史記 / 汲鄭列伝
黯恥為令,病歸田里。上聞,乃召拜為中大夫。
新字:黯恥為令,病帰田里。上聞,乃召拝為中大夫。
書き下し
黯令為るを恥ぢ、病みて田里に帰る。上聞き、乃ち召して拝して中大夫と為す。
現代語訳
汲黯は県令であることを恥じ、病と称して郷里に帰った。主上はそれを聞き、召し出して中大夫に任じた。
解説
汲黯の経歴の一場面を記す短い段です。この直前、汲黯は河内の火事の視察を命じられた際、火事よりも飢饉で苦しむ民を見て、勅命と偽って官の倉を開いて穀物を配り、その罪を問われる代わりに県令に左遷されていました。汲黯はそれを恥じて病と称して郷里に帰ってしまいますが、武帝は召し戻して中大夫に任じています。命令違反を犯してでも民を救った行動を、武帝は結局評価したわけです。独断で規則を破った者を処罰するか評価するかは、組織にとって難しい判断です。形式上の違反と、その背後にある目的の正しさをどう秤にかけるか、上に立つ者の器が問われる場面です。一方、汲黯の側も、不本意な処遇にはあっさり職を辞するという潔さを見せています。
関連する章句
-
史記 汲鄭列伝河内失火し、延焼すること千餘家、上黯をして往きて之を視しむ。還り報じて曰く、「家人失火し、屋比りて延焼す、憂ふるに足らざるなり。臣河南を過ぐるに、河南の貧人水旱に傷るる者万餘家、或いは父子相食む、臣謹みて便宜を以て、節を持して河南の倉粟を発して以て貧民を振ふ。臣請ふ節を帰し、矯制の罪に伏せん」と。上賢として之を釈す。
-
史記 汲鄭列伝汲黯字は長孺、濮陽の人なり。其の先古の衛君に寵有り。黯に至るまで七世、世々卿大夫為り。黯父の任を以て、孝景の時太子洗馬と為り、荘を以て憚らる。孝景帝崩じ、太子位に即く、黯謁者と為る。東越相攻む、上黯をして往きて之を視しむ。至らず、呉に至りて還り、報じて曰く、「越人相攻むるは、固より其の俗然り、以て天子の使ひを辱むるに足らず」と。
-
史記 汲鄭列伝上黯の何如なる人なるを問ふ。莊助曰く、「黯をして職に任じ官に居らしむれば、以て人に踰ゆる無し。然れども其の少主を輔け、城を守ること深堅にして、之を招くも来たらず、之を麾くも去らず、賁育と雖も亦た之を奪ふ能はざるに至る」と。上曰く、「然り。古に社稷の臣有り、黯のごときに至りては、之に近し」と。大将軍青侍中す、上厠に踞して之を視る。丞相弘燕見す、上或いは時に冠せず。黯の見ゆるに至りては、上冠せざれば見ざるなり。黯前みて事を奏するに、上冠せず、望みて黯を見て、帳中に避け、人をして其の奏を可とせしむ。其の敬礼せらるること此くのごとし。
-
史記 汲鄭列伝黯人と為り性倨にして、礼少なく、面折し、人の過ちを容るること能はず。己に合ふ者は善く之を待ち、己に合はざる者は見るに忍ぶこと能はず、士も亦此を以て附かず。然れども学を好み、游侠し、気節に任じ、内行修絜にして、直諫を好み、数々主の顔色を犯し、常に傅柏・袁盎の人と為りを慕ふなり。灌夫・鄭当時及び宗正劉棄に善し。亦数々直諫するを以て、久しく位に居るを得ず。是の時に当たり、太后の弟武安侯蚡丞相為り、中二千石来たりて拝謁するに、蚡礼を為さず。然れども黯蚡に見ゆるに未だ嘗て拝せず、常に之に揖す。天子方に文学儒者を招く、上曰く吾云云せんと欲すと、黯対へて曰く、「陛下内に欲多くして外に仁義を施す、柰何ぞ唐虞の治に效はんと欲するや」と。上黙然として、怒り、色を変じて朝を罷む。公卿皆黯の為に懼る。上退き、左右に謂ひて曰く、「甚しいかな、汲黯の戇なるや」と。群臣或いは黯を数む、黯曰く、「天子公卿輔弼の臣を置くは、寧ろ従諛承意して、主を不義に陥れしめんや。且つ已に其の位に在り、縦ひ身を愛すとも、朝廷を辱むることを柰何せん」と。黯病多く、病且に三月に満たんとし、上常に告を賜ふこと数々なるも、終に愈えず。最後に病む、荘助為に告を請ふ。
-
史記 汲鄭列伝黯東海太守に遷る。黯黄老の言を学び、官を治め民を理むるに、清静を好み、丞史を択びて之に任ず。其の治、大指を責むるのみにして、小を苛せず。黯多病、閨閤の内に臥して出でず。歳餘にして、東海大いに治まる。之を称す。上聞き、召して以て主爵都尉と為し、九卿に列す。治務は無為に在るのみ、大体を弘くし、文法に拘らず。
-
史記 汲鄭列伝鄭荘をして決河を視しむ、自ら行を治むること五日ならんことを請ふ。上曰く、「吾聞く『鄭荘行くに、千里糧を齎さず』と、行を治めんことを請ふ者は何ぞや」と。然れども鄭荘朝に在りては、常に趨りて和し意を承け、敢て甚だしくは当否を引かず。晩節に及び、漢匈奴を征し、四夷を招き、天下の費多く、財用益々匱し。荘人の賓客を任じて大農の僦人と為す、多く逋負す。司馬安淮陽太守と為り、其の事を発く、荘此を以て罪に陥り、贖ひて庶人と為る。頃之して、長史を守す。上以為へらく老いたりと、荘を以て汝南太守と為す。数歳にして、官を以て卒す。鄭荘・汲黯始め列して九卿と為る、廉にして、内行修絜なり。此の両人中ごろ廃せられ、家貧しく、賓客益々落つ。郡に居るに及び、卒して後家に余貲財無し。荘の兄弟子孫荘の故を以て、二千石に至る者六七人なり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る