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史記 / 平津侯主父列伝

行十餘年,丁男被甲,丁女轉輸,苦不聊生,自經於道樹,死者相望。及秦皇帝崩,天下大叛。陳勝、吳廣舉陳,武臣、張耳舉趙,項梁舉吳,田儋舉齊,景駒舉郢,周市舉魏,韓廣舉燕,窮山通谷豪士并起,不可勝載也。然皆非公侯之后,非長官之吏也。無尺寸之勢,起閭巷,杖棘矜,應時而皆動,不謀而俱起,不約而同會,壤長地進,至于霸王,時教使然也。秦貴為天子,富有天下,滅世絕祀者,窮兵之禍也。故周失之弱,秦失之彊,不變之患也。今欲招南夷,朝夜郎,降羌僰,略濊州,建城邑,深入匈奴,燔其蘢城,議者美之。此人臣之利也,非天下之長策也。今中國無狗吠之驚,而外累於遠方之備,靡敝國家,非所以子民也。行無窮之欲,甘心快意,結怨於匈奴,非所以安邊也。禍結而不解,兵休而復起,近者愁苦,遠者驚駭,非所以持久也。今天下鍛甲砥劍,橋箭累弦,轉輸運糧,未見休時,此天下之所共憂也。夫兵久而變起,事煩而慮生。今外郡之地或幾千里,列城數十,形束壤制,旁脅諸侯,非公室之利也。上觀齊晉之所以亡者,公室卑削,六卿大盛也;下觀秦之所以滅者,嚴法刻深,欲大無窮也。

新字:行十余年,丁男被甲,丁女転輸,苦不聊生,自経於道樹,死者相望。及秦皇帝崩,天下大叛。陳勝、呉広舉陳,武臣、張耳舉趙,項梁舉呉,田儋舉斉,景駒舉郢,周市舉魏,韓広舉燕,窮山通谷豪士并起,不可勝載也。然皆非公侯之后,非長官之吏也。無尺寸之勢,起閭巷,杖棘矜,応時而皆動,不謀而倶起,不約而同会,壤長地進,至于覇王,時教使然也。秦貴為天子,富有天下,滅世絶祀者,窮兵之禍也。故周失之弱,秦失之彊,不変之患也。今欲招南夷,朝夜郎,降羌僰,略濊州,建城邑,深入匈奴,燔其蘢城,議者美之。此人臣之利也,非天下之長策也。今中国無狗吠之驚,而外累於遠方之備,靡敝国家,非所以子民也。行無窮之欲,甘心快意,結怨於匈奴,非所以安辺也。禍結而不解,兵休而復起,近者愁苦,遠者驚駭,非所以持久也。今天下鍛甲砥剣,橋箭累弦,転輸運糧,未見休時,此天下之所共憂也。夫兵久而変起,事煩而慮生。今外郡之地或幾千里,列城数十,形束壤制,旁脅諸侯,非公室之利也。上観斉晋之所以亡者,公室卑削,六卿大盛也;下観秦之所以滅者,厳法刻深,欲大無窮也。

書き下し

行ふこと十余年、丁男甲を被り、丁女転輸し、苦しみて生を聊んぜず、道樹に自経し、死者相望む。秦の皇帝崩ずるに及び、天下大いに叛く。陳勝・呉広陳に挙がり、武臣・張耳趙に挙がり、項梁呉に挙がり、田儋斉に挙がり、景駒郢に挙がり、周市魏に挙がり、韓広燕に挙がり、窮山通谷の豪士并び起こり、勝げて載すべからざるなり。然れども皆公侯の後に非ず、長官の吏に非ざるなり。尺寸の勢ひ無く、閭巷に起こり、棘矜を杖き、時に応じて皆動き、謀らずして倶に起こり、約せずして同じく会し、壌長じ地進み、霸王に至る、時教へて然らしむるなり。秦は貴きこと天子為り、富は天下を有つも、世を滅ぼし祀を絶つ者は、兵を窮むるの禍ひなり。故に周は之を弱きに失ひ、秦は之を彊きに失ふ、変ぜざるの患ひなり。今南夷を招き、夜郎を朝せしめ、羌僰を降し、濊州を略し、城邑を建て、深く匈奴に入り、其の蘢城を燔かんと欲す、議する者之を美とす。此れ人臣の利なり、天下の長策に非ざるなり。今中国に狗吠の驚き無くして、外は遠方の備へに累はされ、国家を靡敝す、民を子とする所以に非ざるなり。無窮の欲を行ひ、心に甘んじ意を快くし、怨みを匈奴に結ぶは、辺を安んずる所以に非ざるなり。禍結びて解けず、兵休みて復た起こり、近き者は愁苦し、遠き者は驚駭す、久しきを持する所以に非ざるなり。今天下甲を鍛へ剣を砥ぎ、箭を橋め弦を累ね、転輸して糧を運び、未だ休む時を見ず、此れ天下の共に憂ふる所なり。夫れ兵久しくして変起こり、事煩はしくして慮生ず。今外郡の地或いは幾千里、列城数十、形束ね壌制し、旁ら諸侯を脅かす、公室の利に非ざるなり。上は斉晋の亡ぶる所以の者を観るに、公室卑削して、六卿大いに盛んなればなり。下は秦の滅ぶる所以の者を観るに、厳法刻深にして、欲大いに窮まり無ければなり。

