史記 / 西南夷列伝
西南夷君長以什數,夜郎最大;其西靡莫之屬以什數,滇最大;自滇以北君長以什數,邛都最大:此皆魋結,耕田,有邑聚。其外西自同師以東,北至楪榆,名為巂、昆明,皆編發,隨畜遷徙,毋常處,毋君長,地方可數千里。自冄以東北,君長以什數,徙、筰都最大;自筰以東北,君長以什數,冄駹最大。其俗或士箸,或移徙,在蜀之西。自冄駹以東北,君長以什數,白馬最大,皆氐類也。此皆巴蜀西南外蠻夷也。
新字:西南夷君長以什数,夜郎最大;其西靡莫之属以什数,滇最大;自滇以北君長以什数,邛都最大:此皆魋結,耕田,有邑聚。其外西自同師以東,北至楪榆,名為巂、昆明,皆編発,随畜遷徙,毋常処,毋君長,地方可数千里。自冄以東北,君長以什数,徙、筰都最大;自筰以東北,君長以什数,冄駹最大。其俗或士箸,或移徙,在蜀之西。自冄駹以東北,君長以什数,白馬最大,皆氐類也。此皆巴蜀西南外蠻夷也。
書き下し
西南夷の君長は什を以て数ふ、夜郎最も大なり。其の西の靡莫の属は什を以て数ふ、滇最も大なり。滇より以北の君長は什を以て数ふ、邛都最も大なり。此れ皆魋結し、田を耕し、邑聚有り。其の外西は同師より以東、北は楪楡に至るまで、名づけて巂・昆明と為す、皆編髪し、畜に随ひて遷徙し、常処毋く、君長毋し、地方数千里なるべし。冄より以東北、君長は什を以て数ふ、徙・筰都最も大なり。筰より以東北、君長は什を以て数ふ、冄駹最も大なり。其の俗或いは土著し、或いは移徙す、蜀の西に在り。冄駹より以東北、君長は什を以て数ふ、白馬最も大なり、皆氐の類なり。此れ皆巴蜀の西南外の蛮夷なり。
現代語訳
西南夷の君長は十をもって数えるほどいるが、夜郎が最も大きい。その西の靡莫(びばく)の仲間も十をもって数え、滇(てん)が最も大きい。滇から北の君長も十をもって数え、邛都(きょうと)が最も大きい。これらはみな髷を椎の形に結い、田を耕し、村落を構えている。その外側、西は同師から東、北は楪楡(ようゆ)までの地は、巂(すい)・昆明と呼ばれ、みな髪を編み、家畜について移動し、定まった住処がなく、君長もおらず、その地は数千里四方ほどもある。巂から東北の君長も十をもって数え、徙(し)・筰都(さくと)が最も大きい。筰から東北の君長も十をもって数え、冄駹(ぜんぼう)が最も大きい。その風俗は、定住する者もあれば移動する者もあり、蜀の西にいる。冄駹から東北の君長も十をもって数え、白馬が最も大きく、みな氐(てい)の類である。これらはみな巴・蜀の西南の外にいる蛮夷である。
解説
関連する章句
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史記 西南夷列伝南越反するに至るに及び、上馳義侯をして犍為に因りて南夷の兵を発せしむ。且蘭の君遠く行かば、旁国其の老弱を虜にせんことを恐れ、乃ち其の衆と反し、使者及び犍為太守を殺す。漢乃ち巴蜀の罪人の嘗て南越を撃ちし者八校尉を発して之を撃破す。越已に破るるに会ひ、漢の八校尉下らず、即ち兵を引きて還り、行くゆく頭蘭を誅す。頭蘭は、常に滇の道を隔つる者なり。已に頭蘭を平らげ、遂に南夷を平らげて牂柯郡と為す。夜郎侯始め南越に倚る、南越已に滅び、還りて反く者を誅するに会ひ、夜郎遂に入朝す。上以て夜郎王と為す。南越破れし後、漢の且蘭・邛君を誅し、并せて筰侯を殺すに及び、冄駹皆振ひ恐れ、臣として吏を置かんことを請ふ。乃ち邛都を以て越巂郡と為し、筰都を沈犁郡と為し、冄駹を汶山郡と為し、広漢の西の白馬を武都郡と為す。上王然于をして越を破り及び南夷を誅するの兵威を以て滇王に入朝を風喩せしむ。滇王は、其の衆数万人、其の旁の東北に労寖・靡莫有り、皆同姓にして相扶く、未だ聴くを肯ぜず。労寖・靡莫数々使者の吏卒を侵犯す。元封二年、天子巴蜀の兵を発して労寖・靡莫を撃滅し、兵を以て滇に臨む。滇王始め首として善し、故を以て誅せず。滇王西南夷を離難し、国を挙げて降り、吏を置き入朝せんことを請ふ。是に於て以て益州郡と為し、滇王に王印を賜ひ、復た其の民に長たらしむ。西南夷の君長は百を以て数ふ、独り夜郎・滇のみ王印を受く。滇は小邑なるも、最も寵せらる。
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