史記 / 扁鵲倉公列伝
中庶子聞扁鵲言,目眩然而不瞚,舌撟然而不下,乃以扁鵲言入報虢君。虢君聞之大驚,出見扁鵲於中闕,曰:「竊聞高義之日久矣,然未嘗得拜謁於前也。先生過小國,幸而舉之,偏國寡臣幸甚。有先生則活,無先生則棄捐填溝壑,長終而不得反。」言末卒,因噓唏服臆,魂精泄橫,流涕長潸,忽忽承睫,悲不能自止,容貌變更。扁鵲曰:「若太子病,所謂『尸蹷』者也。夫以陽入陰中,動胃繵緣,中經維絡,別下於三焦、膀胱,是以陽脈下遂,陰脈上爭,會氣閉而不通,陰上而陽內行,下內鼓而不起,上外絕而不為使,上有絕陽之絡,下有破陰之紐,破陰絕陽,色已廢脈亂,故形靜如死狀。太子未死也。夫以陽入陰支蘭藏者生,以陰入陽支蘭藏者死。凡此數事,皆五藏蹙中之時暴作也。良工取之,拙者疑殆。」扁鵲乃使弟子子陽厲鍼砥石,以取外三陽五會。有閒,太子蘇。乃使子豹為五分之熨,以八減之齊和煮之,以更熨兩脅下。太子起坐。更適陰陽,但服湯二旬而復故。故天下盡以扁鵲為能生死人。扁鵲曰:「越人非能生死人也,此自當生者,越人能使之起耳。」
新字:中庶子聞扁鵲言,目眩然而不瞚,舌撟然而不下,乃以扁鵲言入報虢君。虢君聞之大驚,出見扁鵲於中闕,曰:「窃聞高義之日久矣,然未嘗得拝謁於前也。先生過小国,幸而舉之,偏国寡臣幸甚。有先生則活,無先生則棄捐填溝壑,長終而不得反。」言末卒,因噓唏服臆,魂精泄横,流涕長潸,忽忽承睫,悲不能自止,容貌変更。扁鵲曰:「若太子病,所謂『尸蹷』者也。夫以陽入陰中,動胃繵縁,中経維絡,別下於三焦、膀胱,是以陽脈下遂,陰脈上争,会気閉而不通,陰上而陽内行,下内鼓而不起,上外絶而不為使,上有絶陽之絡,下有破陰之紐,破陰絶陽,色已廃脈乱,故形静如死状。太子未死也。夫以陽入陰支蘭蔵者生,以陰入陽支蘭蔵者死。凡此数事,皆五蔵蹙中之時暴作也。良工取之,拙者疑殆。」扁鵲乃使弟子子陽厲鍼砥石,以取外三陽五会。有閒,太子蘇。乃使子豹為五分之熨,以八減之斉和煮之,以更熨両脅下。太子起坐。更適陰陽,但服湯二旬而復故。故天下尽以扁鵲為能生死人。扁鵲曰:「越人非能生死人也,此自当生者,越人能使之起耳。」
書き下し
中庶子扁鵲の言を聞き、目眩然として瞚かず、舌撟然として下らず。乃ち扁鵲の言を以て入りて虢君に報ず。虢君之を聞きて大いに驚き、出でて扁鵲に中闕に見えて曰く、「竊かに高義を聞くことの日久し。然れども未だ嘗て前に拝謁するを得ざるなり。先生小国に過ぎり、幸ひにして之を挙げば、偏国の寡臣幸甚なり。先生有れば則ち活き、先生無ければ則ち棄捐せられて溝壑を填め、長く終りて反るを得ず」と。言未だ卒へざるに、因りて嘘唏服臆し、魂精泄横し、流涕長潸し、忽忽として睫を承け、悲しみ自ら止む能はず、容貌変更す。扁鵲曰く、「太子の病の若きは、所謂『尸蹷』なる者なり。夫れ陽を以て陰中に入り、胃を動かして繵縁し、経維絡に中り、別れて三焦・膀胱に下る。是を以て陽脈下遂し、陰脈上争し、会気閉ぢて通ぜず。陰上りて陽内行し、下は内鼓して起たず、上は外絶して使と為らず。上に絶陽の絡有り、下に破陰の紐有り。陰を破り陽を絶ち、色已に廃し脈乱る。故に形静かにして死状の如し。太子未だ死せざるなり。夫れ陽を以て陰に入り蔵を支蘭する者は生き、陰を以て陽に入り蔵を支蘭する者は死す。