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史記 / 平津侯主父列伝

地固澤鹵,不生五穀。然後發天下丁男以守北河。暴兵露師十有餘年,死者不可勝數,終不能踰河而北。是豈人眾不足,兵革不備哉?其勢不可也。又使天下蜚芻輓粟,起於黃、腄、瑯邪負海之郡,轉輸北河,率三十鐘而致一石。男子疾耕不足於糧饟,女子紡績不足於帷幕。百姓靡敝,孤寡老弱不能相養,道路死者相望,蓋天下始畔秦也。及至高皇帝定天下,略地於邊,聞匈奴聚於代谷之外而欲擊之。御史成進諫曰:「不可。夫匈奴之性,獸聚而鳥散,從之如搏影。今以陛下盛德攻匈奴,臣竊危之。」高帝不聽,遂北至於代谷,果有平城之圍。高皇帝蓋悔之甚,乃使劉敬往結和親之約,然後天下忘干戈之事。故兵法曰「興師十萬,日費千金」。夫秦常積眾暴兵數十萬人,雖有覆軍殺將系虜單于之功,亦適足以結怨深讎,不足以償天下之費。夫上虛府庫,下敝百姓,甘心於外國,非完事也。夫匈奴難得而制,非一世也。行盜侵驅,所以為業也,天性固然。上及虞夏殷周,固弗程督,禽獸畜之,不屬為人。夫上不觀虞夏殷周之統,而下循近世之失,此臣之所大憂,百姓之所疾苦也。且夫兵久則變生,事苦則慮易。

新字:地固沢鹵,不生五穀。然後発天下丁男以守北河。暴兵露師十有余年,死者不可勝数,終不能踰河而北。是豈人衆不足,兵革不備哉?其勢不可也。又使天下蜚芻輓粟,起於黄、腄、瑯邪負海之郡,転輸北河,率三十鐘而致一石。男子疾耕不足於糧饟,女子紡績不足於帷幕。百姓靡敝,孤寡老弱不能相養,道路死者相望,蓋天下始畔秦也。及至高皇帝定天下,略地於辺,聞匈奴聚於代谷之外而欲撃之。御史成進諫曰:「不可。夫匈奴之性,獣聚而鳥散,従之如搏影。今以陛下盛徳攻匈奴,臣窃危之。」高帝不聴,遂北至於代谷,果有平城之囲。高皇帝蓋悔之甚,乃使劉敬往結和親之約,然後天下忘干戈之事。故兵法曰「興師十万,日費千金」。夫秦常積衆暴兵数十万人,雖有覆軍殺将系虜単于之功,亦適足以結怨深讎,不足以償天下之費。夫上虚府庫,下敝百姓,甘心於外国,非完事也。夫匈奴難得而制,非一世也。行盗侵駆,所以為業也,天性固然。上及虞夏殷周,固弗程督,禽獣畜之,不属為人。夫上不観虞夏殷周之統,而下循近世之失,此臣之所大憂,百姓之所疾苦也。且夫兵久則変生,事苦則慮易。

書き下し

地固より沢鹵にして、五穀を生ぜず。然る後に天下の丁男を発して以て北河を守らしむ。兵を暴し師を露すこと十有余年、死者勝げて数ふべからず、終に河を踰えて北すること能はず。是れ豈に人衆足らず、兵革備はらざらんや。其の勢ひ不可なればなり。又天下をして芻を蜚ばし粟を輓かしめ、黄・腄・瑯邪の海を負ふの郡より起こし、北河に転輸す、率ね三十鍾にして一石を致す。男子疾く耕すも糧饟に足らず、女子紡績するも帷幕に足らず。百姓靡敝し、孤寡老弱相養ふこと能はず、道路の死者相望む、蓋し天下始めて秦に畔く。高皇帝天下を定むるに至るに及び、地を辺に略し、匈奴代谷の外に聚まると聞きて之を撃たんと欲す。御史成進み諫めて曰く、「不可なり。夫れ匈奴の性、獣のごとく聚まりて鳥のごとく散ず、之に従ふこと影を搏つが如し。今陛下の盛徳を以て匈奴を攻む、臣窃かに之を危ぶむ」と。高帝聴かず、遂に北して代谷に至り、果して平城の囲み有り。高皇帝蓋し之を悔ゆること甚し、乃ち劉敬をして往きて和親の約を結ばしめ、然る後に天下干戈の事を忘る。故に兵法に曰く「師十万を興せば、日に千金を費す」と。夫れ秦常に衆を積み兵を暴すこと数十万人、軍を覆し将を殺し単于を係虜するの功有りと雖も、亦適に以て怨みを結び讎を深くするに足り、以て天下の費を償ふに足らず。夫れ上は府庫を虚しくし、下は百姓を敝し、心を外国に甘んずるは、完事に非ざるなり。夫れ匈奴の得て制し難きは、一世に非ざるなり。行盗侵駆は、業と為す所以なり、天性固より然り。上は虞夏殷周に及ぶまで、固より程督せず、禽獣として之を畜ひ、人と為すに属せず。夫れ上は虞夏殷周の統を観ずして、下は近世の失に循ふ、此れ臣の大いに憂ふる所、百姓の疾苦する所なり。且つ夫れ兵久しければ則ち変生じ、事苦しければ則ち慮易はる。

