史記 / 平津侯主父列伝
弘為人恢奇多聞,常稱以為人主病不廣大,人臣病不儉節。弘為布被,食不重肉。后母死,服喪三年。每朝會議,開陳其端,令人主自擇,不肯面折庭爭。於是天子察其行敦厚,辯論有餘,習文法吏事,而又緣飾以儒術,上大說之。二歲中,至左內史。弘奏事,有不可,不庭辯之。嘗與主爵都尉汲黯請閒,汲黯先發之,弘推其後,天子常說,所言皆聽,以此日益親貴。嘗與公卿約議,至上前,皆倍其約以順上旨。
新字:弘為人恢奇多聞,常称以為人主病不広大,人臣病不倹節。弘為布被,食不重肉。后母死,服喪三年。毎朝会議,開陳其端,令人主自択,不肯面折庭争。於是天子察其行敦厚,弁論有余,習文法吏事,而又縁飾以儒術,上大説之。二歳中,至左内史。弘奏事,有不可,不庭弁之。嘗与主爵都尉汲黯請閒,汲黯先発之,弘推其後,天子常説,所言皆聴,以此日益親貴。嘗与公卿約議,至上前,皆倍其約以順上旨。
書き下し
弘の為人恢奇にして多聞、常に称して以為らく人主は広大ならざるを病とし、人臣は倹節ならざるを病とす、と。弘布被を為り、食に肉を重ねず。毎に朝会議するに、其の端を開陳し、人主をして自ら択ばしめ、面折庭争するを肯んぜず。是に於て天子其の行の敦厚にして、辯論余り有り、文法吏事に習ひ、而も又緣飾するに儒術を以てするを察し、上大いに之を説ぶ。
現代語訳
公孫弘の人柄は度量が大きく、見聞が広かった。いつもこう言っていた。君主というものは度量が広くないことを欠点とし、臣下というものは倹約と節制がないことを欠点とする、と。弘は木綿の布団を使い、食事に肉を二品並べなかった。朝廷の会議のたびに、論点だけを提示して、君主自身に選ばせ、面と向かって反駁したり朝廷で言い争ったりしようとはしなかった。そこで天子は、彼の行いが篤実で、議論も余裕があり、法制と実務に通じていて、しかも儒学で飾りをつけていることを見て取り、大いに気に入った。
解説
「上に立つ者は器を大きく、仕える者は身を慎み倹しく」——豚飼いから丞相にまで上った公孫弘の、節倹の姿勢と処世を描いた一段です。公孫弘は、海辺で豚を飼い、六十歳を過ぎてから世に出て、ついには丞相にまで上った人物です。彼は博識でありながら、常々こう唱えていました。「人の上に立つ者(人主)の欠点は、器が広大でないこと。人に仕える者(人臣)の欠点は、倹しく身を慎まないこと(人主病不廣大、人臣病不儉節)」と。この信条どおり、彼自身は倹約を貫きました。三公という高位にありながら、粗末な木綿の夜具を用い、食事も肉を重ねることはなかったのです。また、彼の進言のしかたにも特徴がありました。朝廷で議論するとき、まず問題の要点だけを述べ、判断は君主自身に選ばせて、決して人前で君主に激しく反論して面目を潰すこと(面折庭争)はしませんでした。皇帝は、公孫弘の人柄が誠実で、弁論に長け、実務にも通じ、そこに儒学の教養を加えている様子を見て、大いに気に入ったのです。ここに、立場に応じた身の処し方についての教訓があります。第一に、上に立つ者と仕える者とでは、求められる資質が異なるということ。「人主は広大ならざるを病とし、人臣は倹節ならざるを病とす」——リーダーには、細事にこだわらぬ広い度量が求められ、部下には、身を慎み倹しく務める節度が求められる。それぞれの立場にふさわしい在り方がある。第二に、高い地位にあっても、倹約と節度を自ら実践することの説得力。公孫弘は、丞相でありながら質素な暮らしを貫いた。上に立つ者が範を示せば、言葉以上に組織を律する。第三に、進言のしかたにも工夫が要るということ。要点を示して相手に選ばせ、人前で面目を潰さない——ただし、この配慮が過剰になれば、後に見るように「保身のための迎合」に転じる危うさもはらむ。組織で、立場に応じて求められる資質の違いを自覚すること、高い地位でも倹約と節度を自ら実践すること、そして相手の面目に配慮した進言を心がけること——公孫弘の姿勢は、立場に応じた身の処し方を教えます。
この章句が説くこと
公孫弘人主病不広大人臣病不倹節立場に応じた資質倹約と節度範を示す面折庭争せず
この一句を、あなたの毎日に。
古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。
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