説苑 / 雜言
子石登吳山而四望,喟然而歎息曰:「嗚呼悲哉!世有明於事情,不合於人心者;有合於人心,不明於事情者。」弟子問曰:「何謂也?」子石曰:「昔者吳王夫差不聽伍子胥,盡忠極諫,抉目而辜;太宰嚭、公孫雒,偷合苟容,以順夫差之志而伐吳。二子沈身江湖,頭懸越旗。昔者費仲、惡來革、長鼻決耳,崇侯虎順紂之心,欲以合於意,武王伐紂、四子身死牧之野,頭足異所,比干盡忠剖心而死。今欲明事情,恐有抉目剖心之禍,欲合人心,恐有頭足異所之患。由是觀之,君子道狹耳。誠不逢其明主,狹道之中,又將危險閉塞,無可從出者。」
新字:子石登呉山而四望,喟然而嘆息曰:「嗚呼悲哉!世有明於事情,不合於人心者;有合於人心,不明於事情者。」弟子問曰:「何謂也?」子石曰:「昔者呉王夫差不聴伍子胥,尽忠極諫,抉目而辜;太宰嚭、公孫雒,偸合苟容,以順夫差之志而伐呉。二子沈身江湖,頭懸越旗。昔者費仲、悪来革、長鼻決耳,崇侯虎順紂之心,欲以合於意,武王伐紂、四子身死牧之野,頭足異所,比干尽忠剖心而死。今欲明事情,恐有抉目剖心之禍,欲合人心,恐有頭足異所之患。由是観之,君子道狭耳。誠不逢其明主,狭道之中,又将危険閉塞,無可従出者。」
書き下し
子石、呉山に登りて四望し、喟然として歎息して曰く、「嗚呼悲しいかな。世に事情に明らかにして人心に合わざる者有り、人心に合いて事情に明らかならざる者有り」と。弟子問いて曰く、「何の謂いぞや」と。子石曰く、「昔者、呉王夫差、伍子胥の言を聴かず、忠を尽くし極めて諫めしも、目を抉られて辜せらる。太宰嚭・公孫雒は、偷かに合し苟くも容れられ、以て夫差の志に順いて呉を伐たしむ。二子は身を江湖に沈められ、頭は越の旗に懸けらる。昔者、費仲・惡來革・長鼻決耳、崇侯虎は紂の心に順い、意に合わんと欲せしも、武王紂を伐ちて、四子は身を牧野に死し、頭足所を異にす。比干は忠を尽くして心を剖かれて死す。今、事情を明らかにせんと欲すれば、目を抉られ心を剖かるるの禍い有らんことを恐れ、人心に合わんと欲すれば、頭足所を異にするの患い有らんことを恐る。是に由りて之を観れば、君子の道狭きのみ。誠に其の明主に逢わずんば、狭道の中、又将に危険閉塞して、従いて出づ可き無からんとす」と。
現代語訳
子石は呉山に登って四方を眺め、深く嘆息して言った。「ああ悲しいことだ。世には物事の情理に明るいのに人心には合わない者があり、人心には合っているのに物事の情理には明るくない者がある」と。弟子が「どういうことですか」と尋ねると、子石は言った。「昔、呉王夫差は伍子胥の言葉を聞き入れず、伍子胥は忠を尽くし懸命に諫めたが、目をえぐられて処刑された。一方、太宰嚭と公孫雒は、こっそりと迎合しいい加減に取り入り、夫差の意向に従って呉を攻めさせた。伍子胥ら二人はその身を川に沈められ、首を越の旗竿に懸けられた。また昔、費仲・悪来革・長鼻決耳・崇侯虎は紂王の心に従い、その意に迎合しようとしたが、武王が紂を討った際、この四人は牧野で命を落とし、首と胴とが離れ離れになった。比干は忠を尽くしたが胸を割かれて死んだ。今、物事の情理を明らかにしようとすれば、目をえぐられ胸を割かれる禍を恐れねばならず、人心に迎合しようとすれば、首と胴が離れる患いを恐れねばならない。これから見ると、君子の歩む道は実に狭いものだ。もし本当に明君に出会えなければ、その狭い道の中で、危険にふさがれ、逃れ出る道もなくなってしまうだろう」と。
解説

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