史記 / 匈奴列伝
單于亦使當戶報謝,復言和親事。孝文帝後二年,使使遺匈奴書曰:「皇帝敬問匈奴大單于無恙。使當戶且居雕渠難、郎中韓遼遺朕馬二匹,已至,敬受。先帝制:長城以北,引弓之國,受命單于;長城以內,冠帶之室,朕亦制之。使萬民耕織射獵衣食,父子無離,臣主相安,俱無暴逆。今聞渫惡民貪降其進取之利,倍義絕約,忘萬民之命,離兩主之驩,然其事已在前矣。書曰:『二國已和親,兩主驩說,寢兵休卒養馬,世世昌樂,闟然更始。』朕甚嘉之。聖人者日新,改作更始,使老者得息,幼者得長,各保其首領而終其天年。朕與單于俱由此道,順天恤民,世世相傳,施之無窮,天下莫不咸便。漢與匈奴鄰國之敵,匈奴處北地,寒,殺氣早降,故詔吏遺單于秫糱金帛絲絮佗物歳有數。今天下大安,萬民熙熙,朕與單于爲之父母。朕追念前事,薄物細故,謀臣計失,皆不足以離兄弟之驩。朕聞天不頗覆,地不偏載。朕與單于皆捐往細故,俱蹈大道,墮壞前惡,以圖長久,使兩國之民若一家子。元元萬民,下及魚鱉,上及飛鳥,跂行喙息蠕動之類,莫不就安利而辟危殆。故來者不止,天之道也。俱去前事:朕釋逃虜民,單于無言章尼等。
新字:単于亦使当戸報謝,復言和親事。孝文帝後二年,使使遺匈奴書曰:「皇帝敬問匈奴大単于無恙。使当戸且居雕渠難、郎中韓遼遺朕馬二匹,已至,敬受。先帝制:長城以北,引弓之国,受命単于;長城以内,冠帯之室,朕亦制之。使万民耕織射猟衣食,父子無離,臣主相安,倶無暴逆。今聞渫悪民貪降其進取之利,倍義絶約,忘万民之命,離両主之驩,然其事已在前矣。書曰:『二国已和親,両主驩説,寝兵休卒養馬,世世昌楽,闟然更始。』朕甚嘉之。聖人者日新,改作更始,使老者得息,幼者得長,各保其首領而終其天年。朕与単于倶由此道,順天恤民,世世相伝,施之無窮,天下莫不咸便。漢与匈奴鄰国之敵,匈奴処北地,寒,殺気早降,故詔吏遺単于秫糱金帛糸絮佗物歳有数。今天下大安,万民熙熙,朕与単于為之父母。朕追念前事,薄物細故,謀臣計失,皆不足以離兄弟之驩。朕聞天不頗覆,地不偏載。朕与単于皆捐往細故,倶蹈大道,堕壊前悪,以図長久,使両国之民若一家子。元元万民,下及魚鱉,上及飛鳥,跂行喙息蠕動之類,莫不就安利而辟危殆。故来者不止,天之道也。倶去前事:朕釈逃虜民,単于無言章尼等。
書き下し
単于も亦当戸をして報謝せしめ、復た和親の事を言ふ。孝文帝の後二年、使をして匈奴に書を遺らしめて曰く、「皇帝敬みて匈奴の大単于の恙無きを問ふ。当戸且居雕渠難・郎中韓遼をして朕に馬二匹を遺らしむ。已に至り、敬みて受く。先帝の制に、長城以北は、弓を引くの国にして、命を単于に受く。長城以内は、冠帯の室にして、朕も亦之を制す。万民をして耕織射猟衣食せしめ、父子離るる無く、臣主相安んじ、倶に暴逆無からしむ。今聞く、渫悪の民其の進取の利を貪り降り、義に倍き約を絶ち、万民の命を忘れ、両主の驩を離すと。然れども其の事已に前に在り。書に曰く、『二国已に和親し、両主驩説し、兵を寝め卒を休め馬を養ひ、世世昌楽にして、闟然として更始せん』と。朕甚だ之を嘉す。聖人は日に新たにし、改作更始し、老者をして息ふを得しめ、幼者をして長ずるを得しめ、各々其の首領を保ちて其の天年を終へしむ。