講孟余話 / 公孫丑下 第十一章
子絕長者乎、長者絕子乎、行ヲ畱メント欲スル者、斉戒宿ヲ越、然ル後敢テ言フ、而シテ孟子一言ノ應モナク、几ニ隱テ臥ス、是俗論ヨリ云ハ、長者絕子ナリ、孟子ヨリ客ヲ絕ツナリ、然トモ行ヲ畱ル者慮ルコト子思ニ及ハズ、是孟子ノ應セサル所以ナレハ、子絕長者ナリ、客ヨリ孟子ヲ絕ツナリ、世間ノ事斯ノ如キ者甚多シ、大氏俗論ノ見ル所ハ、形ノ上ナリ、君子ノ論スル所ハ心ナリ、譬ハ今我レ巧言令色ヲ以テ人ニ親マント欲ス、人必ズ我ヲ容レズ、是我仁鮮キヲ以テナリ、然レハ人我ヲ容レサルニ非ス、我人ヲシテ容レシメサルナリ、是等ヲ以テ其他ヲ推知スベシ、抑余嘗テ深ク疑フ、今ノ世臣子思ノ如キ者ナキカ、君繆公ノ如キ者ナキカ、又君臣共ニナキカ、又君臣共ニアリテ未タ相遇サルカ、臣君ヲ絕ツカ、君臣ヲ絕ツカ、是遂ニ知ルベカラサルナリ、第十四塲上
新字:子絶長者乎、長者絶子乎、行ヲ畱メント欲スル者、斉戒宿ヲ越、然ル後敢テ言フ、而シテ孟子一言ノ応モナク、几ニ隠テ臥ス、是俗論ヨリ云ハ、長者絶子ナリ、孟子ヨリ客ヲ絶ツナリ、然トモ行ヲ畱ル者慮ルコト子思ニ及ハズ、是孟子ノ応セサル所以ナレハ、子絶長者ナリ、客ヨリ孟子ヲ絶ツナリ、世間ノ事斯ノ如キ者甚多シ、大氏俗論ノ見ル所ハ、形ノ上ナリ、君子ノ論スル所ハ心ナリ、譬ハ今我レ巧言令色ヲ以テ人ニ親マント欲ス、人必ズ我ヲ容レズ、是我仁鮮キヲ以テナリ、然レハ人我ヲ容レサルニ非ス、我人ヲシテ容レシメサルナリ、是等ヲ以テ其他ヲ推知スベシ、抑余嘗テ深ク疑フ、今ノ世臣子思ノ如キ者ナキカ、君繆公ノ如キ者ナキカ、又君臣共ニナキカ、又君臣共ニアリテ未タ相遇サルカ、臣君ヲ絶ツカ、君臣ヲ絶ツカ、是遂ニ知ルベカラサルナリ、第十四塲上
書き下し
「子、長者を絶つか、長者、子を絶つか」。行を留めんと欲する者、斉戒して宿を越え、然る後敢へて言ふ。而して孟子一言の応もなく、几に隠りて臥す。是れ俗論より云はば、長者子を絶つなり、孟子より客を絶つなり。然れども行を留むる者、慮ること子思に及ばず、是れ孟子の応ぜざる所以なれば、子長者を絶つなり、客より孟子を絶つなり。世間の事斯くの如き者甚だ多し。大抵俗論の見る所は形の上なり、君子の論ずる所は心なり。譬へば今我れ巧言令色を以て人に親しまんと欲す、人必ず我を容れず、是れ我仁鮮きを以てなり。然れば人我を容れざるに非ず、我人をして容れしめざるなり。是等を以て其の他を推知すべし。抑々余嘗て深く疑ふ、今の世臣子思の如き者なきか、君繆公の如き者なきか、又君臣共になきか、又君臣共にありて未だ相遇はざるか、臣君を絶つか、君臣を絶つか、是れ遂に知るべからざるなり。(第十四塲上)
現代語訳
「あなたが年長者の私を絶ったのか、年長者の私があなたを絶ったのか」。孟子の出立を引き留めようとした人は、身を清めて一晩おいてから、ようやく思い切って言った。ところが孟子は一言も応じず、机にもたれて横になってしまった。これは世俗の見方からすれば、年長者である孟子が相手を絶ったのであり、孟子のほうから客を拒んだことになる。しかし引き留めた人の配慮は、魯の繆公が子思に対したほどには及ばなかった。それが孟子が応じなかった理由であるから、実はあなたが年長者を絶ったのであり、客のほうから孟子を絶ったのである。世の中にはこのようなことがたいへん多い。たいてい世俗の見方は形の上だけを見ており、君子が論じるのは心である。たとえば、いま私が口先や作り顔で人に親しもうとすれば、人は必ず私を受け入れない。それは私に仁が乏しいからである。そうであれば、人が私を受け入れないのではなく、私が人に受け入れさせないのである。こうしたことから、ほかのことも推し量るべきである。そもそも私はかつて深く疑ったことがある。いまの世に子思のような臣はいないのか、繆公のような君はいないのか、それとも君も臣もともにいないのか、あるいは君も臣もいるのにまだ出会っていないのか。臣が君を絶っているのか、君が臣を絶っているのか。それはついに知ることができない。(第十四塲の上)
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『大和俗訓』巻之四・心術下一心に主なければ、事をつとむる時早過ぎてさわがしく、又おそ過ぎて怠となり、或は事に先だちてあやまち、或は事におくれて間にあはず。主あれば心つねに定りて、遅速なく、よきほどなる故、あやまち少なし。一徐孝節といふ人、幼少より物を殺すことをいましめ、蟻のあつまり居る処をも、ふみころさんことをおそれ、よぎて道をゆけり。其心善なりといふべし。此心をおしひろめて、まづ父母兄弟を愛し人倫に及ぼし、次に万物に及ぼさば、仁愛の道ひろく行はるべし。善心をおしひろむる工夫、常にかくの如くすべし。夫生すことを好み、殺すことをにくむは、天の御心なり。天の物をあはれみ給へる御心をうけて、人の心とする所、即仁なり。不仁の人は、人をめぐみ、物をあはれむに心なくして、殺すことを好む。かくの如く不仁ならば、他の才多しといへども、天道にそむき、人道にかけて、見るに足らず。
