史記 / 淮南衡山列伝
不害有子建,材高有氣,常怨望太子不省其父;又怨時諸侯皆得分子弟為侯,而淮南獨二子,一為太子,建父獨不得為侯。建陰結交,欲告敗太子,以其父代之。太子知之,數捕繋而榜笞建。建具知太子之謀欲殺漢中尉,即使所善壽春莊芷以上書於天子曰:「毒藥苦於口利於病,忠言逆於耳利於行。今淮南王孫建,材能高,淮南王王后荼、荼子太子遷常疾害建。建父不害無罪,擅數捕繋,欲殺之。今建在,可徵問,具知淮南陰事。」書聞,上以其事下廷尉,廷尉下河南治。是時故辟陽侯孫審卿善丞相公孫弘,怨淮南厲王殺其大父,乃深購淮南事於弘,弘乃疑淮南有畔逆計謀,深窮治其獄。河南治建,辭引淮南太子及黨與。淮南王患之,欲發,問伍被曰:「漢廷治亂?」伍被曰:「天下治。」王意不說,謂伍被曰:「公何以言天下治也?」被曰:「被竊觀朝廷之政,君臣之義,父子之親,夫婦之別,長幼之序,皆得其理,上之舉錯遵古之道,風俗紀綱未有所缺也。重裝富賈,周流天下,道無不通,故交易之道行。南越賓服,羌僰入獻,東甌入降,廣長榆,開朔方,匈奴折翅傷翼,失援不振。雖未及古太平之時,然猶為治也。」王怒,被謝死罪。
新字:不害有子建,材高有気,常怨望太子不省其父;又怨時諸侯皆得分子弟為侯,而淮南独二子,一為太子,建父独不得為侯。建陰結交,欲告敗太子,以其父代之。太子知之,数捕繋而榜笞建。建具知太子之謀欲殺漢中尉,即使所善寿春荘芷以上書於天子曰:「毒薬苦於口利於病,忠言逆於耳利於行。今淮南王孫建,材能高,淮南王王后荼、荼子太子遷常疾害建。建父不害無罪,擅数捕繋,欲殺之。今建在,可徴問,具知淮南陰事。」書聞,上以其事下廷尉,廷尉下河南治。是時故辟陽侯孫審卿善丞相公孫弘,怨淮南厲王殺其大父,乃深購淮南事於弘,弘乃疑淮南有畔逆計謀,深窮治其獄。河南治建,辞引淮南太子及党与。淮南王患之,欲発,問伍被曰:「漢廷治乱?」伍被曰:「天下治。」王意不説,謂伍被曰:「公何以言天下治也?」被曰:「被窃観朝廷之政,君臣之義,父子之親,夫婦之別,長幼之序,皆得其理,上之舉錯遵古之道,風俗紀綱未有所欠也。重装富賈,周流天下,道無不通,故交易之道行。南越賓服,羌僰入献,東甌入降,広長榆,開朔方,匈奴折翅傷翼,失援不振。雖未及古太平之時,然猶為治也。」王怒,被謝死罪。
書き下し
不害に子建有り、材高く気有り、常に太子の其の父を省みざるを怨望す。又時の諸侯皆子弟を分かちて侯と為すを得、而して淮南は独り二子、一は太子為り、建の父独り侯と為るを得ざるを怨む。建陰に結交し、告げて太子を敗り、其の父を以て之に代へんと欲す。太子之を知り、数々捕繋して建を榜笞す。建具に太子の謀りて漢の中尉を殺さんと欲するを知り、即ち善くする所の寿春の荘芷をして以て天子に上書せしめて曰く、「毒薬は口に苦くして病に利あり、忠言は耳に逆らひて行ひに利あり。今淮南王の孫建、材能高し、淮南王の王后荼、荼の子太子遷常に建を疾害す。建の父不害罪無きに、擅に数々捕繋し、之を殺さんと欲す。今建在り、徴して問ふべし、具に淮南の陰事を知る」と。書聞せられ、上其の事を以て廷尉に下し、廷尉河南に下して治む。是の時故の辟陽侯の孫審卿丞相公孫弘に善し、淮南厲王の其の大父を殺すを怨み、乃ち深く淮南の事を弘に購ふ、弘乃ち淮南に畔逆の計謀有るを疑ひ、深く其の獄を窮治す。河南建を治む、辞淮南の太子及び党与を引く。淮南王之を患ひ、発せんと欲し、伍被に問ひて曰く、「漢廷は治まるか乱るるか」と。伍被曰く、「天下治まれり」と。