史記 / 汲鄭列伝
以數切諫,不得久留內,遷為東海太守。黯學黃老之言,治官理民,好清靜,擇丞史而任之。其治,責大指而已,不苛小。黯多病,臥閨閤內不出。歲餘,東海大治。稱之。上聞,召以為主爵都尉,列於九卿。治務在無為而已,弘大體,不拘文法。
新字:以数切諫,不得久留内,遷為東海太守。黯学黄老之言,治官理民,好清静,択丞史而任之。其治,責大指而已,不苛小。黯多病,臥閨閤内不出。歳余,東海大治。称之。上聞,召以為主爵都尉,列於九卿。治務在無為而已,弘大体,不拘文法。
書き下し
黯東海太守に遷る。黯黄老の言を学び、官を治め民を理むるに、清静を好み、丞史を択びて之に任ず。其の治、大指を責むるのみにして、小を苛せず。黯多病、閨閤の内に臥して出でず。歳餘にして、東海大いに治まる。之を称す。上聞き、召して以て主爵都尉と為し、九卿に列す。治務は無為に在るのみ、大体を弘くし、文法に拘らず。
現代語訳
汲黯は東海の太守に転じた。黯は黄帝・老子の教えを学んでおり、役所を治め民を統治するのに、静かであることを好み、補佐役を選んでこれに任せた。その治め方は、大筋だけを求めて、細かいことを咎めなかった。黯は病気がちで、私室に臥せって外へ出ないことが多かった。一年余りで、東海はよく治まった。人々は彼を称えた。帝はこれを聞き、召して主爵都尉とし、九卿に列した。彼の政務は無為にあり、大局を広く見て、細かい法文にとらわれなかった。
解説
「有能な人を選んで任せ、大局だけを見て、細かいことに口を出さない」——汲黯の『無為の治』を描いた、仕組み経営に直結する一段です。剛直な直言の士として知られる汲黯が、東海の太守(地方長官)に任じられたときのことです。彼の治め方は、独特でした。老荘の思想を学んだ汲黯は、静かで落ち着いた統治を好み、細部まで自分で管理しようとはしませんでした。その代わりに何をしたか——「有能な補佐役(丞史)を選び抜いて、仕事を任せた(擇丞史而任之)」のです。そして彼自身は、「大きな方針・要点だけを求め、細かいことをこまごまと咎め立てはしなかった(其治、責大指而已、不苛小)」。汲黯は病気がちで、部屋にこもって外にも出ないことが多かったにもかかわらず、一年余りで、東海の郡はみごとに治まりました(東海大治)。長官が細かく動き回らなくても、有能な人材に任せ、大局を押さえていれば、組織はうまく回ったのです。この評判を聞いた皇帝は、汲黯を中央に召し、九卿に列しました。彼の統治の要は、ただ「無為(余計なことをしない)」にあり、「大局を大きく捉えて、細かい法文の運用にはこだわらなかった(弘大體、不拘文法)」のです。ここに、任せる経営についての教訓があります。第一に、リーダーは、すべてを自分でやろうとするのではなく、有能な人を選んで、仕事を任せるべきだということ(擇丞史而任之)。汲黯は、細部を自分で抱え込まず、信頼できる補佐役に委ねた。人を見極めて任せることが、組織を回す土台になる。第二に、上に立つ者は、大きな方針・要点を押さえることに専念し、細かいことにいちいち口を出さないこと(責大指而已、不苛小)。マイクロマネジメントは、部下の主体性を奪い、リーダー自身を疲弊させる。大局を見て、枝葉は任せる。第三に、その結果、リーダーが細かく動き回らなくても(黯臥閨閤內不出)、組織が自律的に、うまく回る状態を作れるということ(東海大治)。これは、まさに「社長が現場に張り付かなくても回る会社」という、仕組み化の理想そのものです。組織づくりで、すべてを抱え込まず有能な人を選んで任せること、大局・要点を押さえて細部のマイクロマネジメントを避けること、そしてリーダーが動かなくても自律的に回る状態を目指すこと——汲黯の無為の治は、任せる経営の要諦を、鮮やかに教えます。
この章句が説くこと
汲黯無為の治択丞史而任之有能な人に任せる責大指而已不苛小大局を見て細部は任せる
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