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『洗心洞箚記』卷下・第百二條小程子曰く、学者仁体を識得し、実に諸を己に得れば、只だ義理の栽培を要す。経義を求むるが如きは、皆栽培の意なり、と。又曰く、学者此の心を全体すれば、学未だ尽くさずと雖も、若し事物の来たらば、応ぜざるべからず。但だ分限に随ひて之に応ずれば、中らずと雖も遠からず、と。又曰く、書を以て道を伝ふるは、口と相伝ふると、慾(煞)だ相干せず。相見て言ひ、事に因りて発明すれば、則ち意志を并せて一時に伝へ了る。書は言多しと雖も、其の実は尽くさず、と。又曰く、世に書を読むを以て文と為し芸と為す者有り。文を為すを之を芸と謂ふは猶ほ可なり。書を読むを之を芸と謂へば、則ち諸を書に求むる者浅し、と。此の数語は、自ら程朱を学ぶと謂ひて、諸を書策に求め、吾が心に求めざる者の長鍼なり。
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『都鄙問答』卷之一・播州ノ人學問ノ事ヲ問ノ段うるほすと云ことなり。身をうるほすは、心よりうるほすことを知るべし。孟子の一書も、心上より説来る。心を知る時は、志強義理照して、以て上達すべし。此心を知ずば、昏味とくらく放にして、学問に従と云とも、発明する所あるべからず。医書に、以手足痿痺為不仁。仁者は、天地万物を以て、一体の心となす。己に非と云ことなし。天地万物を己とすれば、至ざる所なし。若心を知らずば、天地と己と別々にして、気已に貫かず、手足の痿痺病人の如し。聖人は、我が心を以て天地万物を貫。凡て師たるもの、この心を知らずば、何を法として教、人の心を正んや。然るを師家に立人、心を知らずと云。夫は汝の在所などにて、書物を能読、文字を知て教れば、
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『洗心洞箚記』卷上・第百三十條横渠先生曰く、教を受くるの心有れば、蛮貊と雖も教ふべし。道を為すこと既に異なれば、党類と雖も相謀り難し、と。是の言、先生必ず懲りること有るのみ。而して党類相謀り難きに至りては、則ち我固より同胞の仁有りと雖も、彼爾我の心を挟み、既に小人に陥る、故に此の如し。賢聖に在りても未だ其の分隔の憂を免るる能はざるなり、而るを況んや我輩に於てをや。然りと雖も自ら反みて以て仁の未だ熟せずと為して、真に心を尽せば、則ち嚮の相謀り難き者も、亦間々帰化する者有り。而して又甚だ難き所なり。人の仁を半途に舎つるは、是に於て惑ふが故なり。
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『弁名』心志意孔子曰く、「仁に依る」と。又た曰く、「其の心三月仁に違はず」と。是れ孔子学者に教へ、其の心をして常に先王安民の徳に依りて、相違はざらしむるなり。又た曰く、「択びて仁に処らずんば、焉んぞ知なるを得ん」と。其の心を仁に居くを言ふなり。其の言殊なりと雖も、其の義実は同じ。蓋し皆古語なり。夫れ仁は先王の礼を制する所以なり。苟も礼を為して礼の制する所以を知らざれば、則ち徳成り難し。然れども三代の隆んなるに当たりては、士学びて成れば、則ち挙げて之を用ふ。一世の人、先王の仁に游泳し、黙して之を識る。豈に依らざる者有らんや。春秋の時に及びて、大夫官を世々にし、賢者用ひられず、先王の仁遠くして見るべからず。則ち士の先王の道を学びて独り其の身を善くする者、比比として皆是れなり。是に於いてか遂に其の仁を忘れて、徒らに以て芸と為す。徳の成り難き所以なり。故に孔子教ふるに仁に依るを以てす。亦た衰世の意なり。豈に礼の外に出でんや。然れども先王の仁見るべからざる者、其の今世に在りては、亦た春秋の時より甚だし。則ち仁礼の二言、永く千万世心を治むるの道為り。学者諸を思へ。
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『翁問答』下卷之本体充曰、にせの学問をする人に、世間の交りをむづかしがり、閑居を好み或は心気やみなどの如く、引こもりなどするものあるは、何としたることにて候や。師の曰、それが即ち魔境におち入たるにて候高満の魔心ふかき故に、本来非もなきせけんを非にみて、親のする事も兄弟のする事も、主君のあてがひも朋友のなす業もみなわけもなき妄作なりと得心するによつて、右を見るも左を見るも、皆おのれが心にかなはぬ事ばかりなる故に、世間の交をいとひ、ひとり居る事を好むと知べし。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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