朕と単于と倶に此の道に由り、天に順ひ民を恤れみ、世世相伝へ、之を施すこと窮まり無くんば、天下咸便ならざるは莫し。漢と匈奴とは隣国の敵なり。匈奴は北地に処り、寒く、殺気早く降る。故に吏に詔して単于に秫糱金帛絲絮佗物を遺ること歳ごとに数有らしむ。今天下大いに安く、万民熙熙たり。朕と単于と之が父母為り。朕前事を追念するに、薄物細故、謀臣の計失、皆以て兄弟の驩を離すに足らず。朕聞く、天は頗り覆はず、地は偏り載せずと。朕と単于と皆往の細故を捐て、倶に大道を蹈み、前悪を墮壊し、以て長久を図り、両国の民をして一家の子の若くならしめん。元元の万民、下は魚鼈に及び、上は飛鳥に及び、跂行喙息蠕動の類、安利に就きて危殆を辟けざるは莫し。故に来る者止まざるは、天の道なり。倶に前事を去らん。朕は逃虜の民を釈さん。単于は章尼等を言ふ無かれ。
現代語訳
単于もまた当戸(匈奴の官名)を遣わして返礼し、再び和親のことを申し入れた。孝文帝の後元二年、使者を送って匈奴に書状を届けさせた。「皇帝が謹んで匈奴の大単于のご健勝をお尋ねする。当戸の且居雕渠難と郎中の韓遼に託して、わたしに馬二頭を贈られた。すでに届き、謹んで受け取った。先帝の定めでは、長城より北は弓を引く民の国であって単于の命を受け、長城より内は冠と帯をつける家々であって、わたしもまたこれを治める。万民に耕し、織り、射、狩りをさせて衣食を得させ、父子が離ればなれになることなく、君臣が互いに安らかで、ともに暴虐や反逆がないようにするのである。今聞くところでは、悪しき民が目先の利益を貪って(匈奴に)降り、義に背き盟約を絶ち、万民の命を忘れて、両国の君主の親しみを裂いたという。しかしそれはもう過去のことである。(単于の)書状には『両国はすでに和親し、両国の君主は喜び合い、兵を収め兵士を休ませ馬を養い、代々栄え楽しみ、和やかに新たな始まりをしたい』とあった。わたしはこれを大いに喜ばしく思う。聖人は日々新たにし、改めて新たに始め、老人を休ませ、幼い者を成長させ、それぞれが首と命を保って天寿を全うできるようにする。わたしと単于がともにこの道によって、天に従い民を哀れみ、代々受け継いで、限りなく施していけば、天下で恩恵を受けない者はない。漢と匈奴は隣り合う対等の国である。匈奴は北の地にあって寒く、草木を枯らす冷気が早く降りる。だから役人に命じて、毎年定まった量のもち粟・麹・金・絹・真綿などを単于に贈らせているのである。今、天下は大いに安らかで、万民は和やかに楽しんでいる。わたしと単于はその父母である。わたしが以前のことを振り返ってみると、取るに足らない小さな事柄や謀臣の計略の誤りは、どれも兄弟の親しみを裂くほどのものではない。わたしは、天は偏って覆うことがなく、地は偏って載せることがないと聞いている。わたしと単于は、ともに過去の小さな事柄を捨て、ともに大いなる道を踏み行い、以前の悪しきことを打ち壊して、長く続く関係を図り、両国の民を一つの家の子のようにしたい。数多くの民から、下は魚やすっぽん、上は空を飛ぶ鳥まで、足で歩き口で息をし、うごめくものすべてが、安らかで利のある所に向かい、危うい所を避けないものはない。だから来る者を拒まないのは、天の道である。ともに以前のことは水に流そう。わたしは逃げてきた匈奴の民を許す。単于も章尼ら(匈奴に降った漢人)のことは言わないでほしい。