凡そ此の数事は、皆五蔵蹙中の時に暴かに作るなり。良工は之を取り、拙者は疑殆す」と。扁鵲乃ち弟子子陽をして鍼を厲ぎ石を砥がしめ、以て外の三陽五会を取る。間有りて、太子蘇る。乃ち子豹をして五分の熨を為らしめ、八減の斉を以て和して之を煮、以て更々両脇の下を熨す。太子起ちて坐す。更に陰陽を適へ、但だ湯を服すること二旬にして故に復す。故に天下尽く扁鵲を以て能く死人を生かすと為す。扁鵲曰く、「越人は能く死人を生かすに非ざるなり。此れ自ら当に生くべき者なり。越人能く之をして起たしむるのみ」と。
現代語訳
中庶子は扁鵲の言葉を聞いて、目がくらんでまばたきもできず、舌が反り返ったまま下りないほど驚いた。そこで扁鵲の言葉を宮中に入って虢の君主に報告した。虢の君主はこれを聞いて大いに驚き、宮殿の中門まで出てきて扁鵲に会い、言った。「ひそかにあなたの高い義侠のお名前を聞いてから久しいが、まだ一度もお目にかかったことがなかった。先生がこの小国に立ち寄られ、幸いにも(太子を)救ってくださるなら、辺鄙な国のわたしにとってこの上ない幸せである。先生がいれば太子は生き、先生がいなければ見捨てられて谷間に埋められ、永遠に帰ってこない」。言い終わらないうちに、すすり泣いて胸を詰まらせ、気力も抜け、涙が長く流れ落ち、まつげに涙がとめどなくたまって、悲しみを自ら抑えられず、顔つきまで変わってしまった。扁鵲は言った。「太子の病は、いわゆる『尸蹷(仮死状態)』というものである。陽の気が陰の中に入り込み、胃を動かしてまとわりつき、経脈と絡脈に当たり、分かれて三焦(体内の三つの区分)と膀胱に下った。そのため陽の脈は下に落ち込み、陰の脈は上に逆らい、気の集まる所が閉じて通じなくなった。陰は上り陽は内に向かい、下では内にこもって起き上がれず、上では外と断たれて働かない。上には陽の断たれた絡脈があり、下には陰の破れた結び目がある。陰が破れ陽が断たれて、顔色はすでに失せ脈は乱れた。だから体は静かで死んだように見えるのである。太子はまだ死んではいない。陽が陰に入って臓腑を支え遮る者は生き、陰が陽に入って臓腑を支え遮る者は死ぬ。これらのことは皆、五臓の気が中で逆上したときに急に起こるものである。腕のよい医者はこれを見極めて治し、下手な者は迷って危うくする」。扁鵲はそこで弟子の子陽に鍼を研ぎ石鍼を磨かせ、体表の三陽五会(頭頂の経穴)に鍼を打った。しばらくすると太子は息を吹き返した。そこで弟子の子豹に五分の温湿布を作らせ、八減の処方を調合して煮たもので、両脇の下を交互に温めた。太子は起き上がって座った。さらに陰陽の気を整え、煎じ薬を二十日間飲ませただけで、もとどおりに回復した。そのため天下の人々は皆、扁鵲は死人を生き返らせることができると言った。扁鵲は言った。「わたし越人は死人を生き返らせることができるのではない。この方はもともと生きるはずの人だったのだ。わたしはただ起き上がらせることができただけである」。
解説
関連する章句
