呂氏春秋 / 貴直①
賢主所貴莫如士。所以貴士,為其直言也。言直則枉者見矣。人主之患,欲聞枉而惡直言,是障其源而欲其水也,水奚自至?是賤其所欲而貴其所惡也,所欲奚自來?
新字:賢主所貴莫如士。所以貴士,為其直言也。言直則枉者見矣。人主之患,欲聞枉而悪直言,是障其源而欲其水也,水奚自至?是賤其所欲而貴其所悪也,所欲奚自来?
書き下し
賢主の貴ぶ所は士に如くは莫し。士を貴ぶ所以は、其の直言の為なり。言直なれば則ち枉れる者見ゆ。人主の患いは、枉れるを聞かんと欲して直言を惡む。是れ其の源を障ぎて其の水を欲するなり。水奚に自りてか至らん。是れ其の欲する所を賤しみて、其の惡む所を貴ぶなり。欲する所奚に自りてか來たらん。
現代語訳
賢明な君主が尊ぶものとして士に及ぶものはない。士を尊ぶわけは、その率直な言論のためである。言葉が率直であれば、道理にはずれた者が明らかになる。君主の弊害は、曲がった言葉を聞きたがって直言を憎むことだ。これは水源をせき止めておきながら水を得ようとするようなもので、水はどこから来ようか。これは自分の欲するものを賤しみ、憎むものを貴ぶことであり、欲するものはどこから来ようか。
解説
この段は、賢明な君主が人材を重んじる理由は、彼らの率直な直言にあると説きます。曲がった言葉ばかり聞きたがり直言を憎むのは、水源をふさいで水を求めるのと同じで、望む結果は決して得られません。呂氏春秋・貴直論の総論として、正しい統治には批判を受け入れる度量が不可欠だと示しています。現代の組織でも、耳に痛い意見を遠ざければ問題は隠れて増大します。異論を歓迎し、率直な声が上がる仕組みを保つことが、健全なリーダーシップの条件だと教えてくれます。
この章句が説くこと
直言貴直士君主公平諫言
関連する章句
-
呂氏春秋・壅塞①亡國の主は、以て直言す可からず。以て直言す可からざれば、則ち過、道りて聞く無く、而して善、自りて至ること無し。自りて至ること無ければ、則ち壅がる。
-
『正法眼蔵随聞記』巻五示して云く、昔し国王あり、国を治て後ちに諸の臣下に問ふ、我好く国を治む、よく賢なりやと、諸臣みな云く、帝甚だよく治む、太だ賢なりと、時に一臣ありて云く、帝は賢ならずと、帝の云く故は如何、臣が云く、国を治て後ち、帝の弟に与へずして息に与ふと、帝の心にかなはずして、追ひ立られて後、亦一臣に問ふ、朕よく仁なりや、臣が云く、甚だ仁なり、帝の云く、其の故いかん、臣が云く、仁君には必ず忠臣あり、忠臣は直言あるなり、前きの臣太だ直言なり、是れ忠臣なり、仁君にあらずんば得じと、帝是を感じて、即ち前きの臣をめしかへさるゝなり、
-
『幽夢影』巻下・鏡をして知有らしめば必ず撲破に遭はん媸顏陋質の、鏡と仇を爲さざる者は、亦鏡を以て無知の死物と爲すのみ。鏡をして知有らしめば、必ず撲破に遭はん。
-
史記 汲鄭列伝黯人と為り性倨にして、礼少なく、面折し、人の過ちを容るること能はず。己に合ふ者は善く之を待ち、己に合はざる者は見るに忍ぶこと能はず、士も亦此を以て附かず。然れども学を好み、游侠し、気節に任じ、内行修絜にして、直諫を好み、数々主の顔色を犯し、常に傅柏・袁盎の人と為りを慕ふなり。灌夫・鄭当時及び宗正劉棄に善し。亦数々直諫するを以て、久しく位に居るを得ず。是の時に当たり、太后の弟武安侯蚡丞相為り、中二千石来たりて拝謁するに、蚡礼を為さず。然れども黯蚡に見ゆるに未だ嘗て拝せず、常に之に揖す。天子方に文学儒者を招く、上曰く吾云云せんと欲すと、黯対へて曰く、「陛下内に欲多くして外に仁義を施す、柰何ぞ唐虞の治に效はんと欲するや」と。上黙然として、怒り、色を変じて朝を罷む。公卿皆黯の為に懼る。上退き、左右に謂ひて曰く、「甚しいかな、汲黯の戇なるや」と。群臣或いは黯を数む、黯曰く、「天子公卿輔弼の臣を置くは、寧ろ従諛承意して、主を不義に陥れしめんや。且つ已に其の位に在り、縦ひ身を愛すとも、朝廷を辱むることを柰何せん」と。黯病多く、病且に三月に満たんとし、上常に告を賜ふこと数々なるも、終に愈えず。最後に病む、荘助為に告を請ふ。