現代語訳

(秦が奪った北方の)土地はもともと沼沢と塩地で、五穀が育たない。それなのに天下の壮丁を徴発して北河(黄河の北の屈曲部)を守らせた。兵を野ざらしにして十余年、死者は数えきれず、ついに黄河を越えて北へ進むことはできなかった。これは人数が足りず、武器や甲冑が備わっていなかったからだろうか。そうではなく、情勢がそれを許さなかったのである。また天下に命じて飼い葉を急送させ穀物を引かせ、黄・腄(すい)・琅邪など海に面した郡から北河まで運ばせたが、およそ三十鍾(しょう)を送り出してやっと一石が届くありさまだった。男は懸命に耕しても兵糧に足らず、女は糸を紡いでも陣幕に足りなかった。民は疲れ果て、孤児・寡婦・老人・弱者は互いに養うこともできず、道には死者が折り重なった。これが天下がはじめて秦に背いたゆえんである。高皇帝(劉邦)が天下を平定すると、辺境の地を攻略し、匈奴が代谷の外に集結していると聞いてこれを討とうとした。御史の成が進み出て諫めた。「なりません。匈奴の性質は、獣のように集まり鳥のように散ってしまい、追いかけるのは影をつかもうとするようなものだ。いま陛下の盛んな徳をもって匈奴を攻めるのは、ひそかに危ういと存じます」。高帝は聞き入れず、北進して代谷に至り、はたして平城で包囲された。高皇帝はこれをひどく後悔し、劉敬を遣わして和親の約束を結ばせ、それから天下は戦いを忘れたのである。だから兵法に「十万の軍を起こせば、一日に千金を費やす」という。秦はつねに大軍を集めて数十万の兵を野ざらしにし、敵軍を覆し将を殺し単于(匈奴の君主)を捕らえるほどの戦果があったとしても、それはかえって怨みを結び仇を深めるだけで、天下の出費を償うには足りない。上は国庫を空にし、下は民を疲れさせ、外国を相手に意地を張るのは、万全の策ではない。匈奴を制しがたいのは、一代だけのことではない。略奪し侵入して追い立てるのが彼らの生業であり、天性もともとそうなのである。上古の虞・夏・殷・周の時代から、もともと彼らを統制しようとせず、禽獣として扱い、人の仲間とは見なさなかった。上は虞・夏・殷・周の伝統を見ず、下は近世(秦)の過ちをなぞっている。これこそ臣の大いに憂えるところであり、民の苦しむところである。しかも戦が長引けば変事が起こり、事が苦しければ人の考えは変わるものである。

解説

主父偃が武帝に奉った上書のうち、匈奴討伐を諫めた部分です。秦が蒙恬に北方を攻めさせたとき、不毛の地を守るために十余年兵を野ざらしにし、海辺から三十鍾送って一石しか届かない補給で民を疲弊させ、それが反乱の始まりになったと論じます。さらに劉邦が御史成の諫めを聞かず平城で包囲され、和親に転じた故事を引き、『孫子』の「十万の師を興せば日に千金を費す」で戦費の重さを示します。武帝が匈奴との全面戦争に踏み出す時期に、真っ向から反対論を述べた文書です。勝っても怨みが深まるだけで費用は回収できない、という冷静な費用対効果の議論は、今の事業投資や市場拡大の判断にもそのまま通じます。

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