史記 / 司馬相如列伝
既罷,相如乃使人重賜文君侍者通殷勤。文君夜亡奔相如,相如乃與馳歸成都。家居徒四壁立。卓王孫大怒曰:「女至不材,我不忍殺,不分一錢也。」人或謂王孫,王孫終不聽。文君久之不樂,曰:「長卿第俱如臨邛,從昆弟假貸猶足為生,何至自苦如此!」相如與俱之臨邛,盡賣其車騎,買一酒舍酤酒,而令文君當爐。相如身自著犢鼻褌,與保庸雜作,滌器於市中。卓王孫聞而恥之,為杜門不出。昆弟諸公更謂王孫曰:「有一男兩女,所不足者非財也。今文君已失身於司馬長卿,長卿故倦遊,雖貧,其人材足依也,且又令客,獨奈何相辱如此!」卓王孫不得已,分予文君僮百人,錢百萬,及其嫁時衣被財物。文君乃與相如歸成都,買田宅,為富人。居久之,蜀人楊得意為狗監,侍上。上讀子虛賦而善之,曰:「朕獨不得與此人同時哉!」得意曰:「臣邑人司馬相如自言為此賦。」上驚,乃召問相如。相如曰:「有是。然此乃諸侯之事,未足觀也。請為天子游獵賦,賦成奏之。」上許,令尚書給筆劄。相如以「子虛」,虛言也,為楚稱;「烏有先生」者,烏有此事也,為齊難;「無是公」者,無是人也,明天子之義。故空藉此三人為辭,以推天子諸侯之苑囿。其卒章歸之於節儉,因以風諫。
新字:既罷,相如乃使人重賜文君侍者通殷勤。文君夜亡奔相如,相如乃与馳帰成都。家居徒四壁立。卓王孫大怒曰:「女至不材,我不忍殺,不分一銭也。」人或謂王孫,王孫終不聴。文君久之不楽,曰:「長卿第倶如臨邛,従昆弟仮貸猶足為生,何至自苦如此!」相如与倶之臨邛,尽売其車騎,買一酒舎酤酒,而令文君当炉。相如身自著犢鼻褌,与保庸雑作,滌器於市中。卓王孫聞而恥之,為杜門不出。昆弟諸公更謂王孫曰:「有一男両女,所不足者非財也。今文君已失身於司馬長卿,長卿故倦遊,雖貧,其人材足依也,且又令客,独奈何相辱如此!」卓王孫不得已,分予文君僮百人,銭百万,及其嫁時衣被財物。文君乃与相如帰成都,買田宅,為富人。居久之,蜀人楊得意為狗監,侍上。上読子虚賦而善之,曰:「朕独不得与此人同時哉!」得意曰:「臣邑人司馬相如自言為此賦。」上驚,乃召問相如。相如曰:「有是。然此乃諸侯之事,未足観也。請為天子游猟賦,賦成奏之。」上許,令尚書給筆劄。相如以「子虚」,虚言也,為楚称;「烏有先生」者,烏有此事也,為斉難;「無是公」者,無是人也,明天子之義。故空藉此三人為辞,以推天子諸侯之苑囿。其卒章帰之於節倹,因以風諫。
書き下し
既に罷みて、相如乃ち人をして重く文君の侍者に賜ひて殷勤を通ぜしむ。文君夜亡げて相如に奔る、相如乃ち与に馳せて成都に帰る。家居徒だ四壁立つのみ。卓王孫大いに怒りて曰く、「女至って不材なり、我殺すに忍びざるも、一銭をも分かたざるなり」と。人或いは王孫に謂ふも、王孫終に聴かず。文君之を久しくして楽しまず、曰く、「長卿第だ倶に臨邛に如き、昆弟より仮貸すれば猶ほ以て生を為すに足る、何ぞ自ら苦しむこと此くの如きに至らん」と。相如与に倶に臨邛に之き、尽く其の車騎を売り、一酒舎を買ひて酒を酤り、而して文君をして鑪に当たらしむ。相如身自ら犢鼻褌を著け、保庸と雑作し、器を市中に滌ふ。卓王孫聞きて之を恥ぢ、為に門を杜ぢて出でず。昆弟諸公更々王孫に謂ひて曰く、「一男両女有り、足らざる所の者は財に非ざるなり。今文君已に身を司馬長卿に失ふ、長卿故より遊に倦む、貧しと雖も、其の人材依るに足る、且つ又令の客なり、独り奈何ぞ相辱むること此くの如き」と。