史記 / 平津侯主父列伝
汲黯庭詰弘曰:「齊人多詐而無情實,始與臣等建此議,今皆倍之,不忠。」上問弘。弘謝曰:「夫知臣者以臣為忠,不知臣者以臣為不忠。」上然弘言。左右幸臣每毀弘,上益厚遇之。元朔三年,張歐免,以弘為御史大夫。是時通西南夷,東置滄海,北筑朔方之郡。弘數諫,以為罷敝中國以奉無用之地,願罷之。於是天子乃使朱買臣等難弘置朔方之便。發十策,弘不得一。弘乃謝曰:「山東鄙人,不知其便若是,願罷西南夷、滄海而專奉朔方。」上乃許之。
新字:汲黯庭詰弘曰:「斉人多詐而無情実,始与臣等建此議,今皆倍之,不忠。」上問弘。弘謝曰:「夫知臣者以臣為忠,不知臣者以臣為不忠。」上然弘言。左右幸臣毎毀弘,上益厚遇之。元朔三年,張欧免,以弘為御史大夫。是時通西南夷,東置滄海,北筑朔方之郡。弘数諫,以為罷敝中国以奉無用之地,願罷之。於是天子乃使朱買臣等難弘置朔方之便。発十策,弘不得一。弘乃謝曰:「山東鄙人,不知其便若是,願罷西南夷、滄海而専奉朔方。」上乃許之。
書き下し
汲黯庭に弘を詰りて曰く、「斉人は詐多くして情実無し、始め臣等と此の議を建て、今皆之に倍く、不忠なり」と。上弘に問ふ。弘謝して曰く、「夫れ臣を知る者は臣を以て忠と為し、臣を知らざる者は臣を以て不忠と為す」と。上弘の言を然りとす。左右の幸臣毎に弘を毀る、上益々厚く之を遇す。元朔三年、張欧免ぜられ、弘を以て御史大夫と為す。是の時西南夷を通じ、東に滄海を置き、北に朔方の郡を築く。弘数々諫め、以為へらく中国を罷敝して以て無用の地に奉ずと、願はくは之を罷めよと。是に於て天子乃ち朱買臣等をして弘を朔方を置くの便を以て難ぜしむ。十策を発し、弘一をも得ず。弘乃ち謝して曰く、「山東の鄙人、其の便是くの若きを知らず、願はくは西南夷・滄海を罷めて専ら朔方を奉ぜん」と。上乃ち之を許す。
現代語訳
汲黯(きゅうあん、硬骨の重臣)が朝廷で弘を詰問して言った。「斉の人間は偽りが多く誠実さがない。はじめはわたしどもとこの提議を立てておきながら、今はすべて背いている。不忠である」。主上が弘に問うと、弘は謝して言った。「わたしを知る者はわたしを忠と思い、わたしを知らない者はわたしを不忠と思うのです」。主上は弘の言葉をもっともだとした。側近の寵臣たちがそのたびに弘をそしったが、主上はますます手厚く彼を遇した。元朔三年(前126年)、張欧が免職されると、弘を御史大夫とした。このころ西南夷への道を開き、東には滄海郡を置き、北には朔方郡を築いていた。弘はたびたび諫め、中国を疲弊させて無用の土地に尽くすことになるから、やめてほしいと述べた。そこで天子は朱買臣らに命じて、朔方郡を置くことの利点を挙げて弘を論難させた。十の論点を示されたが、弘は一つも反論できなかった。弘はそこで謝って言った。「わたしは山東の田舎者で、それほどの利点があるとは知りませんでした。どうか西南夷と滄海をやめ、朔方だけに力を注いでいただきたい」。主上はこれを許した。
解説
関連する章句
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史記 平津侯主父列伝汲黯曰く、「弘位三公に在り、奉祿甚だ多し。然れども布被を為る、此れ詐なり」と。上弘に問ふ。弘謝して曰く、「之れ有り。夫れ九卿の臣と善き者は黯に過ぐる無し、然れども今日弘を庭詰す、誠に弘の病に中たる。夫れ三公を以て布被を為るは、誠に詐を飾りて以て名を釣らんと欲す。今臣弘位御史大夫為り、而して布被を為る、九卿より以下小吏に至るまで、差無し、誠に汲黯の言のごとし。且つ汲黯の忠無くんば、陛下安くんぞ此の言を聞くを得ん」と。天子以為らく謙譲なりと、愈いよ益ます之を厚くす。
