史記 / 汲鄭列伝
陛下縱不能得匈奴之資以謝天下,又以微文殺無知者五百餘人,是所謂『庇其葉而傷其枝』者也,臣竊為陛下不取也。」上默然,不許,曰:「吾久不聞汲黯之言,今又復妄發矣。」後數月,黯坐小法,會赦免官。於是黯隱於田園。居數年,會更五銖錢,民多盜鑄錢,楚地尤甚。上以為淮陽,楚地之郊,乃召拜黯為淮陽太守。黯伏謝不受印,詔數彊予,然後奉詔。詔召見黯,黯為上泣曰:「臣自以為填溝壑,不復見陛下,不意陛下復收用之。臣常有狗馬病,力不能任郡事,臣願為中郎,出入禁闥,補過拾遺,臣之願也。」上曰:「君薄淮陽邪?吾今召君矣。顧淮陽吏民不相得,吾徒得君之重,臥而治之。」黯既辭行,過大行李息,曰:「黯棄居郡,不得與朝廷議也。然御史大夫張湯智足以拒諫,詐足以飾非,務巧佞之語,辯數之辭,非肯正為天下言,專阿主意。主意所不欲,因而毀之;主意所欲,因而譽之。好興事,舞文法,內懷詐以御主心,外挾賊吏以為威重。公列九卿,不早言之,公與之俱受其僇矣。」息畏湯,終不敢言。黯居郡如故治,淮陽政清。後張湯果敗,上聞黯與息言,抵息罪。令黯以諸侯相秩居淮陽。七歲而卒。卒後,上以黯故,官其弟汲仁至九卿,子汲偃至諸侯相。
新字:陛下縦不能得匈奴之資以謝天下,又以微文殺無知者五百余人,是所謂『庇其葉而傷其枝』者也,臣窃為陛下不取也。」上黙然,不許,曰:「吾久不聞汲黯之言,今又復妄発矣。」後数月,黯坐小法,会赦免官。於是黯隠於田園。居数年,会更五銖銭,民多盗鋳銭,楚地尤甚。上以為淮陽,楚地之郊,乃召拝黯為淮陽太守。黯伏謝不受印,詔数彊予,然後奉詔。詔召見黯,黯為上泣曰:「臣自以為填溝壑,不復見陛下,不意陛下復収用之。臣常有狗馬病,力不能任郡事,臣願為中郎,出入禁闥,補過拾遺,臣之願也。」上曰:「君薄淮陽邪?吾今召君矣。顧淮陽吏民不相得,吾徒得君之重,臥而治之。」黯既辞行,過大行李息,曰:「黯棄居郡,不得与朝廷議也。然御史大夫張湯智足以拒諫,詐足以飾非,務巧佞之語,弁数之辞,非肯正為天下言,専阿主意。主意所不欲,因而毀之;主意所欲,因而誉之。好興事,舞文法,内懐詐以御主心,外挟賊吏以為威重。公列九卿,不早言之,公与之倶受其僇矣。」息畏湯,終不敢言。黯居郡如故治,淮陽政清。後張湯果敗,上聞黯与息言,抵息罪。令黯以諸侯相秩居淮陽。七歳而卒。卒後,上以黯故,官其弟汲仁至九卿,子汲偃至諸侯相。
書き下し
陛下縦ひ匈奴の資を得て以て天下に謝すること能はずとも、又微文を以て無知の者五百余人を殺す、是れ所謂『其の葉を庇ひて其の枝を傷つく』る者なり、臣窃かに陛下の為に取らざるなり」と。上黙然として、許さず、曰く、「吾久しく汲黯の言を聞かず、今又復た妄りに発す」と。後数月、黯小法に坐し、赦に会ひて官を免ぜらる。是に於て黯田園に隠る。居ること数年、会々五銖銭を更む、民多く盗みて銭を鋳る、楚の地尤も甚し。上以為へらく淮陽は、楚の地の郊なりと、乃ち召して黯を拝して淮陽太守と為す。黯伏して謝して印を受けず、詔数々彊ひて予へ、然る後に詔を奉ず。詔して黯を召見す、黯上の為に泣きて曰く、「臣自ら以為へらく溝壑を填め、復た陛下に見えずと、意はざりき陛下復た之を収用せんとは。臣常に狗馬の病有り、力郡の事に任ずること能はず、臣願はくは中郎と為り、禁闥に出入し、過ちを補ひ遺れたるを拾はん、臣の願ひなり」と。上曰く、「君淮陽を薄んずるか。吾今君を召さん。顧ふに淮陽の吏民相得ず、吾徒だ君の重きを得て、臥して之を治めしめんとするのみ」と。黯既に辞して行き、大行李息を過りて、曰く、「黯棄てられて郡に居り、朝廷の議に与るを得ざるなり。然れども御史大夫張湯は智は以て諫めを拒ぐに足り、詐は以て非を飾るに足り、巧佞の語、弁数の辞を務め、肯へて正しく天下の為に言ふに非ず、専ら主の意に阿る。主の意の欲せざる所は、因りて之を毀り、主の意の欲する所は、因りて之を誉む。好んで事を興し、文法を舞はし、内に詐を懐きて以て主の心を御し、外に賊吏を挟みて以て威重と為す。公は九卿に列す、早く之を言はずんば、公之と倶に其の僇を受けん」と。息湯を畏れ、終に敢て言はず。黯郡に居ること故の治の如く、淮陽の政清し。後に張湯果して敗る、上黯の息と言ふを聞き、息を罪に抵つ。黯をして諸侯の相の秩を以て淮陽に居らしむ。七歳にして卒す。卒して後、上黯の故を以て、其の弟汲仁を官して九卿に至らしめ、子汲偃は諸侯の相に至る。
