史記 / 東越列伝
今漢兵至,眾彊,計殺餘善,自歸諸將,儻幸得脫。」乃遂俱殺餘善,以其眾降橫海將軍,故封繇王居股為東成侯,萬戶;封建成侯敖為開陵侯;封越衍侯吳陽為北石侯;封橫海將軍說為案道侯;封橫海校尉福為繚嫈侯。福者,成陽共王子,故為海常侯,坐法失侯。舊從軍無功,以宗室故侯。諸將皆無成功,莫封。東越將多軍,漢兵至,棄其軍降,封為無錫侯。於是天子曰東越狹多阻,閩越悍,數反覆,詔軍吏皆將其民徙處江淮閒。東越地遂虛。
新字:今漢兵至,衆彊,計殺余善,自帰諸将,儻幸得脱。」乃遂倶殺余善,以其衆降横海将軍,故封繇王居股為東成侯,万戸;封建成侯敖為開陵侯;封越衍侯呉陽為北石侯;封横海将軍説為案道侯;封横海校尉福為繚嫈侯。福者,成陽共王子,故為海常侯,坐法失侯。旧従軍無功,以宗室故侯。諸将皆無成功,莫封。東越将多軍,漢兵至,棄其軍降,封為無錫侯。於是天子曰東越狭多阻,閩越悍,数反覆,詔軍吏皆将其民徙処江淮閒。東越地遂虚。
書き下し
今漢兵至り、衆彊し、計るに余善を殺し、自ら諸将に帰せば、儻いは幸ひに脱るるを得ん」と。乃ち遂に倶に余善を殺し、其の衆を以て横海将軍に降る、故に繇王居股を封じて東成侯と為し、万戸。建成侯敖を封じて開陵侯と為す。越衍侯呉陽を封じて北石侯と為す。横海将軍説を封じて案道侯と為す。横海校尉福を封じて繚嫈侯と為す。福は、成陽共王の子にして、故海常侯為り、法に坐して侯を失ふ。旧軍に従ひて功無きも、宗室を以ての故に侯たり。諸将皆成功無く、封ぜらるる莫し。東越の将多軍、漢兵至るや、其の軍を棄てて降り、封じて無錫侯と為る。是に於て天子曰く、東越は狭くして阻多く、閩越は悍にして、数々反覆すと、軍吏に詔して皆其の民を将ゐて江淮の間に徙り処らしむ。東越の地遂に虚し。
現代語訳
今、漢の兵が到着し、その軍勢は強大だ。考えてみるに、余善を殺して自ら諸将のもとに帰順すれば、あるいは幸いに罪を免れられるかもしれない」。こうしてついに皆で余善を殺し、その軍勢を率いて横海将軍に降伏した。そこで繇王の居股を東成侯に封じて一万戸を与え、建成侯の敖を開陵侯に、越衍侯の呉陽を北石侯に、横海将軍の韓説を案道侯に、横海校尉の福を繚嫈侯に封じた。福は成陽共王の子で、もと海常侯であったが、法に触れて侯位を失っていた。以前従軍したときは功がなかったが、皇族であるために侯となった。他の諸将はみな功がなく、封ぜられなかった。東越の将の多軍は、漢兵が来るとその軍を捨てて降伏したので、無錫侯に封じられた。そこで天子は、東越は土地が狭くて険しい所が多く、閩越の人々は気性が荒く、たびたび背いたり従ったりを繰り返すと言い、軍吏に詔して、その民をすべて率いて長江と淮水の間に移住させた。東越の地はこうして無人となった。
解説
関連する章句
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史記 東越列伝余善「武帝」の璽を刻して自立し、其の民を詐り、妄言を為す。天子横海将軍韓説を遣はし句章に出で、海に浮かびて東方より往かしむ。楼船将軍楊僕は武林に出で、中尉王温舒は梅嶺に出で、越侯は戈船・下瀬将軍と為り、若邪・白沙に出づ。元封元年冬、咸東越に入る。東越素より兵を発して険を距ぎ、徇北将軍をして武林を守らしめ、楼船軍の数校尉を敗り、長吏を殺す。楼船将軍の率ゐる銭唐の轅終古徇北将軍を斬り、御児侯と為る。自ら兵未だ往かず。故の越衍侯呉陽前に漢に在り、漢帰りて余善を諭さしむるも、余善聴かず。横海将軍先づ至るに及び、越衍侯呉陽其の邑の七百人を以て反し、越軍を漢陽に攻む。建成侯敖に従ひ、其の率と与に、繇王居股に従ひて謀りて曰く、「余善は首悪なり、吾が属を劫守す。