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史記 平津侯主父列伝卒に弘を以て丞相と為し、平津侯に封ず。弘人と為り意忌、外は寛にして内は深し。諸々の嘗て弘と卻有る者は、詳りて与に善しと雖も、陰に其の禍を報ず。主父偃を殺し、董仲舒を膠西に徙すは、皆弘の力なり。一肉脱粟の飯を食ふ。故人の善くする所の賓客、衣食を仰ぐ、弘の奉禄皆以て之に給し、家に余す所無し。士も亦此を以て之を賢とす。淮南・衡山謀反し、党与を治むること方に急なり。弘病甚し、自ら以為へらく功無くして封ぜられ、位丞相に至る、宜しく明主を佐けて国家を填撫し、人をして臣子の道に由らしむべし。今諸侯畔逆の計有り、此れ皆宰相職を奉じて称はざるなり、恐らくは窃かに病死し、以て責を塞ぐ無からんと。乃ち上書して曰く、「臣聞く天下の通道は五、之を行ふ所以の者は三。曰く君臣、父子、兄弟、夫婦、長幼の序、此の五者は天下の通道なり。智、仁、勇、此の三者は天下の通徳、之を行ふ所以の者なり。故に曰く『力行は仁に近く、好問は智に近く、知恥は勇に近し』と。此の三者を知れば、則ち自ら治むる所以を知る。自ら治むる所以を知りて、然る後に人を治むる所以を知る。天下未だ自ら治むること能はずして能く人を治むる者有らざるなり、此れ百世易はらざるの道なり。今陛下躬ら大孝を行ひ、三王に鑑み、周道を建て、文武を兼ね、賢を厲まし禄を予へ、能を量りて官を授く。今臣弘罷駑の質、汗馬の労無し、陛下過意して臣弘を卒伍の中より擢き、封じて列侯と為し、位を三公に致す。臣弘行能以て称ふに足らず、素より負薪の病有り、恐らくは狗馬に先んじて溝壑を填め、終に以て徳に報い責を塞ぐ無からん。願はくは侯印を帰し、骸骨を乞ひ、賢者の路を避けん」と。天子報じて曰く、「古者功有るを賞し、徳を襃め、成を守るには文を尚び、遭遇には武を右ぶ、未だ此を易ふる者有らざるなり。
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史記 平津侯主父列伝弘の為人恢奇にして多聞、常に称して以為らく人主は広大ならざるを病とし、人臣は倹節ならざるを病とす、と。弘布被を為り、食に肉を重ねず。毎に朝会議するに、其の端を開陳し、人主をして自ら択ばしめ、面折庭争するを肯んぜず。是に於て天子其の行の敦厚にして、辯論余り有り、文法吏事に習ひ、而も又緣飾するに儒術を以てするを察し、上大いに之を説ぶ。
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史記 平津侯主父列伝丞相公孫弘は、斉の菑川国(しせんこく)薛県の人なり、字は季。少き時薛の獄吏と為り、罪有りて免ぜらる。家貧しく、豕を海上に牧ふ。年四十余にして、乃ち春秋の雑説を学ぶ。後母を養ひて孝謹なり。建元元年、天子初めて位に即き、賢良文学の士を招く。是の時弘年六十、徴されて賢良を以て博士と為る。匈奴に使ひし、還りて報ず、上の意に合はず、上怒り、以て能はずと為し、弘乃ち病みて免ぜられ帰る。元光五年、詔有りて文学を徴す、菑川国復た公孫弘を推し上す。弘国人に譲謝して曰く、「臣已に嘗て西して命に応じ、能はざるを以て罷め帰る、願はくは更に推選せよ」と。国人固く弘を推し、弘太常に至る。太常、徴する所の儒士をして各々対策せしむ、百余人、弘の第は下に居る。策奏せらるるに、天子弘の対を擢きて第一と為す。召されて入り見ゆるに、状貌甚だ麗し、拝して博士と為す。是の時西南夷の道を通じ、郡を置く、巴蜀の民之に苦しむ、詔して弘をして之を視しむ。還りて事を奏し、盛んに西南夷の用ふる所無きを毀る、上聴かず。