現代語訳
陛下がたとえ匈奴から得た富で天下に報いることができないとしても、さらに細かな法文によって無知な者五百余人を殺すのは、いわゆる『葉をかばって枝を傷つける』ものである。わたしはひそかに陛下のために、それはとるべきでないと思う」。主上は黙り込み、許さずに言った。「久しく汲黯の言葉を聞かなかったが、今またでたらめを言い出した」。数か月後、汲黯は些細な法に触れ、ちょうど大赦に当たったので免官にとどまった。こうして汲黯は田園に隠れ住んだ。数年して、ちょうど五銖銭に改鋳したところ、民の多くがひそかに銭を偽造し、楚の地がとくにひどかった。主上は、淮陽は楚の地への入り口であると考え、汲黯を召して淮陽太守に任じた。汲黯は平伏して辞退し、印綬を受け取らなかったが、詔でたびたび無理に与えられ、ようやく詔を受けた。詔によって汲黯を召して会うと、汲黯は主上に向かって泣いて言った。「わたしはもう溝に屍をさらし、二度と陛下にお目にかかれないものと思っていた。陛下が再び取り立ててくださるとは思いもしなかった。わたしはいつも持病があり、郡の仕事を務める力はない。わたしは中郎となって宮中に出入りし、陛下の過ちを補い、見落としを拾いたい。それがわたしの願いである」。主上は言った。「君は淮陽を軽んじるのか。いずれ君を呼び戻そう。ただ淮陽の役人と民がうまくいっていないので、君の重みを借りて、寝ていても治まるようにしてほしいだけだ」。汲黯は別れを告げて出発し、大行の李息のもとに立ち寄って言った。「わたしは見捨てられて郡にいることになり、朝廷の議論に加わることはできなくなった。だが御史大夫の張湯は、その知恵は諫めを拒むのに十分で、偽りは過ちを飾るのに十分で、巧みにへつらう言葉と弁の立つ理屈ばかりを使い、天下のために正しく言おうとはせず、ひたすら主上の意に迎合している。主上が望まないことは、それに乗じてけなし、主上が望むことは、それに乗じてほめる。好んで事を起こし、法文をもてあそび、内には偽りを抱いて主上の心を操り、外には残酷な役人を従えて威光としている。あなたは九卿に列しているのだから、早くこのことを言わなければ、いずれ張湯とともに罰を受けることになるだろう」。李息は張湯を恐れ、ついに言い出せなかった。汲黯は郡にあっても以前と同じように治め、淮陽の政治は清らかになった。後に張湯はやはり失脚した。主上は汲黯が李息に言ったことを聞き、李息を罪に問うた。汲黯には諸侯の相と同じ俸禄で淮陽に留まらせた。七年後に亡くなった。その死後、主上は汲黯のゆかりによって、弟の汲仁を九卿にまで、子の汲偃を諸侯の相にまで取り立てた。
解説
関連する章句
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史記 汲鄭列伝張湯方に律令を更定するを以て廷尉為り、黯数々湯を上の前に質責して曰く、「公正卿為り、上は先帝の功業を褒むること能はず、下は天下の邪心を抑ふること能はず、国を安んじ民を富まし、囹圄をして空虚ならしむ、二者一も無し。苦に非ずして行に就き、放析して功に就く、何ぞ乃ち斑皇帝の約束を取りて紛更するを之れ為すや。公此を以て種無からん」と。