史記 / 匈奴列伝
漢遺單于書,牘以尺一寸,辭曰「皇帝敬問匈奴大單于無恙」,所遺物及言語云云。中行說令單于遺漢書以尺二寸牘,及印封皆令廣大長,倨傲其辭曰「天地所生日月所置匈奴大單于敬問漢皇帝無恙」,所以遺物言語亦云云。
新字:漢遺単于書,牘以尺一寸,辞曰「皇帝敬問匈奴大単于無恙」,所遺物及言語云云。中行説令単于遺漢書以尺二寸牘,及印封皆令広大長,倨傲其辞曰「天地所生日月所置匈奴大単于敬問漢皇帝無恙」,所以遺物言語亦云云。
書き下し
漢の単于に遺る書は、牘は尺一寸を以てし、辞に曰く「皇帝敬みて匈奴の大単于の恙無きを問ふ」と。遺る所の物及び言語云云。中行説単于をして漢に書を遺らしむるに尺二寸の牘を以てし、及び印封皆広大長ならしめ、其の辞を倨傲にして曰く「天地の生む所、日月の置く所の匈奴の大単于、敬みて漢の皇帝の恙無きを問ふ」と。遺る所以の物・言語も亦云云。
現代語訳
漢が単于に送る書状は、一尺一寸の木簡を用い、その文句は「皇帝が謹んで匈奴の大単于のご健勝をお尋ねする」というもので、贈り物や伝える言葉があれこれと続いた。中行説は、単于から漢に送る書状には一尺二寸の木簡を用いさせ、印や封もすべて漢のものより広く大きく長くさせ、その文句も尊大にして「天地が生み、日月が置いた匈奴の大単于が、謹んで漢の皇帝のご健勝をお尋ねする」とし、贈り物や伝える言葉もあれこれと続けさせた。
解説
匈奴に降った中行説が、外交文書の形式を通じて漢に対抗した逸話です。漢から単于への書状は一尺一寸の木簡で、「皇帝敬みて匈奴の大単于の恙無きを問ふ」と始まっていました。中行説は単于の書状を一寸長い一尺二寸の木簡にし、印も封も漢より大きくさせ、書き出しを「天地の生む所、日月の置く所の匈奴の大単于」と尊大にしました。わずか一寸の差ですが、外交文書では形式そのものが力関係の表明になります。漢の内情と作法を知り尽くした中行説だからこそ、どこを変えれば漢の威信を傷つけられるかを正確に心得ていたのです。この後、中行説は匈奴の人々に漢の物に頼らず自分たちの文化を誇るよう説き、漢の使者との論争でも一歩も引かなかったことが記されます。形式や体裁の小さな差が、相手との力関係を象徴することがあります。内情を知る人物が相手側に回ったときの怖さも、よく表れた場面です。
関連する章句
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史記 匈奴列伝父子兄弟死すれば、其の妻を取りて之を妻とするは、種姓の失はるるを悪めばなり。故に匈奴乱ると雖も、必ず宗種を立つ。今中国詳りて其の父兄の妻を取らずと雖も、親属益々疏くなれば則ち相殺し、乃ち姓を易ふるに至るは、皆此の類に従ふ。且つ礼義の敝、上下交々怨望し、而して室屋の極、生力必ず屈す。夫れ耕桑に力めて以て衣食を求め、城郭を築きて以て自ら備ふ。故に其の民急なれば則ち戦功を習はず、緩なれば則ち作業に罷る。嗟、土室の人、顧みて多辞無かれ。喋喋として佔佔たらしむ。冠固より何ぞ当たらん」と。是より後、漢の使弁論せんと欲する者あれば、中行説輒ち曰く、「漢の使多言する無かれ。顧ふに漢の匈奴に輸す所の繒絮米糱、其の量をして中たらしめ、必ず善美なるのみ。何を以てか言を為さん。且つ給する所備はり善ければ則ち已む。備はらず、苦悪ならば、則ち秋の孰するを候ひ、騎を以て馳せて而の稼穡を蹂まんのみ」と。日夜単于に利害の処を候ふことを教ふ。漢の孝文皇帝の十四年、匈奴の単于十四万騎もて朝那・蕭関に入り、北地の都尉卬を殺し、人民畜産を虜にすること甚だ多く、遂に彭陽に至る。奇兵をして入りて回中宮を焼かしめ、候騎雍の甘泉に至る。是に於て文帝中尉周舎・郎中令張武を以て将軍と為し、車千乗、騎十万を発し、長安の旁に軍して以て胡寇に備ふ。而して昌侯盧卿を拝して上郡将軍と為し、甯侯魏遬を北地将軍と為し、隆慮侯周竈を隴西将軍と為し、東陽侯張相如を大将軍と為し、成侯董赤を前将軍と為し、大いに車騎を発して往きて胡を撃つ。単于塞内に留まること月余にして乃ち去る。漢逐ひて塞を出でて即ち還る。殺す所有る能はず。匈奴日に已に驕り、歳ごとに辺に入り、人民畜産を殺略すること甚だ多し。雲中・遼東最も甚だしく、代郡に至りては万余人なり。漢之を患ひ、乃ち使をして匈奴に書を遺らしむ。
