尚書 / 太甲下
有言逆于汝心,必求諸道;有言遜于汝志,必求諸非道。嗚呼!
書き下し
言の汝の心に逆らふ有らば、必ず諸(これ)を道に求めよ。言の汝の志に遜(したが)ふ有らば、必ず諸を非道に求めよ。嗚呼(ああ)、
現代語訳
そなたの心に逆らう言葉があれば、必ずそれが道にかなっていないかを考えよ。そなたの意向に従う言葉があれば、必ずそれが道に外れていないかを考えよ。ああ、
解説
伊尹が太甲に、言葉の聞き方を教えた名句である。耳に逆らう言葉を聞いたら、それが実は正しい道にかなっていないかと考え、耳に心地よい言葉を聞いたら、それが道に外れていないかと疑えという。人は自分の考えに反する意見を退け、賛同する意見を喜んで受け入れがちである。その自然な傾きをあえて逆にして吟味せよというこの教えは、「良薬は口に苦し、忠言は耳に逆らふ」という格言とともに、上に立つ者の心得として重んじられた。上に立つほど周りは同意する言葉を選ぶようになる。反対意見にこそ真実が含まれていないか、賛成意見にこそ落とし穴がないかを確かめる習慣が、判断の誤りを防ぐ。本篇は東晋期に伝わった古文尚書に属し、後世の編纂とみる説が有力である。
この章句が説くこと
直言忠言傾聴道理自省諫言
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