卓王孫已むを得ず、文君に僮百人、銭百万、及び其の嫁する時の衣被財物を分かち予ふ。文君乃ち相如と成都に帰り、田宅を買ひ、富人と為る。居ること之を久しくして、蜀人楊得意狗監と為り、上に侍す。上子虚の賦を読みて之を善しとし、曰く、「朕独り此の人と時を同じくするを得ざるかな」と。得意曰く、「臣の邑人司馬相如自ら此の賦を為ると言ふ」と。上驚き、乃ち召して相如に問ふ。相如曰く、「是れ有り。然れども此れ乃ち諸侯の事なり、未だ観るに足らざるなり。請ふ天子の游猟の賦を為らん、賦成らば之を奏せん」と。上許し、尚書をして筆札を給せしむ。相如「子虚」は、虚言なりとして、楚の称と為し、「烏有先生」は、烏くんぞ此の事有らんやとして、斉の難と為し、「無是公」は、是の人無きなりとして、天子の義を明らかにす。故に空しく此の三人を藉りて辞を為し、以て天子諸侯の苑囿を推す。其の卒章は之を節倹に帰し、因りて以て風諫す。
現代語訳
宴が終わると、相如は人を使って文君の侍女に手厚く贈り物をし、思いを伝えさせた。文君は夜に家を抜け出して相如のもとへ駆け落ちし、相如は彼女とともに馬を走らせて成都へ帰った。家にはただ四方の壁が立っているだけであった。卓王孫は大いに怒って言った。「娘はまったくのろくでなしだ。殺すには忍びないが、一銭たりとも分けてやらん」。とりなす者もいたが、王孫は最後まで聞き入れなかった。文君はしばらくすると楽しまなくなり、言った。「長卿さま、とにかく一緒に臨邛へ行きましょう。兄弟たちから借りれば、それでも暮らしは立つ。どうしてこんなに苦しい思いをすることがあろう」。相如は文君とともに臨邛へ行き、車馬をすべて売り払って一軒の酒場を買って酒を売り、文君を酒の燗をする炉の前に立たせた。相如は自ら犢鼻褌(ふんどし状の前掛け)を着け、雇い人たちと一緒に働き、市中で器を洗った。卓王孫はそれを聞いて恥じ、門を閉ざして外に出なくなった。兄弟や有力者たちが代わる代わる王孫に言った。「あなたには息子一人と娘二人がいて、足りないのは財産ではない。今、文君はもう司馬長卿に身を任せてしまった。長卿はもともと仕官の旅に疲れた身で、貧しいけれども、その人物は頼るに足る。しかも県令の客人でもある。どうしてこんなふうに恥をかかせておくのか」。卓王孫はやむをえず、文君に召使い百人、銭百万、それに嫁入りのときの衣服や夜具、財物を分け与えた。文君はそこで相如と成都に帰り、田地と屋敷を買って、金持ちになった。しばらくして、蜀の人楊得意が狗監(天子の猟犬の係)となって主上に仕えていた。主上は「子虚の賦」を読んで感心し、「朕はこの作者と時代を同じくすることができないのか」と言った。楊得意が言った。「わたしと同郷の司馬相如が、この賦は自分が作ったと言っている」。主上は驚き、相如を召して問うた。相如は言った。「そのとおりだ。しかしあれは諸侯の事を詠んだもので、ご覧いただくほどのものではない。どうか天子の狩猟の賦を作らせていただきたい。できあがったら奉る」。主上は許し、尚書に命じて筆と木札を与えさせた。相如は、「子虚」は虚言の意で、楚の立場から自国を誇る者とし、「烏有先生」は、どうしてそんな事があろうかの意で、斉の立場から反論する者とし、「無是公」は、そんな人はいないの意で、天子の道理を明らかにする者とした。こうして架空の三人の問答を借りて文章を作り、天子と諸侯の御苑を推し量って描いた。その最終章は倹約に帰着させ、それによって遠回しに諫めた。