解説
関連する章句
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史記 匈奴列伝朕聞く、古の帝王は、約分明にして食言無しと。単于志を留めば、天下大いに安からん。和親の後、漢の過は先んぜず。単于其れ之を察せよ」と。単于既に和親を約す。是に於て御史に制詔して曰く、「匈奴の大単于朕に書を遺り、和親已に定まると言ふ。亡人は以て衆を益し地を広むるに足らず。匈奴は塞に入る無く、漢は塞を出づる無し。今の約を犯す者は之を殺さば、以て久しく親しむべく、後に咎無く、倶に便ならん。朕已に之を許す。其れ天下に布告し、明らかに之を知らしめよ」と。後四歳、老上稽粥単于死し、子軍臣立ちて単于と為る。既に立ち、孝文皇帝復た匈奴と和親す。而して中行説復た之に事ふ。軍臣単于立ちて四歳、匈奴復た和親を絶ち、大いに上郡・雲中に入ること各々三万騎、殺略する所甚だ衆くして去る。是に於て漢三将軍をして軍して北地に屯し、代は句注に屯し、趙は飛狐口に屯せしめ、辺に縁りて亦各々堅守して以て胡寇に備ふ。又三将軍を置き、長安の西の細柳、渭北の棘門、覇上に軍して以て胡に備ふ。胡騎代の句注の辺に入り、烽火甘泉・長安に通ず。数月にして、漢の兵辺に至り、匈奴も亦遠く塞を去り、漢の兵も亦罷む。後歳余にして、孝文帝崩じ、孝景帝立つ。而して趙王遂乃ち陰かに人を匈奴に使はす。呉楚反し、趙と合謀して辺に入らんと欲す。漢趙を囲み破り、匈奴も亦止む。是より後、孝景帝復た匈奴と和親し、関市を通じ、匈奴に給遺し、公主を遣はすこと、故約の如し。孝景の時を終ふるまで、時に小しく入りて辺を盗むも、大寇無し。今帝即位し、和親の約束を明らかにし、厚く遇し、関市を通じ、饒かに之に給す。匈奴単于より以下皆漢に親しみ、長城の下に往来す。漢馬邑の下の人聶翁壹をして奸蘭に物を出だして匈奴と交はらしめ、詳りて馬邑の城を売ると為して以て単于を誘ふ。
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史記 匈奴列伝是に於て孝文帝丞相灌嬰に詔して車騎八万五千を発し、高奴に詣りて、右賢王を撃たしむ。右賢王走りて塞を出づ。文帝太原に幸す。是の時済北王反す。文帝帰り、丞相の胡を撃つの兵を罷む。其の明年、単于漢に書を遺りて曰く、「天の立つる所の匈奴の大単于、敬みて皇帝の恙無きを問ふ。前時皇帝和親の事を言ふ。書の意に称ひ、合歓す。漢の辺吏右賢王を侵侮す。右賢王請はずして、後義盧侯難氏等の計を聴き、漢の吏と相距ぎ、二主の約を絶ち、兄弟の親を離る。皇帝の譲むる書再び至る。使を発して書を以て報ずるも、来らず。漢の使至らず。漢其の故を以て和せず、隣国附かず。今小吏の約を敗るの故を以て、右賢王を罰し、之をして西のかた月氏を求めて之を撃たしむ。天の福を以て、吏卒良く、馬彊力にして、以て月氏を夷滅し、尽く斬殺して之を降下す。楼蘭・烏孫・呼掲及び其の旁の二十六国を定め、皆以て匈奴と為す。諸々の弓を引くの民、并せて一家と為る。北州已に定まる。