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史記 汲鄭列伝天子既に数々匈奴を征して功有り、黯の言益々用ひられず。始め黯列して九卿為り、而して公孫弘・張湯は小吏為り。弘・湯稍く益々貴く、黯と位を同じくするに及び、黯又弘・湯等を非毀す。已にして弘丞相に至り、封ぜられて侯と為る。湯御史大夫に至る。故の黯の時の丞相史皆黯と列を同じくし、或いは尊用せらるること之に過ぐ。黯褊心にして、少しく望む無きこと能はず、上に見え、前みて言ひて曰く、「陛下の群臣を用ふること積薪の如きのみ、後に来たる者上に居る」と。上黙然たり。間有りて黯罷む、上曰く、「人果して以て学無かるべからず、黯の言を観るに日に益々甚し」と。居ること何も無くして、匈奴の渾邪王衆を率ゐて来たり降る、漢車二万乗を発す。県官銭無く、民より馬を貰る。民或いは馬を匿し、馬具はらず。上怒り、長安の令を斬らんと欲す。黯曰く、「長安の令罪無し、独り黯を斬らば、民乃ち馬を出だすを肯ぜん。且つ匈奴其の主に畔きて漢に降る、漢徐ろに県次を以て之を伝へんのみ、何ぞ天下を騒動せしめ、中国を罷獘して以て夷狄の人に事ふるに至らんや」と。上黙然たり。渾邪至るに及び、賈人の与に市する者、坐して死に当たる者五百余人。黯間を請ひ、高門に見えて、曰く、「夫れ匈奴は当路の塞を攻め、和親を絶つ、中国兵を興して之を誅す、死傷する者勝げて計ふべからず、而して費は巨万百を以て数ふ。臣愚以為へらく陛下胡人を得ば、皆以て奴婢と為して以て従軍して事に死せし者の家に賜ひ、鹵獲する所は、因りて之に予へ、以て天下の苦に謝し、百姓の心を塞がんと。今縦ひ能はずとも、渾邪数万の衆を率ゐて来たり降る、府庫を虚しくして賞賜し、良民を発して侍養せしむ、譬へば驕子を奉ずるが若し。愚民安んぞ長安中の物を市買して文吏縄して以て財物を辺関に闌出すと為すを知らんや。
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史記 平津侯主父列伝偃盛んに言ふ、朔方の地は肥饒にして、外は河に阻まれ、蒙恬之に城きて以て匈奴を逐ふ、内は転輸戍漕を省き、中国を広む、胡を滅ぼすの本なりと。上其の説を覧て、公卿に下して議せしむ、皆便ならずと言ふ。公孫弘曰く、「秦の時常に三十万の衆を発して北河に築くも、終に就すべからず、已にして之を棄つ」と。主父偃盛んに其の便を言ひ、上竟に主父の計を用ひ、朔方郡を立つ。元朔二年、主父言ふ、斉王内に淫佚にして行ひ僻なりと、上主父を拝して斉の相と為す。斉に至り、遍く昆弟賓客を召し、五百金を散じて之に予へ、之を数めて曰く、「始め吾貧しき時、昆弟我に衣食せしめず、賓客我を門に内れず。今吾斉に相たり、諸君我を迎ふること或いは千里。吾諸君と絶てり、復た偃の門に入ること毋かれ」と。乃ち人をして王と姊との姦事を以て王を動かさしむ、王以為へらく終に罪を脱るるを得ずと、燕王に效ひて死を論ぜられんことを恐れ、乃ち自殺す。有司以て聞す。主父始め布衣為りし時、嘗て燕・趙に游び、其の貴きに及び、燕の事を発す。趙王其の国の患ひと為らんことを恐れ、上書して其の陰事を言はんと欲するも、偃中に居るが為に、敢て発せず。斉の相と為りて、関を出づるに及び、即ち人をして上書せしめ、主父偃諸侯の金を受け、故を以て諸侯の子弟多く以て封を得る者ありと告言す。斉王自殺するに及び、上聞きて大いに怒り、以為へらく主父其の王を劫して自殺せしむと、乃ち徴して吏に下して治む。主父諸侯の金を受くるに服するも、実は王を劫して自殺せしめず。上誅すること勿からんと欲す、是の時公孫弘御史大夫為り、乃ち言ひて曰く、「斉王自殺して後無く、国除かれて郡と為り、漢に入る、主父偃は本首悪なり、陛下主父偃を誅せずんば、以て天下に謝する無し」と。乃ち遂に主父偃を族す。主父方に貴幸なりし時、賓客千を以て数ふ、其の族死するに及び、一人の収むる者無し、唯だ独り洨の孔車之を収めて葬る。天子後に之を聞き、以為へらく孔車は長者なりと。
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