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史記 扁鵲倉公列伝其の後扁鵲虢に過ぐ。虢の太子死す。扁鵲虢の宮門の下に至り、中庶子の方を喜む者に問ひて曰く、「太子何の病ありて、国中の治穣衆事に過ぐるや」と。中庶子曰く、「太子の病は血気時ならず、交錯して泄るるを得ず、暴かに外に発し、則ち中の害と為る。精神邪気を止むる能はず、邪気畜積して泄るるを得ず。是を以て陽緩みて陰急なり。故に暴かに蹷して死す」と。扁鵲曰く、「其の死は何如なる時ぞ」と。曰く、「雞鳴より今に至る」と。曰く、「収めたるか」と。曰く、「未だし。其の死未だ半日なる能はざるなり」と。「言へ、臣は斉の勃海の秦越人なり、家は鄭に在り、未だ嘗て精光を望みて前に侍謁するを得ざるなり。太子不幸にして死すと聞く。臣能く之を生かさん」と。中庶子曰く、「先生之を誕ること無きを得んや。何を以て太子生くべしと言ふや。臣聞く、上古の時、医に兪跗有り。病を治するに湯液醴灑、鑱石撟引、案扤毒熨を以てせず、一たび撥して病の応を見、五蔵の輸に因りて、乃ち皮を割き肌を解き、脈を訣し筋を結び、髄脳を搦り、荒を揲し幕を爪し、腸胃を湔浣し、五蔵を漱滌し、精を練り形を易ふと。先生の方能く是の若くならば、則ち太子生くべきなり。是の若くなる能はずして之を生かさんと欲するは、曾ち以て咳嬰の児に告ぐべからず」と。終日、扁鵲天を仰ぎて嘆じて曰く、「夫子の方を為すや、管を以て天を窺ひ、郄を以て文を視るが若し。越人の方を為すや、脈を切り色を望み声を聴き形を写すを待たずして、病の在る所を言ふ。病の陽を聞きて、論じて其の陰を得、病の陰を聞きて、論じて其の陽を得。病の応は大表に見はる。千里を出でずして、決する者至って衆く、曲げて止むべからざるなり。子吾が言を以て誠ならずと為さば、試みに入りて太子を診よ。当に其の耳鳴りて鼻張るを聞くべし。其の両股を循りて以て陰に至らば、当に尚ほ温かなるべきなり」と。
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説苑・辨物扁鵲趙王に過(よぎ)る。王の太子暴疾して死す。鵲宮門に造(いた)りて曰わく、「吾聞く、国中卒(にわ)かに壌土の事有りと。得(え)無ければ急有らんや。」中庶子の方を好む者之に応えて曰わく、「然り、王の太子暴疾して死せり。」扁鵲曰わく、「人言う、鄭の医秦越人能く太子を活かすと。」中庶子之を難じて曰わく、「吾聞く、上古の医を為す者を苗父と曰う。苗父の医を為すや、菅を以て席と為し、芻を以て狗と為し、北面して祝し、十言を発するのみにして、諸(もろもろ)扶けられて来たる者、挙げられて来たる者、皆平復すること故(もと)の如し。子の方能く此くの如くなるか。」扁鵲曰わく、「能わず。」又曰わく、「吾聞く、中古の医を為す者を俞柎(ゆふ)と曰う。俞柎の医を為すや、脳髄を搦(つか)み、肓莫(こうばく)を束ね、九竅を炊灼(すいしゃく)して経絡を定め、死人復た生人と為す。故に俞柎と曰う。子の方能く是くの若くなるか。」扁鵲曰わく、「能わず。」中庶子曰わく、「子の方此くの如くんば、譬えば管を以て天を窺い、錐を以て地を利するが若し。窺う所は甚だ大にして、見る所は甚だ少なし。子の方に鈞(ひと)しければ、豈に以て童子を変駭(へんがい)するに足らんや。」扁鵲曰わく、「然らず。物故(もと)より昧揥(まいてい)して蛟頭(こうとう)に中(あ)て、目を掩いて白黒を別つ者有り。