願はくは兵を寝め士卒を休め馬を養ひ、前事を除き、故約を復し、以て辺民を安んじ、以て始古に応じ、少者をして其の長を成すを得しめ、老者をして其の処に安んぜしめ、世世平楽ならん。未だ皇帝の志を得ざるなり。故に郎中系雩浅をして書を奉じて請はしめ、橐他一匹、騎馬二匹、駕二駟を献ず。皇帝即し匈奴の塞に近づくを欲せずんば、則ち且く吏民に詔して遠く舎せしめん。使者至らば、即ち之を遣れ」と。六月中を以て来りて薪望の地に至る。書至る。漢撃つと和親と孰れか便なるかを議す。公卿皆曰く、「単于新たに月氏を破り、勝に乗ず。撃つべからず。且つ匈奴の地を得るとも、沢鹵にして、居るべきに非ざるなり。和親甚だ便なり」と。漢之を許す。孝文皇帝の前六年、漢匈奴に書を遺りて曰く、「皇帝敬みて匈奴の大単于の恙無きを問ふ。
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史記 匈奴列伝郎中系雩浅をして朕に書を遺らしめて曰く、『右賢王請はずして、後義盧侯難氏等の計を聴き、二主の約を絶ち、兄弟の親を離る。漢故を以て和せず、隣国附かず。今小吏の約を敗るを以て、故に右賢王を罰して西のかた月氏を撃たしめ、尽く之を定む。願はくは兵を寝め士卒を休め馬を養ひ、前事を除き、故約を復し、以て辺民を安んじ、少者をして其の長を成すを得しめ、老者をして其の処に安んぜしめ、世世平楽ならん』と。朕甚だ之を嘉す。此れ古の聖主の意なり。漢と匈奴と約して兄弟と為る。単于に遺る所以の者甚だ厚し。約に倍き兄弟の親を離るる者は、常に匈奴に在り。然れども右賢王の事は已に赦の前に在り。単于深く誅する勿れ。単于若し書の意に称はば、明らかに諸吏に告げ、約に負く無からしめ、信有らしめて、敬みて単于の書の如くせん。使者言ふ、単于自ら将として国を伐ちて功有り、甚だ兵事に苦しむと。服繡袷綺衣・繡袷長襦・錦袷袍各々一、比余一、黄金の飾具の帯一、黄金の胥紕一、繡十匹、錦三十匹、赤綈・緑繒各々四十匹、中大夫意・謁者令肩をして単于に遺らしむ」と。後頃之、冒頓死し、子稽粥立ち、号して老上単于と曰ふ。老上稽粥単于初めて立つ。孝文皇帝復た宗室の女公主を遣はして単于の閼氏と為し、宦者の燕人中行説をして公主に傅たらしむ。説行くを欲せず。漢彊ひて之を使はす。説曰く、「必ず我行かば、漢の患を為さん」と。中行説既に至り、因りて単于に降る。単于甚だ之を親幸す。
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史記 匈奴列伝父子兄弟死すれば、其の妻を取りて之を妻とするは、種姓の失はるるを悪めばなり。故に匈奴乱ると雖も、必ず宗種を立つ。今中国詳りて其の父兄の妻を取らずと雖も、親属益々疏くなれば則ち相殺し、乃ち姓を易ふるに至るは、皆此の類に従ふ。且つ礼義の敝、上下交々怨望し、而して室屋の極、生力必ず屈す。夫れ耕桑に力めて以て衣食を求め、城郭を築きて以て自ら備ふ。故に其の民急なれば則ち戦功を習はず、緩なれば則ち作業に罷る。嗟、土室の人、顧みて多辞無かれ。喋喋として佔佔たらしむ。冠固より何ぞ当たらん」と。是より後、漢の使弁論せんと欲する者あれば、中行説輒ち曰く、「漢の使多言する無かれ。顧ふに漢の匈奴に輸す所の繒絮米糱、其の量をして中たらしめ、必ず善美なるのみ。