王意説ばず、伍被に謂ひて曰く、「公何を以て天下治まれりと言ふや」と。被曰く、「被窃かに朝廷の政を観るに、君臣の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、皆其の理を得、上の挙錯は古の道に遵ひ、風俗紀綱未だ欠くる所有らざるなり。重装の富賈、天下を周流し、道通ぜざる無し、故に交易の道行はる。南越賓服し、羌僰入りて献じ、東甌入りて降り、長楡を広め、朔方を開き、匈奴翅を折り翼を傷つけ、援けを失ひて振るはず。未だ古の太平の時に及ばずと雖も、然れども猶ほ治まれりと為すなり」と。王怒る、被死罪を謝す。
現代語訳
不害には建という子がいて、才能が高く気概があり、太子が自分の父を顧みないことをいつも恨んでいた。また当時の諸侯はみな子弟に領地を分けて侯にすることができたのに、淮南王には子が二人しかおらず、一人は太子なのに、建の父だけが侯になれないことを恨んでいた。建はひそかに人々と交わりを結び、太子を告発して失脚させ、自分の父を代わりに立てようとした。太子はこれを知り、たびたび建を捕らえて鞭打った。建は太子が漢の中尉を殺そうと謀ったことを詳しく知っていたので、親しい寿春の荘芷(そうし)に天子へ上書させた。「毒薬は口に苦いが病には効き、忠言は耳に逆らうが行いのためになるという。今、淮南王の孫の建は才能が高いのに、淮南王の王后荼と、荼の子の太子遷はいつも建を憎んで害している。建の父の不害には罪がないのに、勝手にたびたび捕らえて殺そうとしている。今、建は生きているので、召し出して問いただすことができる。淮南の隠し事を詳しく知っている」。上書が奏上されると、主上はこの件を廷尉に下し、廷尉は河南郡に下して取り調べさせた。このとき、もとの辟陽侯の孫の審卿は丞相の公孫弘と親しく、淮南厲王が祖父を殺したことを恨んでいたので、淮南の件を深く弘に働きかけた。弘は淮南に反逆の計画があると疑い、その獄を徹底的に追及した。河南郡が建を取り調べると、その供述は淮南の太子とその一党に及んだ。淮南王はこれを憂え、兵を起こそうとして伍被に尋ねた。「漢の朝廷は治まっているか、乱れているか」。伍被は「天下は治まっている」と言った。王は不快に思い、伍被に言った。「あなたはどうして天下が治まっていると言うのか」。伍被は言った。「わたしがひそかに朝廷の政治を見るに、君臣の義、父子の親しみ、夫婦のけじめ、長幼の序がみな道理にかない、主上の政策は古の道に従い、風俗と綱紀には欠けたところがない。荷を重く積んだ豪商が天下を巡り、通じない道はなく、交易の道は行われている。南越は服従し、羌や僰は来て献上し、東甌は来て降伏し、長楡の塞を広げ、朔方郡を開き、匈奴は羽を折られ翼を傷つけられ、助けを失って振るわない。いにしえの太平の世にはまだ及ばないが、それでも治まっていると言える」。王は怒り、伍被は死罪に当たると謝った。
解説
関連する章句
