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史記 / 匈奴列伝

於是孝文帝詔丞相灌嬰發車騎八萬五千,詣高奴,擊右賢王。右賢王走出塞。文帝幸太原。是時濟北王反,文帝歸,罷丞相擊胡之兵。其明年,單于遺漢書曰:「天所立匈奴大單于敬問皇帝無恙。前時皇帝言和親事,稱書意,合歡。漢邊吏侵侮右賢王,右賢王不請,聽後義盧侯難氏等計,與漢吏相距,絕二主之約,離兄弟之親。皇帝讓書再至,發使以書報,不來,漢使不至,漢以其故不和,鄰國不附。今以小吏之敗約故,罰右賢王,使之西求月氏擊之。以天之福,吏卒良,馬彊力,以夷滅月氏,盡斬殺降下之。定樓蘭、烏孫、呼揭及其旁二十六國,皆以爲匈奴。諸引弓之民,并爲一家。北州已定,願寢兵休士卒養馬,除前事,復故約,以安邊民,以應始古,使少者得成其長,老者安其處,世世平樂。未得皇帝之志也,故使郎中系雩淺奉書請,獻橐他一匹,騎馬二匹,駕二駟。皇帝即不欲匈奴近塞,則且詔吏民遠舍。使者至,即遣之。」以六月中來至薪望之地。書至,漢議擊與和親孰便。公卿皆曰:「單于新破月氏,乘勝,不可擊。且得匈奴地,澤鹵,非可居也。和親甚便。」漢許之。孝文皇帝前六年,漢遺匈奴書曰:「皇帝敬問匈奴大單于無恙。

新字:於是孝文帝詔丞相灌嬰発車騎八万五千,詣高奴,撃右賢王。右賢王走出塞。文帝幸太原。是時済北王反,文帝帰,罷丞相撃胡之兵。其明年,単于遺漢書曰:「天所立匈奴大単于敬問皇帝無恙。前時皇帝言和親事,称書意,合歓。漢辺吏侵侮右賢王,右賢王不請,聴後義盧侯難氏等計,与漢吏相距,絶二主之約,離兄弟之親。皇帝譲書再至,発使以書報,不来,漢使不至,漢以其故不和,鄰国不附。今以小吏之敗約故,罰右賢王,使之西求月氏撃之。以天之福,吏卒良,馬彊力,以夷滅月氏,尽斬殺降下之。定楼蘭、烏孫、呼掲及其旁二十六国,皆以為匈奴。諸引弓之民,并為一家。北州已定,願寝兵休士卒養馬,除前事,復故約,以安辺民,以応始古,使少者得成其長,老者安其処,世世平楽。未得皇帝之志也,故使郎中系雩浅奉書請,献橐他一匹,騎馬二匹,駕二駟。皇帝即不欲匈奴近塞,則且詔吏民遠舎。使者至,即遣之。」以六月中来至薪望之地。書至,漢議撃与和親孰便。公卿皆曰:「単于新破月氏,乗勝,不可撃。且得匈奴地,沢鹵,非可居也。和親甚便。」漢許之。孝文皇帝前六年,漢遺匈奴書曰:「皇帝敬問匈奴大単于無恙。

書き下し

是に於て孝文帝丞相灌嬰に詔して車騎八万五千を発し、高奴に詣りて、右賢王を撃たしむ。右賢王走りて塞を出づ。文帝太原に幸す。是の時済北王反す。文帝帰り、丞相の胡を撃つの兵を罷む。其の明年、単于漢に書を遺りて曰く、「天の立つる所の匈奴の大単于、敬みて皇帝の恙無きを問ふ。前時皇帝和親の事を言ふ。書の意に称ひ、合歓す。漢の辺吏右賢王を侵侮す。右賢王請はずして、後義盧侯難氏等の計を聴き、漢の吏と相距ぎ、二主の約を絶ち、兄弟の親を離る。皇帝の譲むる書再び至る。使を発して書を以て報ずるも、来らず。漢の使至らず。漢其の故を以て和せず、隣国附かず。今小吏の約を敗るの故を以て、右賢王を罰し、之をして西のかた月氏を求めて之を撃たしむ。天の福を以て、吏卒良く、馬彊力にして、以て月氏を夷滅し、尽く斬殺して之を降下す。楼蘭・烏孫・呼掲及び其の旁の二十六国を定め、皆以て匈奴と為す。諸々の弓を引くの民、并せて一家と為る。北州已に定まる。願はくは兵を寝め士卒を休め馬を養ひ、前事を除き、故約を復し、以て辺民を安んじ、以て始古に応じ、少者をして其の長を成すを得しめ、老者をして其の処に安んぜしめ、世世平楽ならん。未だ皇帝の志を得ざるなり。故に郎中系雩浅をして書を奉じて請はしめ、橐他一匹、騎馬二匹、駕二駟を献ず。皇帝即し匈奴の塞に近づくを欲せずんば、則ち且く吏民に詔して遠く舎せしめん。使者至らば、即ち之を遣れ」と。六月中を以て来りて薪望の地に至る。書至る。漢撃つと和親と孰れか便なるかを議す。公卿皆曰く、「単于新たに月氏を破り、勝に乗ず。撃つべからず。且つ匈奴の地を得るとも、沢鹵にして、居るべきに非ざるなり。和親甚だ便なり」と。漢之を許す。孝文皇帝の前六年、漢匈奴に書を遺りて曰く、「皇帝敬みて匈奴の大単于の恙無きを問ふ。