-
史記 淮南衡山列伝不害に子建有り、材高く気有り、常に太子の其の父を省みざるを怨望す。又時の諸侯皆子弟を分かちて侯と為すを得、而して淮南は独り二子、一は太子為り、建の父独り侯と為るを得ざるを怨む。建陰に結交し、告げて太子を敗り、其の父を以て之に代へんと欲す。太子之を知り、数々捕繋して建を榜笞す。建具に太子の謀りて漢の中尉を殺さんと欲するを知り、即ち善くする所の寿春の荘芷をして以て天子に上書せしめて曰く、「毒薬は口に苦くして病に利あり、忠言は耳に逆らひて行ひに利あり。今淮南王の孫建、材能高し、淮南王の王后荼、荼の子太子遷常に建を疾害す。建の父不害罪無きに、擅に数々捕繋し、之を殺さんと欲す。今建在り、徴して問ふべし、具に淮南の陰事を知る」と。書聞せられ、上其の事を以て廷尉に下し、廷尉河南に下して治む。是の時故の辟陽侯の孫審卿丞相公孫弘に善し、淮南厲王の其の大父を殺すを怨み、乃ち深く淮南の事を弘に購ふ、弘乃ち淮南に畔逆の計謀有るを疑ひ、深く其の獄を窮治す。河南建を治む、辞淮南の太子及び党与を引く。淮南王之を患ひ、発せんと欲し、伍被に問ひて曰く、「漢廷は治まるか乱るるか」と。伍被曰く、「天下治まれり」と。王意説ばず、伍被に謂ひて曰く、「公何を以て天下治まれりと言ふや」と。被曰く、「被窃かに朝廷の政を観るに、君臣の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、皆其の理を得、上の挙錯は古の道に遵ひ、風俗紀綱未だ欠くる所有らざるなり。重装の富賈、天下を周流し、道通ぜざる無し、故に交易の道行はる。南越賓服し、羌僰入りて献じ、東甌入りて降り、長楡を広め、朔方を開き、匈奴翅を折り翼を傷つけ、援けを失ひて振るはず。未だ古の太平の時に及ばずと雖も、然れども猶ほ治まれりと為すなり」と。王怒る、被死罪を謝す。
-
史記 張丞相列伝周昌は、沛の人なり。其の従兄を周苛と曰ふ。秦の時皆泗水の卒史為り。高祖沛に起ち、泗水の守・監を撃破するに及び、是に於て周昌・周苛、卒史より沛公に従ふ。沛公、周昌を以て職志と為し、周苛を客と為す。従ひて関に入り、秦を破る。沛公立ちて漢王と為り、周苛を以て御史大夫と為し、周昌を中尉と為す。漢王の四年、楚、漢王を滎陽に囲むこと急なり。漢王遁れ出で去りて、周苛をして滎陽城を守らしむ。楚、滎陽城を破り、周苛をして将たらしめんと欲す。苛罵りて曰く、「若(なんぢ)趣(すみや)かに漢王に降れ。然らずんば、今に虜と為らん」と。項羽怒り、周苛を亨(に)る。是に於て乃ち周昌を拝して御史大夫と為す。常に従ひて項籍を撃破す。六年中を以て蕭・曹等と倶に封ぜらる。周昌を封じて汾陰侯と為す。周苛の子周成は父の事に死せしを以て、封ぜられて高景侯と為る。昌は人と為り彊力にして、敢へて直言す。蕭・曹等より皆之に卑下す。昌嘗て燕の時に入りて事を奏す。高帝方に戚姫を擁す。昌還り走る。高帝逐ひて得、周昌の項に騎りて、問ひて曰く、「我は何如なる主ぞや」と。昌仰ぎて曰く、「陛下は即ち桀紂の主なり」と。是に於て上之を笑ふ。然れども尤も周昌を憚る。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る