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史記 淮南衡山列伝淮南王に女陵有り、慧にして、口弁有り。王陵を愛し、常に多く金銭を予へ、為に長安に中詗し、上の左右に約結せしむ。上淮南王に几杖を賜ひ、朝せざらしむ。淮南王の王后荼、王之を愛幸す。王后太子遷を生む、遷王皇太后の外孫修成君の女を取りて妃と為す。王謀りて反具を為る、太子妃の知りて内より事を泄らさんことを畏れ、乃ち太子と謀り、詐りて愛せず、三月席を同じくせざらしむ。王乃ち詳りて太子を怒ると為し、太子を閉ぢて妃と内を同じくせしむること三月、太子終に妃に近づかず。妃去らんことを求む、王乃ち上書して謝して帰して之を去らしむ。王后荼・太子遷及び女陵王に愛幸せらるるを得て、国権を擅にし、民の田宅を侵奪し、妄りに人を繋ぐを致す。太子剣を用ふるを学び、自ら以為へらく人及ぶ莫しと、郎中雷被巧みなりと聞き、乃ち召して与に戯る。被一再辞譲するも、誤りて太子に中つ。太子怒り、被恐る。此の時軍に従はんと欲する者有らば輒ち京師に詣る、被即ち匈奴を奮撃せんことを願ふ。太子遷数々被を王に悪む、王郎中令をして斥け免ぜしめ、以て後を禁ぜんと欲す、被遂に亡げて長安に至り、上書して自ら明らかにす。詔して其の事を廷尉・河南に下す。河南治め、淮南の太子を逮へんとす、王・王后計りて太子を遣はす無からんと欲し、遂に兵を発して反せんとするも、計猶予し、十余日定まらず。会々詔有り、即に太子を訊ふ。是の時に当たり、淮南の相寿春の丞の太子の逮を留めて遣はさざるを怒り、不敬を劾す。王以て相に請ふ、相聴かず。王人をして上書して相を告げしむ、事廷尉に下して治む。蹤跡王に連なる、王人をして漢の公卿を候伺せしむ、公卿淮南王を逮捕して治めんことを請ふ。王事の発せんことを恐る、太子遷謀りて曰く、「漢の使ひ即し王を逮へば、王人をして衛士の衣を衣て、戟を持して庭中に居らしめ、王の旁に是に非ざる有らば、則ち之を刺殺せよ、臣も亦人をして淮南の中尉を刺殺せしめ、乃ち兵を挙ぐるも、未だ晩からず」と。
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史記 淮南衡山列伝中尉曰く、「臣詔を受けて使ひす、王に見ゆるを得ず」と。王念ふに独り相を殺して内史・中尉来たらずんば、益無しと、即ち相を罷む。王猶予し、計未だ決せず。太子念ふに坐する所の者は漢の中尉を刺さんと謀るなり、与に謀る所の者已に死す、以て口絶えたりと為し、乃ち王に謂ひて曰く、「群臣の用ふべき者は皆前に繋がる、今与に事を挙ぐるに足る者無し。王時に非ざるを以て発せば、恐らくは功無からん、臣願はくは逮に会はん」と。王も亦偸かに休まんと欲し、即ち太子に許す。太子即ち自剄するも、殊せず。伍被自ら吏に詣り、因りて淮南王と謀反するを告ぐ、反の蹤跡具に此くの如し。吏因りて太子・王后を捕へ、王宮を囲み、尽く王の与に謀反せし賓客の国中に在る者を求め捕へ、反具を索め得て以て聞す。上公卿に下して治めしむ、連引する所の淮南王と謀反せし列侯二千石豪傑数千人、皆罪の軽重を以て誅を受く。衡山王賜は、淮南王の弟なり、当に坐して収めらるべし、有司衡山王を逮捕せんことを請ふ。天子曰く、「諸侯は各々其の国を以て本と為す、当に相坐すべからず。諸侯王・列侯と会して丞相・諸侯に肄して議せしめよ」と。趙王彭祖・列侯臣譲等四十三人議して、皆曰く、「淮南王安甚だ大逆無道、謀反明白なり、当に誅に伏すべし」と。膠西王臣端議して曰く、「淮南王安法を廃し邪を行ひ、詐偽の心を懐き、以て天下を乱し、百姓を熒惑し、宗廟に倍畔し、妄りに妖言を作す。春秋に曰く『臣は将する無し、将すれば誅す』と。安の罪は将より重く、謀反の形已に定まる。臣端の見る所の其の書・節・印・図及び他の逆無道の事の験明白なり、甚だ大逆無道なり、当に其の法に伏すべし。而して国の吏二百石以上及び比する者、宗室近幸の臣の法中に在らざる者を論ずるに、相教ふること能はず、当に皆官を免じ爵を削りて士伍と為し、宦して吏と為るを得る毋かるべし。其の吏に非ざるものは、他は死を贖ふに金二斤八両とせん。
