韓非子 / 南面第十八
然則古之無變,常之毋易,在常古之可與不可。伊尹毋變殷,太公毋變周,則湯、武不王矣。
新字:然則古之無変,常之毋易,在常古之可与不可。伊尹毋変殷,太公毋変周,則湯、武不王矣。
書き下し
然らば則ち古の変ずる無く、常の易ふる毋きは、常古の可と不可とに在り。伊尹殷を変ずる毋く、太公周を変ずる毋くんば、則ち湯・武は王たらざらん。
現代語訳
そうだとすれば、古いやり方を変えないこと、いつものやり方を改めないことの是非は、そのいつものやり方や古いやり方がよいか悪いかにかかっている。もし伊尹が殷のやり方を変えず、太公望が周のやり方を変えなかったなら、殷の湯王や周の武王は天下の王にはなれなかっただろう。
解説
「南面」篇で、古いやり方を変えるべきかどうかを論じた一節です。直前で韓非は、政治を知らない者は「古いやり方を変えるな、いつものやり方を改めるな」と言うと述べています。それに対して、変えるかどうかは古さではなく、そのやり方がよいか悪いかで決めるべきだと反論します。伊尹や太公望が旧来のやり方に固執していれば、湯王も武王も天下を取れなかったという例は、儒家の尊ぶ聖王をあえて持ち出した巧みな論法です。「昔からこうしてきた」は判断の理由にならない、という指摘は、前例踏襲が根強い組織にとって耳の痛い言葉でしょう。
関連する章句
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『韓非子』南面第十八今、大費するも罪無くして少しく得るを功と為せば、則ち人臣大費を出だして小功を成し、小功成りて主も亦た害有り。治を知らざる者は、必ず曰く、「古を変うる無かれ、常を易うる毋かれ」と。変と不変とは、聖人聴かず、治を正すのみ。
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『商君書』更法公孫鞅曰く、「前世は教えを同じくせず、何の古をかこれ法らん。帝王は相い復せず、何の禮をかこれ循わん。伏羲・神農は教えて誅せず、黃帝・堯・舜は誅して怒らず、文武に至るに及びては、各々時に當りて法を立て、事に因りて禮を制す。禮法は時を以て定まり、制令は各々その宜しきに順い、兵甲器備は各々その用に便なり。臣故に曰く、『治世は一道ならず、國を便にするに必ずしも古に法らず』と。湯武の王たるや、古に循わずして興り、殷夏の滅ぶるや、禮を易えずして亡ぶ。然れば則ち古に反する者は未だ必ずしも非とすべからず、禮に循う者は未だ多とするに足らざるなり。君疑うこと無かれ」と。
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史記 趙世家王曰く、「先王俗を同じくせず、何の古をか法らん。帝王相襲がず、何の礼をか循はん。三王に至りては、時に随ひて法を制し、事に因りて礼を制す。法度制令は各おの其の宜に順ひ、衣服器械は各おの其の用に便す。故に礼も亦た必ずしも一道ならず、而して国を便にするは必ずしも古ならず。聖人の興るや相襲がずして王たり、夏・殷の衰ふるや礼を易へずして滅ぶ。然れば則ち古に反くも未だ非とす可からず、而して礼に循ふも未だ多とするに足らず」と。
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