現代語訳

それが十余年続き、壮年の男は鎧を着け、壮年の女は物資を運び、苦しさに生きる気力も失い、道ばたの木で首をくくり、死者が相次いだ。秦の皇帝が崩じると、天下は大いに背いた。陳勝・呉広は陳で挙兵し、武臣・張耳は趙で、項梁は呉で、田儋は斉で、景駒は郢で、周市は魏で、韓広は燕で挙兵し、奥深い山や谷の豪傑たちが一斉に立ち上がり、すべてを記すことはできないほどだった。しかし、彼らはみな公侯の子孫でもなく、長官の役人でもない。わずかな勢力もなく、村里から起こり、茨の柄の矛を手にし、時勢に応じて皆が動き、示し合わせずともともに立ち、約束せずとも同じく集まり、土地を広げて領地を進め、覇王にまで至った。時勢がそうさせたのである。秦は貴さでは天子であり、富は天下を保ちながら、代を絶やし祭祀を断たれたのは、武力を極め尽くした禍いである。だから周は弱さによって天下を失い、秦は強さによって天下を失った。いずれも変わらなかったことの患いである。今、南夷を招き寄せ、夜郎(やろう)を来朝させ、羌(きょう)や僰(ほく)を降伏させ、濊州(わいしゅう)を攻略し、城邑を建て、深く匈奴に入り込んでその蘢城(ろうじょう、祭祀の地)を焼こうとしており、論者はこれを称賛している。これは臣下の利益であって、天下の長期的な策ではない。今、中国には犬が吠えて驚くほどの騒ぎもないのに、外では遠方の備えに煩わされ、国家を疲弊させている。これは民をわが子のように慈しむやり方ではない。果てしない欲望を行い、心を満たし気を晴らして、匈奴と怨みを結ぶのは、辺境を安んじるやり方ではない。禍いが結ばれて解けず、兵を休めてもまた起こし、近くの者は憂え苦しみ、遠くの者は驚き恐れる。これは長く保つやり方ではない。今、天下は鎧を鍛え剣を研ぎ、矢を矯め弦を重ね、物資を転送し食糧を運んで、休む時が見えない。これは天下がともに憂えるところである。戦が長引けば変事が起こり、事が煩雑になれば思わぬ考えが生じる。今、外郡の土地は数千里に及ぶものもあり、城を数十も連ね、地形で束ね土地で制して、傍らの諸侯を脅かしている。これは公室(皇室)の利益ではない。上古を見れば、斉と晋が滅んだのは、公室が衰え削られ、六卿が大いに盛んになったからである。近くを見れば、秦が滅んだのは、法が厳しく苛酷で、欲望が大きく果てしなかったからである。

解説

厳安の上書の中心部です。秦の遠征で民が首をくくるほど疲れ、始皇帝の死とともに陳勝・呉広をはじめ各地で名もない者たちが一斉に立ち上がった。彼らに勢力はなかったが、時勢がそうさせたのだと述べ、「周は弱さで失い、秦は強さで失った、どちらも変わらなかったことの患い」と総括します。そのうえで武帝の西南夷・朝鮮・匈奴への拡張策は「人臣の利」であって天下の長策ではないと断じ、辺境の郡守が数千里を治めて諸侯を脅かすほどの力を持つ危険も指摘します。拡大策が現場の手柄や出世の道具になり、全体の利益から離れていくという指摘は鋭く、今の組織で新規事業や遠隔拠点が膨らむときにも当てはまります。

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