論語 / 子路篇
子曰:「『善人爲邦百年,亦可以勝殘去殺矣。』誠哉是言也。」
新字:子曰:「『善人為邦百年,亦可以勝残去殺矣。』誠哉是言也。」
書き下し
子曰く、「『善人邦を為むること百年ならば、亦た以て残に勝ちて殺を去る可し』と。誠なるかな是の言や。」
現代語訳
先生がおっしゃった。「『善人が国を治めて百年たてば、残虐な者を感化して、死刑をなくすことができる』(という言葉がある)。本当だな、この言葉は。」
解説
古い言い伝えを引いて、孔子が同意した章である。注目すべきは百年という期間だ。善人が治めても、残虐を抑え死刑を無くすには百年かかる。一代では終わらない。制度を変えれば済むという話ではなく、人の気風が変わるには世代を超えた時間が要るという認識である。この時間感覚は、いま最も失われているものだろう。改革は数年で成果を求められ、成果が出なければ方針が変わる。方針が変わり続ける組織では、気風は育たない。孔子が誠哉と強く同意したのは、百年という数字の正しさに対してだったはずだ。自分の代で完成しないことに取り組めるかどうか。事業でも教育でも、本当に変えたいものほど、この問いを避けて通れない。
この章句が説くこと
長期気風世代忍耐治世
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