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史記 東越列伝是の時楼船将軍楊僕使ひをして上書せしめ、便ち兵を引きて東越を撃たんことを願ふ。上士卒労倦すと曰ひ、許さず、兵を罷め、諸校をして豫章の梅領に屯して命を待たしむ。元鼎六年秋、余善楼船の之を誅せんことを請ひ、漢兵境に臨み、且に往かんとするを聞き、乃ち遂に反し、兵を発して漢の道を距ぐ。将軍騶力等を号して「呑漢将軍」と為し、白沙・武林・梅嶺に入り、漢の三校尉を殺す。是の時漢大農張成・故の山州侯歯をして将として屯せしむるも、敢て撃たず、却きて便処に就く、皆畏懦に坐して誅せらる。
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史記 東越列伝餘善已に郢を殺し、威国に行はれ、国民多く属し、竊かに自立して王と為る。繇王其の衆を矯めて正を持する能はず。天子聞きて、餘善を復た師を興すに足らずと為し、因りて餘善を立てて東越王と為し、繇王と并び処らしむ。元鼎五年に至り、南越反す、東越王餘善上書し、卒八千人を以て楼船将軍に従ひて呂嘉等を撃たんことを請ふ。兵揭揚に至り、海の風波を以て解と為し、行かず、両端を持し、陰かに南越に使ひす。漢の番禺を破るに及び、至らず。
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史記 東越列伝閩越王無諸及び越の東海王揺は、其の先皆越王句践の後なり、姓は騶氏。秦已に天下を并せ、皆廃して君長と為し、其の地を以て閩中郡と為す。諸侯秦に畔くに及び、無諸・揺越を率ゐて鄱陽の令呉芮に帰す、所謂鄱君なる者なり、諸侯に従ひて秦を滅ぼす。是の時に当たり、項籍命を主る、王とせず、故を以て楚に附かず。漢項籍を撃つや、無諸・揺越人を率ゐて漢を佐く。漢の五年、復た無諸を立てて閩越王と為し、閩中の故地に王とし、東冶に都せしむ。孝恵の三年、高帝の時の越の功を挙げ、曰く閩君揺は功多く、其の民便附すと、乃ち揺を立てて東海王と為し、東甌に都せしむ、世俗号して東甌王と為す。後数世、孝景の三年に至り、呉王濞反し、閩越を従へんと欲す、閩越未だ行くを肯ぜず、独り東甌呉に従ふ。呉破るるに及び、東甌漢の購を受け、呉王を丹徒に殺す、故を以て皆誅せられざるを得て、国に帰る。呉王の子子駒亡げて閩越に走り、東甌の其の父を殺すを怨み、常に閩越に東甌を撃たんことを勧む。
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史記 東越列伝建元六年に至り、閩越南越を撃つ。南越天子の約を守り、敢て擅に兵を発して撃たずして以て聞す。上大行王恢を遣り豫章より出で、大農韓安国会稽より出で、皆将軍と為す。兵未だ嶺を踰えざるに、閩越王郢兵を発して険を距つ。其の弟餘善乃ち相・宗族と謀りて曰く、「王擅に兵を発して南越を撃ち、請はず、故に天子の兵来たりて誅す。今漢兵衆彊なり。今王を殺して以て天子に謝せん。天子聴かば、兵を罷め、固より一国完し」と。皆「善し」と曰ふ。即ち王を鏦殺し、使をして其の頭を奉じて大行に致さしむ。大行曰く、「来たる所以の者は王を誅するなり。今王の頭至り、謝罪す、戦はずして耘る、利焉より大なるは莫し」と。
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史記 東越列伝乃ち便宜を以て兵を案じて大農の軍に告げ、而して使ひをして王の頭を奉じて馳せて天子に報ぜしむ。詔して両将の兵を罷め、曰く、「郢等は首悪なり、独り無諸の孫繇君丑は謀に与らず」と。乃ち郎中将をして丑を立てて越繇王と為し、閩越の先の祭祀を奉ぜしむ。
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