太子の疾は所謂尸厥(しけつ)なる者なり。以て然らずと為さば、入りて之を診るに、太子の股陰当に温かなるべく、耳中焦焦(しょうしょう)として嘯(うそぶ)く者の声有るが然り、皆治すべきなり。」中庶子入りて趙王に報ず。趙王跣(はだし)にて門を趨(はし)り出でて曰わく、「先生遠く辱(かたじけな)くも寡人に幸臨せらる。先生幸いにして之を有せば、則ち糞土の息(そく)、天を蒙(こうむ)り地を履みて長く人と為るを得ん。先生之を有せざれば、則ち先(ま)ず犬馬とともに溝壑(こうがく)を填(う)めん。」言未だ已わらざるに、涕泣襟を沾(うるお)す。扁鵲遂に之を診す。先ず軒光の鱉(べつ)、八成の湯を造り、砥針・礪石にて三陽五輸を取る。子容薬を擣(つ)き、子明耳を吹き、陽儀神を反し、子越形を扶け、子游摩を矯む。太子遂に復生を得たり。天下之を聞き、皆曰わく、「扁鵲能く死人を生かす」と。鵲辞して曰わく、「予死人を生かす能わざるなり。特(た)だ夫の当(まさ)に生くべき者をして活かしむるのみ。夫れ死する者は猶お薬すべからずして生かすべからざるなり。悲しいかな、乱君の治、薬すべからずして息(や)まざるや。詩に曰わく、『多く熇熇(こうこう)を将(な)せば、救薬すべからず』と。甚だしきの辞なり。」
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史記 扁鵲倉公列伝扁鵲は、勃海郡の鄭の人なり。姓は秦氏、名は越人。少き時人の舎長と為る。舎客長桑君過ぐ。扁鵲独り之を奇とし、常に謹みて之を遇す。長桑君も亦扁鵲の常人に非ざるを知る。出入すること十余年、乃ち扁鵲を呼びて私坐し、間に与に語りて曰く、「我に禁方有り。年老いたり。伝へて公に与へんと欲す。公泄らす毋れ」と。扁鵲曰く、「敬みて諾す」と。乃ち其の懐中の薬を出して扁鵲に予へ、「是を飲むに上池の水を以てせよ。三十日にして当に物を知るべし」と。乃ち悉く其の禁方の書を取りて尽く扁鵲に与ふ。忽然として見えず。殆ど人に非ざるなり。扁鵲其の言を以て薬を飲むこと三十日、垣の一方の人を視見す。此を以て病を視るに、尽く五蔵の癥結を見る。特に脈を診るを以て名と為すのみ。医を為すに或いは斉に在り、或いは趙に在り。趙に在る者は扁鵲と名づく。晋の昭公の時に当たり、諸大夫彊くして公族弱く、趙簡子大夫と為りて、国事を専らにす。簡子疾み、五日人を知らず。大夫皆懼る。是に於て扁鵲を召す。扁鵲入りて病を視、出づ。董安于扁鵲に問ふ。扁鵲曰く、「血脈治まれり。而るを何ぞ怪しまん。昔秦の穆公嘗て此の如く、七日にして寤む。寤むるの日、公孫支と子輿とに告げて曰く、『我帝の所に之きて甚だ楽しむ。吾の久しき所以は、適々学ぶ所有ればなり。帝我に告ぐ、「晋国且に大いに乱れんとし、五世安からず。其の後将に覇たらんとするも、未だ老いずして死す。覇者の子且に而の国をして男女別無からしめんとす」と』と。公孫支書して之を蔵す。秦策是に於て出づ。夫の献公の乱、文公の覇、而して襄公秦の師を殽に敗りて帰りて淫を縦にするは、此れ子の聞く所なり。今主君の病は之と同じ。三日を出でずして必ず間えん。間ゆれば必ず言有らん」と。居ること二日半、簡子寤め、諸大夫に語りて曰く、「我帝の所に之きて甚だ楽しむ。百神と鈞天に游び、広楽九奏萬舞あり。三代の楽に類せず、其の声心を動かす。