黯時に湯と論議す、湯の弁常に文深く小苛なるに在り、黯伉厲にして高きを守りて屈すること能はず、忿発して罵りて曰く、「天下謂ふ刀筆の吏は以て公卿と為すべからずと、果して然り。必ず湯ならば、天下をして足を重ねて立ち、目を側めて視しめん」と。是の時、漢方に匈奴を征し、四夷を招懐す。黯事を少なくするに務め、上の間に乗じ、常に胡と和親し、兵を起こす無からんことを言ふ。上方に儒術に向かひ、公孫弘を尊ぶ。事益々多きに及び、吏民巧弄す。上文法を分別し、湯等数々決讞を奏して以て幸せらる。而して黯常に儒を毀り、面りに弘等の徒に詐を懐き智を飾りて以て人主に阿りて容を取り、而して刀筆の吏は専ら文を深くし巧みに詆り、人を罪に陥れ、其の真に反るを得ざらしめ、勝つを以て功と為すと触る。上愈々益々弘・湯を貴ぶ、弘・湯深く心に黯を疾む、唯だ天子も亦説ばず、事を以て之を誅せんと欲す。弘丞相と為り、乃ち上に言ひて曰く、「右内史の界部中貴人宗室多く、治め難し、素より重臣に非ずんば任ずること能はず、請ふ黯を徙して右内史と為さん」と。右内史為ること数歳、官事廃れず。
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史記 汲鄭列伝天子既に数々匈奴を征して功有り、黯の言益々用ひられず。始め黯列して九卿為り、而して公孫弘・張湯は小吏為り。弘・湯稍く益々貴く、黯と位を同じくするに及び、黯又弘・湯等を非毀す。已にして弘丞相に至り、封ぜられて侯と為る。湯御史大夫に至る。故の黯の時の丞相史皆黯と列を同じくし、或いは尊用せらるること之に過ぐ。黯褊心にして、少しく望む無きこと能はず、上に見え、前みて言ひて曰く、「陛下の群臣を用ふること積薪の如きのみ、後に来たる者上に居る」と。上黙然たり。間有りて黯罷む、上曰く、「人果して以て学無かるべからず、黯の言を観るに日に益々甚し」と。居ること何も無くして、匈奴の渾邪王衆を率ゐて来たり降る、漢車二万乗を発す。県官銭無く、民より馬を貰る。民或いは馬を匿し、馬具はらず。上怒り、長安の令を斬らんと欲す。黯曰く、「長安の令罪無し、独り黯を斬らば、民乃ち馬を出だすを肯ぜん。且つ匈奴其の主に畔きて漢に降る、漢徐ろに県次を以て之を伝へんのみ、何ぞ天下を騒動せしめ、中国を罷獘して以て夷狄の人に事ふるに至らんや」と。上黙然たり。渾邪至るに及び、賈人の与に市する者、坐して死に当たる者五百余人。黯間を請ひ、高門に見えて、曰く、「夫れ匈奴は当路の塞を攻め、和親を絶つ、中国兵を興して之を誅す、死傷する者勝げて計ふべからず、而して費は巨万百を以て数ふ。臣愚以為へらく陛下胡人を得ば、皆以て奴婢と為して以て従軍して事に死せし者の家に賜ひ、鹵獲する所は、因りて之に予へ、以て天下の苦に謝し、百姓の心を塞がんと。今縦ひ能はずとも、渾邪数万の衆を率ゐて来たり降る、府庫を虚しくして賞賜し、良民を発して侍養せしむ、譬へば驕子を奉ずるが若し。愚民安んぞ長安中の物を市買して文吏縄して以て財物を辺関に闌出すと為すを知らんや。
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史記 汲鄭列伝黯人と為り性倨にして、礼少なく、面折し、人の過ちを容るること能はず。己に合ふ者は善く之を待ち、己に合はざる者は見るに忍ぶこと能はず、士も亦此を以て附かず。然れども学を好み、游侠し、気節に任じ、内行修絜にして、直諫を好み、数々主の顔色を犯し、常に傅柏・袁盎の人と為りを慕ふなり。灌夫・鄭当時及び宗正劉棄に善し。亦数々直諫するを以て、久しく位に居るを得ず。是の時に当たり、太后の弟武安侯蚡丞相為り、中二千石来たりて拝謁するに、蚡礼を為さず。然れども黯蚡に見ゆるに未だ嘗て拝せず、常に之に揖す。