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史記 / 平津侯主父列伝

汲黯曰、弘位三公に在り、奉祿甚だ多し。然れども布被を為る、此れ詐なり。上弘に問ふ。弘謝して曰、之れ有り。夫れ九卿の臣と善き者は黯に過ぐる無し、然れども今日弘を庭詰す、誠に弘の病に中たる。夫れ三公を以て布被を為るは、誠に詐を飾りて以て名を釣らんと欲す。今臣弘位御史大夫為り、而して布被を為る、九卿より以下小吏に至るまで、差無し、誠に汲黯の言のごとし。且つ汲黯の忠無くんば、陛下安くんぞ此の言を聞くを得ん。天子以為らく謙譲なりと、愈いよ益ます之を厚くす。

書き下し

汲黯曰く、「弘位三公に在り、奉祿甚だ多し。然れども布被を為る、此れ詐なり」と。上弘に問ふ。弘謝して曰く、「之れ有り。夫れ九卿の臣と善き者は黯に過ぐる無し、然れども今日弘を庭詰す、誠に弘の病に中たる。夫れ三公を以て布被を為るは、誠に詐を飾りて以て名を釣らんと欲す。今臣弘位御史大夫為り、而して布被を為る、九卿より以下小吏に至るまで、差無し、誠に汲黯の言のごとし。且つ汲黯の忠無くんば、陛下安くんぞ此の言を聞くを得ん」と。天子以為らく謙譲なりと、愈いよ益ます之を厚くす。

現代語訳

「自分への批判を、むきにならず素直に認め、むしろ批判してくれた相手を立てる」——同僚の手厳しい非難に、公孫弘が示した見事な受け答えを描いた一段です。剛直な汲黯が、皇帝の前で公孫弘をこう非難しました。「公孫弘は三公という高位にあり、俸禄もたっぷり受けている。それなのに、わざと粗末な木綿の夜具を使っている。これは(清廉を装う)見せかけのペテンだ」と。皇帝が公孫弘に問いただすと、彼は言い訳も反論もせず、こう答えました。「その通りです(有之)。九卿の中で私を最もよく知る者は汲黯です。その汲黯が今日、私を朝廷で難詰した——まさに私の痛いところを突いています。三公の身で粗末な夜具を使うのは、確かに、見せかけを飾って名声を釣ろうとしていると見られても仕方ありません。汲黯の言う通りです」と。相手の批判を、むきにならず全面的に認めたのです。さらに彼は、こう続けました。「それに、汲黯のような忠義の者がいなければ、陛下がこのようなお言葉(諫言)をお聞きになることは、けっしてなかったでしょう」と。自分を非難した相手を、かえって「忠臣」として立てたのです。皇帝は、この受け答えを謙虚だとして、ますます公孫弘を厚遇しました。ここに、批判の受け止め方についての教訓があります。第一に、自分への批判を、むきになって反論するのではなく、素直に認める度量。公孫弘は「有之(その通りだ)」と、まず相手の指摘を全面的に受け入れた。防御や言い訳に走らず、批判の中の真実を認める姿勢が、かえって信頼を生む。第二に、批判してくれた相手を、敵視するのではなく、むしろ立てること。公孫弘は、自分を難詰した汲黯を「忠臣」と讃えた。耳の痛いことを言ってくれる人こそ貴重だと認める度量が、器の大きさを示す。第三に、こうした素直さと謙虚さが、長期的にはかえって評価を高めるということ。ただし史記は、公孫弘が内心では批判者を恨む一面(外寬內深)もあったと記す。表向きの謙虚さと、内心の度量が一致してこそ、真の徳である。組織で、自分への批判をむきにならず素直に認めること、批判してくれた相手を敵視せず立てること、そして表向きだけでなく内心からの度量を持つこと——公孫弘の応答は、批判を受け止める作法を教えます。

解説

あなたは、自分への批判や指摘を、むきになって反論するのではなく、その中の真実を素直に認められていますか?耳の痛いことを言ってくれる相手を、敵視するのではなく、貴重な存在として立てることができていますか?表向きだけ謙虚に振る舞い、内心では批判者を恨む——そんな不一致に陥らず、内心からの度量を持てていますか?

この一句を、あなたの毎日に。

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