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史記 淮南衡山列伝以て臣安の罪を章かにし、天下をして明らかに臣子の道を知らしめ、敢て復た邪僻倍畔の意有らしむる毋からん」と。丞相弘・廷尉湯等以て聞す、天子宗正をして符節を以て王を治めしむ。未だ至らざるに、淮南王安自剄して殺す。王后荼・太子遷諸々の与に謀反せし者皆族せらる。天子伍被の雅辞多く漢の美を引くを以て、誅すること勿からんと欲す。廷尉湯曰く、「被は首として王の為に反謀を画す、被の罪赦す無し」と。遂に被を誅す。国除かれて九江郡と為る。衡山王賜、王后乗舒子三人を生む、長男爽を太子と為し、次男孝、次女無采。又姫徐来子男女四人を生み、美人厥姫子二人を生む。衡山王・淮南王の兄弟相礼節を責望し、間に相能くせず。衡山王淮南王の畔逆の反具を作為するを聞き、亦心に賓客に結びて以て之に応ぜんとす、并せらるるを恐るればなり。衡山王入朝す、其の謁者衛慶方術有り、上書して天子に事へんと欲す、王怒り、故に慶を死罪に劾し、彊ひて榜ちて之を服せしむ。衡山の内史以て是に非ずと為し、其の獄を卻く。王人をして上書して内史を告げしむ、内史治めらるるに、王の直からざるを言ふ。王又数々人の田を侵奪し、人の冢を壊ちて以て田と為す。有司衡山王を逮治せんことを請ふ。天子許さず、為に吏二百石以上を置く。衡山王此を以て恚り、奚慈・張広昌と謀り、能く兵法を為し星気を候ふ者を求め、日夜王に従容して密かに反事を謀る。王后乗舒死し、徐来を立てて王后と為す。厥姫倶に幸せらる。両人相妒み、厥姫乃ち王后徐来を太子に悪みて曰く、「徐来婢をして蠱道もて太子の母を殺さしむ」と。太子心に徐来を怨む。徐来の兄衡山に至る、太子与に飲み、刃を以て王后の兄を刺傷す。王后怨怒し、数々太子を王に毀悪す。
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史記 淮南衡山列伝又偽りて左右都司空・上林・中都官の詔獄の書を為り、諸侯の太子幸臣を逮へしむ。此くの如くなれば則ち民怨み、諸侯懼る、即ち弁武をして随ひて之に説かしめば、儻いは徼幸して什に一を得べきか」と。王曰く、「此れ可なり。然りと雖も、吾以為へらく此くの若きに至らずと」と。是に於て王乃ち官奴をして宮に入りて、皇帝の璽、丞相・御史・大将軍・軍吏・中二千石・都官の令・丞の印、及び旁近の郡の太守・都尉の印、漢の使節・法冠を作らしめ、伍被の計の如くせんと欲す。人をして偽りて罪を得て西せしめ、大将軍・丞相に事へしめ、一日兵を発せば、人をして即ち大将軍青を刺殺せしめ、而して丞相に説きて之を下すこと、蒙を発くが如くならんのみ。王国中の兵を発せんと欲するも、其の相・二千石の聴かざらんことを恐る。王乃ち伍被と謀り、先づ相・二千石を殺さんとす。偽りて宮中に失火し、相・二千石火を救はば、至るに即ち之を殺さんと。計未だ決せず、又人をして求盗の衣を衣て、羽檄を持し、東方より来たりて、呼びて「南越の兵界に入る」と曰はしめ、因りて以て兵を発せんと欲す。乃ち人をして廬江・会稽に至りて求盗と為さしむるも、未だ発せず。