史記 / 西南夷列伝
始め楚の威王の時、将軍莊蹻をして兵を将ゐて江に循ひて上らしむ。莊蹻滇池に至る、地方三百里、旁の平地、肥饒なること数千里、兵威を以て定めて楚に属せしむ。帰り報ぜんと欲するも、会たま秦楚の巴・黔中郡を撃奪し、道塞がりて通ぜず、因りて還り、其の衆を以て滇に王たり、服を変じ、其の俗に従ひ、以て之に長たり。
新字:始め楚の威王の時、将軍荘蹻をして兵を将ゐて江に循ひて上らしむ。荘蹻滇池に至る、地方三百里、旁の平地、肥饒なること数千里、兵威を以て定めて楚に属せしむ。帰り報ぜんと欲するも、会たま秦楚の巴・黔中郡を撃奪し、道塞がりて通ぜず、因りて還り、其の衆を以て滇に王たり、服を変じ、其の俗に従ひ、以て之に長たり。
書き下し
始め楚の威王の時、将軍莊蹻をして兵を将ゐて江に循ひて上らしむ。莊蹻滇池に至るや、地方三百里、旁の平地、肥饒なること数千里、兵威を以て定めて楚に属せしむ。帰り報ぜんと欲するも、会たま秦楚の巴・黔中郡を撃奪し、道塞がりて通ぜず、因りて還り、其の衆を以て滇に王たり、服を変じ、其の俗に従ひ、以て之に長たり。
現代語訳
「帰る道が断たれても嘆かず、置かれた場所に根を下ろし、その地の流儀に合わせて生きる」——楚の将軍・莊蹻が、異郷の王となった経緯を描いた一段です。かつて楚の威王の時代、将軍・莊蹻は、命を受けて軍を率い、長江をさかのぼって西方を平定しました。彼が滇池のあたりに至ると、そこは周囲数千里に肥沃な平地が広がる豊かな土地で、莊蹻は武力でこれを平定し、楚に服属させます。ところが、いざ本国へ帰って報告しようとしたとき、思わぬ事態が起こりました。折しも秦が楚の巴・黔中郡を攻め奪ったため、帰る道が塞がれて、通れなくなってしまったのです。故郷への帰路を断たれた莊蹻は、そこで嘆き続けるのではなく、覚悟を決めます。手勢を率いてその地・滇にとどまり、王となったのです。そして彼は、自らの服装を現地の風習に改め、その土地の習俗に従い、人々の長として治めました(變服、從其俗)。異郷にあって、自国の流儀に固執するのではなく、その地の流儀に自らを合わせることで、根を下ろしたのです。ここに、環境の変化への適応についての教訓があります。第一に、帰る道が断たれ、状況が一変しても、嘆き続けるのではなく、置かれた場所で新たに根を下ろす覚悟を持つこと。莊蹻は、故郷へ戻れなくなったとき、その現実を受け入れ、目の前の地で生きる道を選んだ。変えられない状況を嘆くより、その中で最善を尽くす前向きさが、道を開く。第二に、新しい環境では、自分の元の流儀に固執せず、その地の習俗や流儀に自らを合わせること(變服、從其俗)。莊蹻は、征服者でありながら、現地の服装・習慣を受け入れ、人々に溶け込んだ。異なる環境で受け入れられ、人を率いるには、相手の流儀を尊重し、自らを適応させる柔軟さが要る。第三に、逆境(帰路の途絶)を、かえって新たな立場(一国の王)を築く機会に変える発想の転換。組織や人生で、状況が一変しても嘆かず置かれた場所で根を下ろすこと、新しい環境では自分の流儀に固執せずその地の流儀に合わせること、そして逆境を新たな機会に転じる発想を持つこと——莊蹻の適応は、環境の変化を生き抜く柔軟さを教えます。