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史記 扁鵲倉公列伝其の人自ら静かにするを喜み、躁がず、又久しく安坐し、几に伏して寐ぬ。故に血下り泄る。斉王の侍医遂病み、自ら五石を練りて之を服す。臣意往きて之に過ぐ。遂意に謂ひて曰く、「不肖病有り。幸ひに遂を診せよ」と。臣意即ち之を診し、告げて曰く、「公の病は中熱なり。論に曰く、『中熱して溲せざる者は、五石を服すべからず』と。石の薬為るや精悍なり。公之を服して数々溲するを得ず。亟かに服する勿れ。色将に臃を発せんとす」と。遂曰く、「扁鵲曰く、『陰石は以て陰病を治し、陽石は以て陽病を治す』と。夫れ薬石なる者は陰陽水火の斉有り。故に中熱すれば、即ち陰石柔斉を為りて之を治し、中寒すれば、即ち陽石剛斉を為りて之を治す」と。臣意曰く、「公の論ずる所遠し。扁鵲是の若く言ふと雖も、然れども必ず審らかに診し、度量を起こし、規矩を立て、権衡を称り、色脈表裏有余不足順逆の法を合はせ、其の人の動静と息との相応ずるを参じて、乃ち以て論ずべし。論に曰く、『陽疾内に処り、陰形外に応ずる者は、悍薬及び鑱石を加へず』と。夫れ悍薬中に入れば、則ち邪気辟きて、宛気愈々深し。診法に曰く、『二陰外に応じ、一陽内に接する者は、剛薬を以てすべからず』と。剛薬入れば則ち陽を動かし、陰病益々衰へ、陽病益々箸はれ、邪気流行し、重く俞に困しむと為り、忿発して疽と為る」と。意之に告げて後百余日、果たして疽と為りて乳の上に発し、缺盆に入りて、死す。此れ論の大体を謂ふなり。必ず経紀有り。拙工一として習はざる有れば、文理陰陽失す。斉王故陽虚侯為りし時、病甚だし。衆医皆以て蹷と為す。臣意脈を診し、以て痹と為す。根は右脇の下に在り、大いさ覆杯の如し。人をして喘ぎ、逆気して食ふ能はざらしむ。臣意即ち火斉の粥を以て且つ飲ましむ。六日にして気下る。即ち更に丸薬を服せしむ。出入六日にして、病已ゆ。病は之を内に得たり。之を診する時其の経解を識る能はざるも、大いに其の病の在る所を識る。
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史記 扁鵲倉公列伝出於の病を知る所以の者は、其の脈を切するに大にして実、其の来ること難し。是れ蹶陰の動なり。脈来ること難き者は、疝気の膀胱に客たるなり。腹の腫るる所以の者は、蹶陰の絡の小肮に結ぶを言ふなり。蹶陰に過有れば則ち脈結びて動き、動けば則ち腹腫る。臣意即ち其の足の蹶陰の脈に灸すること、左右各々一所、即ち遺溺せずして溲清み、小肮の痛止む。即ち更に火斉湯を為りて以て之に飲ましむ。三日にして疝気散じ、即ち愈ゆ。故の済北王の阿母自ら足熱して懣ゆと言ふ。臣意告げて曰く、「熱蹶なり」と。則ち其の足心を刺すこと各々三所、之を案じて血を出だすこと無く、病旋ち已ゆ。病は之を酒を飲みて大いに酔ふに得たり。済北王臣意を召して諸々の女子侍者の脈を診せしむ。女子豎に至る。豎は病無し。臣意永巷の長に告げて曰く、「豎は脾を傷る。労すべからず。法として当に春に血を嘔きて死すべし」と。臣意王に言ひて曰く、「才人の女子豎は何をか能くする」と。