王伍被に問ひて曰く、「吾兵を挙げて西郷せば、諸侯必ず我に応ずる者有らん。即し応ずる無くんば、柰何」と。被曰く、「南は衡山を収めて以て廬江を撃ち、尋陽の船を有ち、下雉の城を守り、九江の浦を結び、豫章の口を絶ち、彊弩もて江に臨みて守り、以て南郡の下るを禁じ、東は江都・会稽を収め、南は勁越に通じ、江淮の間に屈彊せば、猶ほ歳月の寿を延ばすを得べし」と。王曰く、「善し、以て此に易ふる無し。急なれば則ち越に走らんのみ」と。是に於て廷尉王孫建の辞淮南王の太子遷に連なるを以て聞す。上廷尉監を遣はし因りて淮南の中尉を拝し、太子を逮捕せしむ。淮南に至る、淮南王聞き、太子と謀りて相・二千石を召し、殺して兵を発せんと欲す。相を召す、相至る。内史は出づるを以て解と為す。
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史記 淮南衡山列伝是の時上公卿の請ひを許さず、而して漢の中尉宏を遣はして即に王を訊験せしむ。王漢の使ひの来たるを聞き、即ち太子の謀計の如くす。漢の中尉至る、王其の顔色の和らかなるを視る、王を訊ふに雷被を斥くるの事を以てするのみ、王自ら度るに何も無しと、発せず。中尉還り、以て聞す。公卿の治むる者曰く、「淮南王安匈奴を奮撃せんとする者雷被等を擁閼し、明詔を廃格す、当に棄市すべし」と。詔して許さず。公卿廃して王とする勿からんことを請ふ、詔して許さず。公卿五県を削らんことを請ふ、詔して二県を削る。中尉宏をして淮南王の罪を赦し、罰するに削地を以てせしむ。中尉淮南の界に入り、宣言して王を赦す。王初め漢の公卿之を誅せんことを請ふと聞き、未だ地を削らるるを得るを知らず、漢の使ひの来たるを聞き、其の之を捕へんことを恐れ、乃ち太子と謀りて之を刺さんとすること前計の如し。中尉至るに及び、即ち王を賀す、王故を以て発せず。其の後自ら傷みて曰く、「吾仁義を行ひて削らる、甚だ之を恥づ」と。然れども淮南王地を削られし後、其の反謀を為すこと益々甚し。諸々の使ひ道より長安より来たり、妄りに妖言を為し、上に男無く、漢治まらずと言へば、即ち喜ぶ。即し漢廷治まり、男有りと言へば、王怒り、以為へらく妄言なり、非なりと。王日夜伍被・左呉等と輿地図を案じ、兵の従りて入る所を部署す。王曰く、「上に太子無し、宮車即し晏駕せば、廷臣必ず膠東王を徴し、即かずんば常山王、諸侯并び争はん、吾以て備へ無かるべけんや。且つ吾は高祖の孫、親ら仁義を行ふ、陛下我を遇すること厚し、吾能く之を忍ぶ。万世の後、吾寧んぞ能く北面して豎子に臣事せんや」と。
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『長短経』懼戒後に復た伍被に問いて曰く「漢庭は治まるか乱るるか」と。被曰く「竊かに朝廷の政を覩るに、君臣の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、皆其の理を得、上の挙措は古の道に遵い、風俗綱紀未だ欠くる所有らず。南越は賓服し、羌・僰は入献し、東甌は入降し、長楡を広め〔塞の名なり〕、朔方を開き、匈奴は翅を折り翼を傷つけ、援を失いて振るわず。古の太平の時に及ばずと雖も、然れども猶お治と為すなり。王、事を挙げんと欲するも、臣は其の将に禍有りて福無からんとするを見る」と。
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