解説
関連する章句
-
史記 司馬相如列伝司馬相如は、蜀郡成都の人なり、字は長卿。少き時読書を好み、撃剣を学ぶ、故に其の親之に名づけて犬子と曰ふ。相如既に学び、藺相如の人と為りを慕ひ、名を相如と更む。貲を以て郎と為り、孝景帝に事へ、武騎常侍と為る、其の好みに非ざるなり。会々景帝辞賦を好まず、是の時梁の孝王来朝し、遊説の士斉人鄒陽・淮陰の枚乗・呉の荘忌夫子の徒を従ふ、相如見て之を説び、因りて病みて免じ、客として梁に游ぶ。梁の孝王諸生と舎を同じくせしむ、相如諸生游士と居ること数歳なるを得て、乃ち子虚の賦を著す。会々梁の孝王卒し、相如帰る、而して家貧しく、以て自ら業とする無し。素より臨邛の令王吉と相善し、吉曰く、「長卿久しく宦遊して遂げず、而して来たりて我を過れ」と。是に於て相如往き、都亭に舎る。臨邛の令繆りて恭敬を為し、日に往きて相如に朝す。相如初めは尚ほ之に見ゆ、後には病と称し、従者をして吉に謝せしむ、吉愈々益々謹粛なり。臨邛中富人多し、而して卓王孫の家僮八百人、程鄭も亦数百人、二人乃ち相謂ひて曰く、「令に貴客有り、為に具して之を召さん」と。並びに令を召す。令既に至り、卓氏の客百を以て数ふ。日中に至り、司馬長卿に謁す、長卿病と謝して往く能はず、臨邛の令敢て食を嘗めず、自ら往きて相如を迎ふ。相如已むを得ず、彊ひて往く、一坐尽く傾く。酒酣にして、臨邛の令前みて琴を奏して曰く、「窃かに聞く長卿之を好むと、願はくは以て自ら娯しめ」と。相如辞謝し、為に一再行を鼓す。是の時卓王孫に女文君有り新たに寡たり、音を好む、故に相如繆りて令と相重んじ、而して琴心を以て之に挑む。相如の臨邛に之くや、車騎を従へ、雍容間雅にして甚だ都なり。卓氏に飲むに及び、琴を弄す、文君窃かに戸より之を窺ひ、心に悦びて之を好み、当たるを得ざらんことを恐る。
-
史記 司馬相如列伝之を天子に奏す、天子大いに説ぶ。其の辞に曰く。賦奏せられ、天子以て郎と為す。無是公天子の上林の広大、山谷水泉万物を言ひ、及び子虚楚の雲夢の有する所甚だ衆きを言ふ、侈靡其の実に過ぎ、且つ義理の尚ぶ所に非ず、故に其の要を刪り取り、正道に帰して之を論ず。相如郎為ること数歳、会々唐蒙使ひして夜郎・西僰中を略通し、巴蜀の吏卒千人を発し、郡又多く為に転漕万余人を発し、興法を用ひて其の渠帥を誅す、巴蜀の民大いに驚恐す。上之を聞き、乃ち相如をして唐蒙を責めしめ、因りて巴蜀の民に喩告するに上の意に非ざるを以てす。檄に曰く。相如還りて報ず。唐蒙已に夜郎を略通し、因りて西南夷の道を通ぜんとし、巴・蜀・広漢の卒を発し、作る者数万人。道を治むること二歳、道成らず、士卒多く物故し、費は巨万を以て計ふ。蜀の民及び漢の事を用ふる者多く其の便ならざるを言ふ。是の時邛筰の君長南夷の漢と通じ、賞賜を得ること多きを聞き、多く内臣妾と為り、吏を請ひ、南夷に比せんことを願はんと欲す。天子相如に問ふ、相如曰く、「邛・筰・厓・駹は蜀に近く、道も亦通じ易し、秦の時嘗て通じて郡県と為し、漢興るに至りて罷む。今誠に複た通じ、為に郡県を置かば、南夷に愈らん」と。天子以て然りと為し、乃ち相如を拝して中郎将と為し、節を建てて往きて使ひせしむ。副使王然于・壺充国・呂越人四乗の伝を馳せ、巴蜀の吏の幣物に因りて以て西夷に賂ふ。蜀に至る、蜀の太守以下郊迎し、県令弩矢を負ひて先駆す、蜀人以て寵と為す。是に於て卓王孫・臨邛の諸公皆門下に因りて牛酒を献じて以て驩を交ふ。卓王孫喟然として歎じ、自ら以へらく女をして司馬長卿に尚せしむるを得ること晩しと、而して厚く其の女に財を分与し、男と等同にす。司馬長卿便ち西夷を略定し、邛・筰・厓・駹・斯楡の君皆内臣と為らんことを請ふ。