王曰く、「是れ好んで方を為し、伎能多く、為す所は是れ法を案じて新たなり。往年之を民の所に市ひ、四百七十万、曹偶四人なり」と。王曰く、「病有ること毋きを得んや」と。臣意対へて曰く、「豎の病重く、死法の中に在り」と。王召して之を視るに、其の顔色変ぜず。以て然らずと為し、諸侯の所に売らず。春に至り、豎剣を奉じて王に従ひて廁に之く。王去るも、豎後る。王人をして之を召さしむるに、即ち廁に仆れ、血を嘔きて死す。病は之を流汗に得たり。流汗なる者は、法として病内に重く、毛髪にして色沢あり、脈衰へず。此れ亦内関の病なり。斉の中大夫齲歯を病む。臣意其の左の大陽明の脈に灸し、即ち苦参湯を為りて、日に三升を嗽がしむ。出入五六日にして、病已ゆ。之を風に得、及び臥して口を開き、食ひて嗽がざるに得たり。菑川王の美人子を懐きて乳せず。来りて臣意を召す。臣意往きて、飲ましむるに莨碭の薬一撮を以てし、酒を以て之を飲ましむ。旋ち乳す。臣意復た其の脈を診するに、脈躁なり。
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史記 扁鵲倉公列伝之を別つ所以の者は、臣意の受くる所の師の方適々成りて、師死す。故を以て診する所を表籍し、期もて死生を決し、失ふ所得る所の者を観て脈法に合はす。故を以て今に至るまで之を知る」と。臣意に問ひて曰く、「期する所の病、死生を決して、或いは期に応ぜざるは、何の故ぞ」と。対へて曰く、「此れ皆飲食喜怒節あらず、或いは当に薬を飲むべからざるに、或いは当に鍼灸すべからざるに、故を以て期に中らずして死するなり」と。臣意に問ふ、「意の方能く病の死生を知り、薬の用ふる所の宜しきを論ず。諸侯王大臣嘗て意に問ふ者有りや不や。文王の病む時に及びて、意に診治を求めざりしは、何の故ぞ」と。対へて曰く、「趙王・膠西王・済南王・呉王皆人をして来りて臣意を召さしむるも、臣意敢へて往かず。文王の病む時、臣意家貧しく、人の為に病を治せんと欲するも、誠に吏以て臣意を除拘せんことを恐る。故に名数を移し、左右して家生を修めず、出でて国中を行游し、善く方数を為す者を問ひて之に事ふること久し。事ふる数師に見え、悉く其の要事を受け、其の方書の意を尽くし、及び之を解論す。身は陽虚侯の国に居り、因りて侯に事ふ。侯入朝し、臣意之に従ひて長安に之く。故を以て安陵の項処等の病を診するを得たるなり」と。臣意に問ふ、「文王の病を得て起たざる所以の状を知るか」と。臣意対へて曰く、「文王の病を見ず。然れども竊かに文王喘を病み、頭痛み、目明らかならずと聞く。臣意心に之を論じ、以て病に非ずと為す。以為へらく、肥えて精を蓄へ、身体揺るぐを得ず、骨肉相任へず、故に喘す。当に医治すべからずと。脈法に曰く、『年二十にして脈気当に趨るべく、年三十にして当に疾歩すべく、年四十にして当に安坐すべく、年五十にして当に安臥すべく、年六十已上にして気当に大いに董むべし』と。文王年未だ二十に満たず、方に脈気の趨るべきに之を徐にす。天道四時に応ぜず。後に医之に灸して即ち篤しと聞く。此れ病を論ずるの過なり。
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