為るに至り、詔獄も亦益々多し。二千石の繋がるる者新故相因り、百余人を減ぜず。郡吏大府之を廷尉に挙ぐ、一歳に千余章に至る。章の大なる者は連逮証案数百、小なる者は数十人。遠き者は数千、近き者は数百里。獄に会し、吏因りて責むること章の告劾の如くし、服せざれば、笞掠を以て之を定む。
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史記 汲鄭列伝張湯方に律令を更定するを以て廷尉為り、黯数々湯を上の前に質責して曰く、「公正卿為り、上は先帝の功業を褒むること能はず、下は天下の邪心を抑ふること能はず、国を安んじ民を富まし、囹圄をして空虚ならしむ、二者一も無し。苦に非ずして行に就き、放析して功に就く、何ぞ乃ち斑皇帝の約束を取りて紛更するを之れ為すや。公此を以て種無からん」と。黯時に湯と論議す、湯の弁常に文深く小苛なるに在り、黯伉厲にして高きを守りて屈すること能はず、忿発して罵りて曰く、「天下謂ふ刀筆の吏は以て公卿と為すべからずと、果して然り。必ず湯ならば、天下をして足を重ねて立ち、目を側めて視しめん」と。是の時、漢方に匈奴を征し、四夷を招懐す。黯事を少なくするに務め、上の間に乗じ、常に胡と和親し、兵を起こす無からんことを言ふ。上方に儒術に向かひ、公孫弘を尊ぶ。事益々多きに及び、吏民巧弄す。上文法を分別し、湯等数々決讞を奏して以て幸せらる。而して黯常に儒を毀り、面りに弘等の徒に詐を懐き智を飾りて以て人主に阿りて容を取り、而して刀筆の吏は専ら文を深くし巧みに詆り、人を罪に陥れ、其の真に反るを得ざらしめ、勝つを以て功と為すと触る。上愈々益々弘・湯を貴ぶ、弘・湯深く心に黯を疾む、唯だ天子も亦説ばず、事を以て之を誅せんと欲す。弘丞相と為り、乃ち上に言ひて曰く、「右内史の界部中貴人宗室多く、治め難し、素より重臣に非ずんば任ずること能はず、請ふ黯を徙して右内史と為さん」と。右内史為ること数歳、官事廃れず。
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