-
史記 司馬相如列伝辺関を除き、関益々斥き、西は沬・若水に至り、南は牂柯に至りて徼と為し、零関の道を通じ、孫水に橋して以て邛都に通ず。還りて天子に報ず、天子大いに説ぶ。相如の使ひせし時、蜀の長老多く西南夷を通ずるは用を為さずと言ふ、唯だ大臣も亦以て然りと為す。相如諫めんと欲するも、業已に之を建つ、敢てせず、乃ち書を著し、籍りて蜀の父老を以て辞と為し、而して己之を詰難し、以て天子を風し、且つ因りて其の使ひの指を宣べ、百姓をして天子の意を知らしむ。其の辞に曰く。其の後人上書して相如の使ひせし時金を受くと言ふ有り、官を失ふ。居ること歳余、複た召されて郎と為る。相如口吃にして善く書を著す。常に消渇の疾有り。卓氏と婚し、財に饒かなり。其の進みて仕宦するや、未だ嘗て公卿国家の事に与るを肯ぜず、病と称して間居し、官爵を慕はず。常て上に従ひて長楊に至りて猟す、是の時天子方に自ら熊彘を撃ち、野獣を馳逐するを好む、相如上疏して之を諫む。其の辞に曰く。上之を善しとす。還りて宜春宮を過ぐ、相如賦を奏して以て二世の行ひの失を哀しむ。其の辞に曰く、陂阤の長阪に登り、曾宮の嵳峩たるに坌入す。曲江の隑州に臨み、南山の参差たるを望む。巌巌たる深山の谾谾たる、通谷は谽たり。汩淢噏習して以て永く逝き、平皐の広衍に注ぐ。衆樹の塕薆たるを観、竹林の榛榛たるを覧る。東のかた土山に馳せ、北のかた石瀬を掲ぐ。節を弥めて容与し、二世を歴吊す。身を持すること謹まず、国を亡ぼし埶を失ふ。讒を信じて寤めず、宗廟滅絶す。嗚呼哀しいかな。操行の得ざる、墳墓蕪穢して脩められず、魂帰する無くして食まず。夐邈絶して斉しからず、弥々久遠にして愈々鬐し。精罔閬として飛揚し、九天に拾りて永く逝く。嗚呼哀しいかな。相如拝して孝文園令と為る。
-
史記 司馬相如列伝酒中楽酣にして、天子芒然として思ひ、亡ふ有るがごとし。曰く、「嗟乎、此れ泰だ奢侈なり。朕覧聴の餘閒を以て、事無く日を棄つ、恐らくは後世靡麗にして、遂に往きて反らず、継嗣の為に業を創め統を垂るる所以に非ず」と。是に於て乃ち酒を解き猟を罷め、有司に命じて曰く、「地の墾辟す可きは、悉く農郊と為し、以て萌隷に贍せ。倉廩を発して以て貧窮を振し、不足を補ひ、寡を恤み、孤独を存せよ。徳号を出だし、刑罰を省き、天下と始めを為さん」と。二子愀然として容を改め、席を避けて曰く、「鄙人固陋にして、忌諱を知らず、乃ち今日教を見る、謹みて命を聞けり」と。
-