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史記 匈奴列伝郎中系雩浅をして朕に書を遺らしめて曰く、『右賢王請はずして、後義盧侯難氏等の計を聴き、二主の約を絶ち、兄弟の親を離る。漢故を以て和せず、隣国附かず。今小吏の約を敗るを以て、故に右賢王を罰して西のかた月氏を撃たしめ、尽く之を定む。願はくは兵を寝め士卒を休め馬を養ひ、前事を除き、故約を復し、以て辺民を安んじ、少者をして其の長を成すを得しめ、老者をして其の処に安んぜしめ、世世平楽ならん』と。朕甚だ之を嘉す。此れ古の聖主の意なり。漢と匈奴と約して兄弟と為る。単于に遺る所以の者甚だ厚し。約に倍き兄弟の親を離るる者は、常に匈奴に在り。然れども右賢王の事は已に赦の前に在り。単于深く誅する勿れ。単于若し書の意に称はば、明らかに諸吏に告げ、約に負く無からしめ、信有らしめて、敬みて単于の書の如くせん。使者言ふ、単于自ら将として国を伐ちて功有り、甚だ兵事に苦しむと。服繡袷綺衣・繡袷長襦・錦袷袍各々一、比余一、黄金の飾具の帯一、黄金の胥紕一、繡十匹、錦三十匹、赤綈・緑繒各々四十匹、中大夫意・謁者令肩をして単于に遺らしむ」と。後頃之、冒頓死し、子稽粥立ち、号して老上単于と曰ふ。老上稽粥単于初めて立つ。孝文皇帝復た宗室の女公主を遣はして単于の閼氏と為し、宦者の燕人中行説をして公主に傅たらしむ。説行くを欲せず。漢彊ひて之を使はす。説曰く、「必ず我行かば、漢の患を為さん」と。中行説既に至り、因りて単于に降る。単于甚だ之を親幸す。
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史記 匈奴列伝漢使或いは言ひて曰く、「匈奴の俗は老を賤しむ」と。中行說漢使を窮めて曰く、「而の漢の俗、屯戍従軍して発するに当たる者、其の老親豈に自ら温厚肥美を脱して以て齎送し飲食して戍に行かしむること有らざらんや」と。漢使曰く、「然り」と。中行說曰く、「匈奴は明らかに戦攻を以て事と為す、其の老弱は闘ふ能はず、故に其の肥美飲食を以て壮健者に与ふ、蓋し以て自ら守衛を為す、此くのごとくんば父子各おの久しく相保つを得、何を以て匈奴老を軽んずと言はんや」と。匈奴の俗、其の急なれば則ち人騎射を習ひ、寛なれば則ち人事無きを楽しむ、其の約束軽く、行ひ易きなり。君臣簡易にして、一国の政猶ほ一身のごときなり。
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史記 匈奴列伝初め、匈奴漢の繒絮食物を好む。中行說曰く、「匈奴の人衆は漢の一郡に当たる能はず、然れども彊き所以の者は、衣食を異にし、漢に仰ぐ無きを以てなり。今単于俗を変じて漢物を好まば、漢物什二に過ぎざるも、則ち匈奴尽く漢に帰せん。其の漢繒絮を得れば、以て草棘の中に馳せ、衣袴皆裂敝し、以て旃裘の完善なるに如かざるを示せ。漢食物を得れば皆之を去り、以て湩酪の便美なるに如かざるを示せ」と。是に於て說単于の左右に教へて疏記し、以て其の人衆畜物を計課せしむ。
