史記 / 張丞相列伝
周昌者、沛人也。昌為人彊力、敢直言、自蕭曹等皆卑下之。昌嘗燕時入奏事、高帝方擁戚姬、昌還走、高帝逐得、騎周昌項、問曰、我何如主也。昌仰曰、陛下即桀紂之主也。於是上笑之、然尤憚周昌。
書き下し
周昌は、沛の人なり。昌の人と為り彊力、敢て直言し、蕭・曹等よりして皆之に卑下す。昌嘗て燕なる時に入りて事を奏す。高帝方に戚姫を擁す。昌還り走る。高帝逐ひ得て、周昌の項に騎して、問ひて曰く、「我何如なる主ぞ」と。昌仰ぎて曰く、「陛下は即ち桀紂の主なり」と。是に於いて上之を笑ふも、然れども尤も周昌を憚る。
現代語訳
周昌は沛の人である。昌の人柄は意志が強く、遠慮なく直言したので、蕭何や曹参らでさえ、彼には一目置いた。あるとき昌は、帝がくつろいでいる時間に入って奏上しようとした。高帝はちょうど戚姫を抱いていた。昌は引き返して走り去った。高帝は追いかけて捕まえ、周昌の首にまたがって尋ねた。「私はどんな主君か」。昌は顔を上げて言った。「陛下は、まさに桀王・紂王のような主君です」。帝はこれを笑ったが、それでも周昌をとりわけ憚った。
解説
「権力者に対しても、恐れず、へつらわず、ありのままの真実を言う」——剛直な臣・周昌の人柄を象徴する一段です。周昌は、意志が強く、恐れずに直言する人物で、あの蕭何や曹参といった重臣たちでさえ、彼には一目置いてへりくだるほどでした。あるとき、周昌が政務の報告のために皇帝の私室に入っていくと、高祖(劉邦)はちょうど寵姫の戚姫を抱いてくつろいでいる最中でした。周昌は、その場に居合わせるのをはばかって、慌てて引き返そうとします。すると高祖は、追いかけてきて周昌を捕まえ、あろうことか、その首にまたがって、ふざけながら問いました。「おい、俺はどんな主君だ?」と。皇帝が臣下の首にまたがるという、くだけた(あるいは高圧的な)戯れです。普通の臣下なら、追従してお世辞を言うところでしょう。しかし周昌は、首を上げて、こう言い放ちました。「陛下は、(暴君の代名詞である)桀王や紂王のような主君です」と。皇帝を、面と向かって暴君呼ばわりしたのです。高祖は、これを笑って受け流しましたが、内心では、この一切へつらわない周昌を、誰よりも憚る(一目置いて恐れる)ようになりました。ここに、直言と信頼についての教訓があります。第一に、権力者に対しても、恐れず、へつらわず、ありのままの真実を言うことの価値。周昌は、皇帝が自分をおもちゃにするようなくだけた場面でも、追従せず、思ったことを率直に言い放った。この一貫した剛直さが、彼の人物の芯を示しています。第二に、そして逆説的に、そうした「へつらわない臣」こそが、権力者から最も一目置かれ、信頼されるということ。高祖は、周昌の無遠慮な直言を笑って受け流しながら、その一切媚びない姿勢ゆえに、彼を最も憚った(尊重し、恐れた)。追従ばかりする臣は軽んじられ、恐れずに真実を言う臣は、かえって重んじられる。トップは、心のどこかで、へつらわず本当のことを言ってくれる人物を求め、信頼するのです。第三に、剛直さには、それを許容する関係性も必要だということ。周昌が皇帝を暴君呼ばわりできたのは、高祖にそれを笑って受け止める度量があったからでもある。組織で、権力者や上司に対しても、恐れずへつらわず真実を言えているか、そして、そうした直言する人物こそが本当は信頼されること、また直言を受け止める側の度量も大切なこと——周昌の剛直は、直言と信頼の関係を教えます。
この章句が説くこと
周昌敢直言へつらわない桀紂の主権力者に真実を言う直言する者が信頼される
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