天子方に文学儒者を招く、上曰く吾云云せんと欲すと、黯対へて曰く、「陛下内に欲多くして外に仁義を施す、柰何ぞ唐虞の治に效はんと欲するや」と。上黙然として、怒り、色を変じて朝を罷む。公卿皆黯の為に懼る。上退き、左右に謂ひて曰く、「甚しいかな、汲黯の戇なるや」と。群臣或いは黯を数む、黯曰く、「天子公卿輔弼の臣を置くは、寧ろ従諛承意して、主を不義に陥れしめんや。且つ已に其の位に在り、縦ひ身を愛すとも、朝廷を辱むることを柰何せん」と。黯病多く、病且に三月に満たんとし、上常に告を賜ふこと数々なるも、終に愈えず。最後に病む、荘助為に告を請ふ。
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史記 酷吏列伝治むる所即し上の意の罪せんと欲する所ならば、監史の深禍なる者に予へ、即し上の意の釈さんと欲する所ならば、監史の軽平なる者に与ふ。治むる所即し豪ならば、必ず文を舞はし巧みに詆る。即し下戸の羸弱ならば、時に口もて言ふ、文もて法を致すと雖も、上財察せよと。是に於て往往にして湯の言ふ所を釈す。湯大吏に至り、内行修まる。賓客に通じて飲食す。故人の子弟の吏為る及び貧しき昆弟に於て、之を調護すること尤も厚し。其の諸公に造り請ふこと、寒暑を避けず。是を以て湯は文深く意忌にして専ら平らかならずと雖も、然れども此の声誉を得たり。而して刻深の吏の多く爪牙の用を為す者は、文学の士に依る。丞相弘数々其の美を称す。淮南・衡山・江都の反獄を治むるに及び、皆根本を窮む。厳助及び伍被、上之を釈さんと欲す。湯争ひて曰く、「伍被は本反謀を画す、而して助は親幸して禁闥に出入する爪牙の臣なり、乃ち諸侯と交私すること此くの如し、誅せずんば、後に治むべからず」と。是に於て上之を論ずるを可とす。其の獄を治めて大臣を排して自ら功と為すこと、多く此の類なり。是に於て湯益々尊任せられ、遷りて御史大夫と為る。会々渾邪等降り、漢大いに兵を興して匈奴を伐つ、山東水旱あり、貧民流徙し、皆給を県官に仰ぐ、県官空虚なり。是に於て上の指を丞け、請ひて白金及び五銖銭を造り、天下の塩鉄を籠め、富商大賈を排し、告緡令を出だし、豪彊并兼の家を鉏き、文を舞はし巧みに詆りて以て法を輔く。湯朝する毎に事を奏し、国家の用を語り、日晏れ、天子食を忘る。丞相は充位を取るのみ、天下の事皆湯に決す。百姓其の生に安んぜず、騒動す、県官の興す所、未だ其の利を獲ず、姦吏并びに侵漁す、是に於て痛く縄するに罪を以てす。則ち公卿以下より、庶人に至るまで、咸湯を指す。湯嘗て病む、天子自ら至りて病を視る、其の隆貴なること此くの如し。匈奴来たりて和親を請ふ、群臣上の前に議す。博士狄山曰く、「和親便なり」と。
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史記 汲鄭列伝鄭荘をして決河を視しむ、自ら行を治むること五日ならんことを請ふ。上曰く、「吾聞く『鄭荘行くに、千里糧を齎さず』と、行を治めんことを請ふ者は何ぞや」と。然れども鄭荘朝に在りては、常に趨りて和し意を承け、敢て甚だしくは当否を引かず。晩節に及び、漢匈奴を征し、四夷を招き、天下の費多く、財用益々匱し。荘人の賓客を任じて大農の僦人と為す、多く逋負す。司馬安淮陽太守と為り、其の事を発く、荘此を以て罪に陥り、贖ひて庶人と為る。頃之して、長史を守す。上以為へらく老いたりと、荘を以て汝南太守と為す。数歳にして、官を以て卒す。鄭荘・汲黯始め列して九卿と為る、廉にして、内行修絜なり。此の両人中ごろ廃せられ、家貧しく、賓客益々落つ。郡に居るに及び、卒して後家に余貲財無し。荘の兄弟子孫荘の故を以て、二千石に至る者六七人なり。
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