何を以てか言を為さん。且つ給する所備はり善ければ則ち已む。備はらず、苦悪ならば、則ち秋の孰するを候ひ、騎を以て馳せて而の稼穡を蹂まんのみ」と。日夜単于に利害の処を候ふことを教ふ。漢の孝文皇帝の十四年、匈奴の単于十四万騎もて朝那・蕭関に入り、北地の都尉卬を殺し、人民畜産を虜にすること甚だ多く、遂に彭陽に至る。奇兵をして入りて回中宮を焼かしめ、候騎雍の甘泉に至る。是に於て文帝中尉周舎・郎中令張武を以て将軍と為し、車千乗、騎十万を発し、長安の旁に軍して以て胡寇に備ふ。而して昌侯盧卿を拝して上郡将軍と為し、甯侯魏遬を北地将軍と為し、隆慮侯周竈を隴西将軍と為し、東陽侯張相如を大将軍と為し、成侯董赤を前将軍と為し、大いに車騎を発して往きて胡を撃つ。単于塞内に留まること月余にして乃ち去る。漢逐ひて塞を出でて即ち還る。殺す所有る能はず。匈奴日に已に驕り、歳ごとに辺に入り、人民畜産を殺略すること甚だ多し。雲中・遼東最も甚だしく、代郡に至りては万余人なり。漢之を患ひ、乃ち使をして匈奴に書を遺らしむ。
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史記 匈奴列伝是の時天子辺を巡り、朔方に至り、兵十八万騎を勒して以て武節を見し、而して郭吉をして単于に風告せしむ。郭吉既に匈奴に至る。匈奴の主客使ふ所を問ふ。郭吉礼卑しく言好くして、曰く、「吾単于に見えて口もて言はん」と。単于吉を見る。吉曰く、「南越王の頭已に漢の北闕に懸かる。今単于即し能く前みて漢と戦はば、天子自ら兵を将ゐて辺に待たん。単于即し能はずんば、即ち南面して漢に臣たれ。何ぞ徒に遠く走り、幕北の寒苦にして水草無きの地に亡匿するや。為す毋かれ」と。語卒はりて単于大いに怒り、立ちどころに主客の見えしむる者を斬り、而して郭吉を留めて帰さず、之を北海の上に遷す。而して単于終に肯へて寇を漢の辺に為さず、士馬を休養息し、射猟を習ひ、数々使を漢に使はし、好辞甘言もて和親を求請す。漢王烏等をして匈奴を窺はしむ。匈奴の法、漢の使は節を去りて墨を以て其の面に黥する者に非ずんば穹廬に入るを得ず。王烏は、北地の人にして、胡の俗に習ひ、其の節を去り、面に黥して、穹廬に入るを得たり。単于之を愛し、詳りて甘言を許し、為に其の太子を遣はして漢に入りて質と為し、以て和親を求めんとす。漢楊信を匈奴に使はす。是の時漢東のかた穢貉・朝鮮を抜きて以て郡と為し、而して西のかた酒泉郡を置きて以て胡と羌との通ずるの路を鬲絶す。漢又西のかた月氏・大夏に通じ、又公主を以て烏孫王に妻はせ、以て匈奴の西方の援国を分かつ。又北のかた益々田を広めて胘雷に至りて塞と為す。而るに匈奴終に敢へて以て言を為さず。是の歳、翕侯信死す。漢の事を用ふる者以為へらく匈奴已に弱し、臣従せしむべしと。楊信の人と為りは剛直屈彊にして、素より貴臣に非ず。単于親しまず。単于召し入れんと欲するも、節を去るを肯ぜず。単于乃ち穹廬の外に坐して楊信に見ゆ。楊信既に単于に見えて、説きて曰く、「即し和親せんと欲せば、単于の太子を以て漢に質と為せ」と。単于曰く、「故約に非ず。
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