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史記 匈奴列伝単于も亦当戸をして報謝せしめ、復た和親の事を言ふ。孝文帝の後二年、使をして匈奴に書を遺らしめて曰く、「皇帝敬みて匈奴の大単于の恙無きを問ふ。当戸且居雕渠難・郎中韓遼をして朕に馬二匹を遺らしむ。已に至り、敬みて受く。先帝の制に、長城以北は、弓を引くの国にして、命を単于に受く。長城以内は、冠帯の室にして、朕も亦之を制す。万民をして耕織射猟衣食せしめ、父子離るる無く、臣主相安んじ、倶に暴逆無からしむ。今聞く、渫悪の民其の進取の利を貪り降り、義に倍き約を絶ち、万民の命を忘れ、両主の驩を離すと。然れども其の事已に前に在り。書に曰く、『二国已に和親し、両主驩説し、兵を寝め卒を休め馬を養ひ、世世昌楽にして、闟然として更始せん』と。朕甚だ之を嘉す。聖人は日に新たにし、改作更始し、老者をして息ふを得しめ、幼者をして長ずるを得しめ、各々其の首領を保ちて其の天年を終へしむ。朕と単于と倶に此の道に由り、天に順ひ民を恤れみ、世世相伝へ、之を施すこと窮まり無くんば、天下咸便ならざるは莫し。漢と匈奴とは隣国の敵なり。匈奴は北地に処り、寒く、殺気早く降る。故に吏に詔して単于に秫糱金帛絲絮佗物を遺ること歳ごとに数有らしむ。今天下大いに安く、万民熙熙たり。朕と単于と之が父母為り。朕前事を追念するに、薄物細故、謀臣の計失、皆以て兄弟の驩を離すに足らず。朕聞く、天は頗り覆はず、地は偏り載せずと。朕と単于と皆往の細故を捐て、倶に大道を蹈み、前悪を墮壊し、以て長久を図り、両国の民をして一家の子の若くならしめん。元元の万民、下は魚鼈に及び、上は飛鳥に及び、跂行喙息蠕動の類、安利に就きて危殆を辟けざるは莫し。故に来る者止まざるは、天の道なり。倶に前事を去らん。朕は逃虜の民を釈さん。単于は章尼等を言ふ無かれ。
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史記 匈奴列伝是に於て孝文帝丞相灌嬰に詔して車騎八万五千を発し、高奴に詣りて、右賢王を撃たしむ。右賢王走りて塞を出づ。文帝太原に幸す。是の時済北王反す。文帝帰り、丞相の胡を撃つの兵を罷む。其の明年、単于漢に書を遺りて曰く、「天の立つる所の匈奴の大単于、敬みて皇帝の恙無きを問ふ。前時皇帝和親の事を言ふ。書の意に称ひ、合歓す。漢の辺吏右賢王を侵侮す。右賢王請はずして、後義盧侯難氏等の計を聴き、漢の吏と相距ぎ、二主の約を絶ち、兄弟の親を離る。皇帝の譲むる書再び至る。使を発して書を以て報ずるも、来らず。漢の使至らず。漢其の故を以て和せず、隣国附かず。今小吏の約を敗るの故を以て、右賢王を罰し、之をして西のかた月氏を求めて之を撃たしむ。天の福を以て、吏卒良く、馬彊力にして、以て月氏を夷滅し、尽く斬殺して之を降下す。楼蘭・烏孫・呼掲及び其の旁の二十六国を定め、皆以て匈奴と為す。諸々の弓を引くの民、并せて一家と為る。北州已に定まる。願はくは兵を寝め士卒を休め馬を養ひ、前事を除き、故約を復し、以て辺民を安んじ、以て始古に応じ、少者をして其の長を成すを得しめ、老者をして其の処に安んぜしめ、世世平楽ならん。未だ皇帝の志を得ざるなり。故に郎中系雩浅をして書を奉じて請はしめ、橐他一匹、騎馬二匹、駕二駟を献ず。皇帝即し匈奴の塞に近づくを欲せずんば、則ち且く吏民に詔して遠く舎せしめん。使者至らば、即ち之を遣れ」と。六月中を以て来りて薪望の地に至る。書至る。漢撃つと和親と孰れか便なるかを議す。公卿皆曰く、「単于新たに月氏を破り、勝に乗ず。撃つべからず。且つ匈奴の地を得るとも、沢鹵にして、居るべきに非ざるなり。和親甚だ便なり」と。漢之を許す。孝文皇帝の前六年、漢匈奴に書を遺りて曰く、「皇帝敬みて匈奴の大単于の恙無きを問ふ。
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