史記 司馬相如列伝天子既に子虚の事を美とす、相如上の仙道を好むを見て、因りて曰く、「上林の事未だ美とするに足らざるなり、尚ほ靡なる者有り。臣嘗て大人の賦を為る、未だ就らず、請ふ具へて之を奏せん」と。相如以為へらく列仙の伝は山沢の間に居り、形容甚だ臞せたり、此れ帝王の仙意に非ざるなりと、乃ち遂に大人の賦を就す。其の辞に曰く。相如既に大人の頌を奏す、天子大いに説び、飄飄として淩雲の気有り、天地の間に遊ぶの意に似たり。相如既に病みて免じ、家は茂陵に居る。天子曰く、「司馬相如病甚し、往きて従りて悉く其の書を取るべし。若し然らずんば、後に之を失はん」と。所忠をして往かしむ、而るに相如已に死し、家に書無し。其の妻に問ふ、対へて曰く、「長卿固より未だ嘗て書有らざるなり。時時書を著すも、人又取り去り、即ち空しく居る。長卿未だ死せざる時、一巻の書を為り、曰く使者の来たりて書を求むる有らば、之を奏せよと。他の書無し」と。其の遺札の書は封禅の事を言ふ、所忠に奏す。忠其の書を奏す、天子之を異とす。其の書に曰く。司馬相如既に卒して五歳、天子始めて后土を祭る。八年にして遂に先づ中岳に礼し、太山に封じ、梁父に至りて粛然に禅す。相如の他に著す所、平陵侯に遺る書、五公子と相難ずる、草木の書篇の若きは采らず、其の尤も公卿に著はるる者を采ると云ふ。太史公曰く、春秋は見はるるを推して隠るるに至り、易は隠るるに本づきて以て顕す、大雅は王公大人を言ひて徳は黎庶に逮び、小雅は小己の得失を譏りて、其の流れ上に及ぶ。言ふ所以は外殊なりと雖も、其の徳に合するは一なり。
-
史記 滑稽列伝之に安くにか計策を受けたるを問ふ。対へて曰く、「之を待詔の者東郭先生に受く」と。詔して東郭先生を召し、拝して以て郡都尉と為す。東郭先生、久しく公車に待詔し、貧困饑寒にして、衣敝れ、履完からず。雪中を行くに、履上有りて下無く、足尽く地を践む。道中の人之を笑ふ。東郭先生之に応へて曰く、「誰か能く履きて雪中を行き、人をして之を視しむるに、其の上は履なるも、其の履の下の処は乃ち人の足に似たる者あらんや」と。其の拝せられて二千石と為るに及び、青緺を佩びて宮門を出で、行きて主人に謝す。故に以て官を同じくして待詔せし所の者、等比して都門の外に祖道す。道路に栄華あり、名を当世に立つ。此れ所謂褐を衣て宝を懐く者なり。其の貧困の時に当たりては、人省視する莫し。其の貴きに至るや、乃ち争ひて之に附く。諺に曰く、「馬を相するに之を痩に失ひ、士を相するに之を貧に失ふ」と。其れ此の謂ひか。王夫人病甚だし。人主至りて自ら往きて之に問ひて曰く、「子当に王と為るべし。安くにか之を置かんと欲する」と。対へて曰く、「願はくは洛陽に居らしめん」と。人主曰く、「不可なり。洛陽には武庫・敖倉有り、関口に当たり、天下の咽喉なり。先帝より以来、伝へて為に王を置かず。然れども関東の国は斉より大なるは莫し。以て斉王と為す可し」と。王夫人手を以て頭を撃ち、幸甚と呼ぶ。王夫人死す。号して斉王の太后薨ずと曰ふ。昔者、斉王、淳于髡をして鵠を楚に献ぜしむ。邑門を出で、道にて其の鵠を飛ばし、徒だ空籠を掲げ、詐を造り辞を成し、往きて楚王に見えて曰く、「斉王、臣をして来たりて鵠を献ぜしむ。水上を過ぎるに、鵠の渇くに忍びず、出だして之に飲ましむるに、我を去りて飛び亡ぐ。吾、腹を刺し頸を絞りて死なんと欲す。人の吾が王を議して、鳥獣の故を以て士をして自ら傷殺せしむと為さんことを恐る。鵠は毛物にして相類する者多し。吾買ひて之に代へんと欲すれども、是れ信ならずして吾が王を欺くなり。他国に赴きて奔亡せんと欲すれども、吾が両主の使ひの通ぜざるを痛む。故に来たりて過ちに服し、叩頭して罪を大王に受く」と。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る