現代語訳

そこで孝文帝は丞相の灌嬰に詔して戦車と騎兵八万五千を動員させ、高奴に向かわせて右賢王を攻撃させた。右賢王は逃げて長城の外に出た。文帝は太原に行幸した。この時、済北王が反乱を起こしたので、文帝は都に帰り、丞相が率いていた匈奴攻撃の兵を解いた。その翌年、単于は漢に書状を送って言った。「天が立てた匈奴の大単于が、謹んで皇帝のご健勝をお尋ねする。先に皇帝は和親のことを申され、書状の趣旨にかなって、互いに喜び合った。ところが漢の辺境の役人が右賢王を侵し侮った。右賢王はわたしの許しを求めず、後義盧侯の難氏らの計略を聞き入れて、漢の役人と対立し、両国の君主の盟約を絶ち、兄弟の親しみを裂いてしまった。皇帝から責める書状が二度届いたので、使者を送って書状で返答したが、その使者は帰って来ず、漢の使者も来なかった。漢はそのために和せず、隣国もつき従わなくなった。今、小役人が盟約を破ったことを理由に右賢王を罰し、西の月氏を探して攻撃させた。天の福により、役人も兵士も優れ、馬も強かったので、月氏を滅ぼし、ことごとく斬り殺して降伏させた。楼蘭・烏孫・呼掲とその周辺の二十六国を平定し、皆匈奴の一部とした。弓を引く民はすべて一つの家となった。北方はすでに平定された。どうか兵を収め兵士を休ませ馬を養い、以前のことは水に流して、もとの盟約に戻り、辺境の民を安んじ、古の始まりの姿に応え、若い者が成長を遂げ、老人がその住まいで安らかに暮らせるようにし、代々平和に楽しく暮らしたい。まだ皇帝のお考えがわからないので、郎中の系雩浅に書状を持たせてお願いし、らくだ一頭、乗馬二頭、車を引く馬二組を献上する。皇帝がもし匈奴が長城に近づくことを望まれないなら、ひとまず役人や民に命じて遠く離れて住まわせよう。使者が着いたら、すぐに帰していただきたい」。この書状は六月のうちに薪望の地に届いた。書状が届くと、漢は攻撃するのと和親するのとどちらがよいかを議論した。公卿たちは皆言った。「単于は月氏を破ったばかりで、勝ちに乗っているので、攻撃すべきではない。それに匈奴の土地を手に入れても、沼地や塩地で、住めるところではない。和親するのが大いに得策である」。漢はこれを承知した。孝文皇帝の前元六年、漢は匈奴に書状を送った。「皇帝が謹んで匈奴の大単于のご健勝をお尋ねする。

解説

文帝の時代、漢と匈奴の間で交わされた外交文書が中心の段です。右賢王が河南に侵入すると、文帝は灌嬰に八万五千の兵で撃退させますが、済北王の反乱で兵を収めます。翌年、冒頓は書状を送り、右賢王の侵入は漢の辺境の役人が侮ったためで、右賢王には罰として月氏を討たせたと説明し、月氏を滅ぼし楼蘭・烏孫など二十六国を平定して「弓を引く民はすべて一家となった」と誇示しました。そのうえで、兵を休め、過去を水に流し、若者が成長し老人が安らかに暮らせる平和を望むと和親を求めます。強大な力を誇示しながら平和を申し出るという、硬軟を織り交ぜた外交文書です。漢の公卿たちは、勝ちに乗る相手を攻めるべきではなく、匈奴の土地は得ても住めないと判断し、和親を選びました。相手の強さを正しく見積もり、得られる利益と失うものを冷静に比べた現実的な判断です。力を誇示しつつ譲歩を求める相手とどう向き合うかは、今の交渉でも常に問われることです。

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