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福沢諭吉小品集 / 学問の独立・第18段

人間社会の事は千緒万端にして、ただ政治のみをもって組織すべきものに非ず。人の働もまた、千緒万端に分別してこれに応ぜざるべからず。すなわち人事の分業分任なり。すでにこれを分てこれに任ずるときは、おのおの長ずるところあるべきは自然の理にして、農商の事に長ずるものあり、工芸技術に長ずるものあり、あるいは学問に長じ、あるいは政治に長ずる等、相互に争うべからざるものあるがゆえに、この事に長ずるものは、この事の長者としてこれを貴び、その業に長ずる者は、その業の長者としてこれに最上の栄誉をあたうるもまた、自然の理において許すべきものなり。たとえば大関が相撲最上の長者なれば、九段は碁将棋最上の長者にして、その長者たるや、一等官が政事の長者たるに異ならざるなり。 されば、生れながらにして学に志し、畢生の精神を自身の研究と他人の教導とに用いて、その一方に長ずる者は、学問社会の長者にして、これまた一等官が政事の長者たるに異ならざるや、もとより明白なり。而してその相撲の大関または碁将棋の九段なる者が、太政大臣と同一様の栄誉を得ざるは何ぞや。相撲と碁将棋とは、その事柄において、これを政事に比して軽重の別あるがゆえに、その軽重の差にしたがいて、双方の長と長と比肩するを得ざるものなりといえども、今一国文明の進歩を目的に定めて、政事と学事と相互に比較したらば、いずれを重しとし、いずれを軽しとするは、判断においてはなはだ難き事ならん。 学者をして学問の貴きを説かしめたらば、政事の如きは小児の戯にして論ずるに足らざるものなりといい、政事家もまた学問を蔑視して、実用に足らざる老朽の空論なりとすることならんといえども、これはいわゆる双方の偏頗論にして、公平にいえば、政事も学問もともに人事の至要にして、双方ともに一日も空しゅうすべからず。政事は実際の衝にあたって大切なり。学問は永遠の大計を期して大切なり。政事は目下の安寧を保護して学者の業を安からしめ、学問は人を教育して政事家をも陶冶し出だす。双方ともに毫も軽重あることなしとの裁判にて、双方に不平なかるべし。

書き下し

人間社会の事は千緒万端にして、ただ政治のみをもって組織すべきものに非ず。人の働もまた、千緒万端に分別してこれに応ぜざるべからず。すなわち人事の分業分任なり。すでにこれを分てこれに任ずるときは、おのおの長ずるところあるべきは自然の理にして、農商の事に長ずるものあり、工芸技術に長ずるものあり、あるいは学問に長じ、あるいは政治に長ずる等、相互に争うべからざるものあるがゆえに、この事に長ずるものは、この事の長者としてこれを貴び、その業に長ずる者は、その業の長者としてこれに最上の栄誉をあたうるもまた、自然の理において許すべきものなり。たとえば大関が相撲最上の長者なれば、九段は碁将棋最上の長者にして、その長者たるや、一等官が政事の長者たるに異ならざるなり。 されば、生れながらにして学に志し、畢生の精神を自身の研究と他人の教導とに用いて、その一方に長ずる者は、学問社会の長者にして、これまた一等官が政事の長者たるに異ならざるや、もとより明白なり。而してその相撲の大関または碁将棋の九段なる者が、太政大臣と同一様の栄誉を得ざるは何ぞや。相撲と碁将棋とは、その事柄において、これを政事に比して軽重の別あるがゆえに、その軽重の差にしたがいて、双方の長と長と比肩するを得ざるものなりといえども、今一国文明の進歩を目的に定めて、政事と学事と相互に比較したらば、いずれを重しとし、いずれを軽しとするは、判断においてはなはだ難き事ならん。 学者をして学問の貴きを説かしめたらば、政事の如きは小児の戯にして論ずるに足らざるものなりといい、政事家もまた学問を蔑視して、実用に足らざる老朽の空論なりとすることならんといえども、これはいわゆる双方の偏頗論にして、公平にいえば、政事も学問もともに人事の至要にして、双方ともに一日も空しゅうすべからず。政事は実際の衝にあたって大切なり。学問は永遠の大計を期して大切なり。政事は目下の安寧を保護して学者の業を安からしめ、学問は人を教育して政事家をも陶冶し出だす。双方ともに毫も軽重あることなしとの裁判にて、双方に不平なかるべし。

現代語訳

人間社会の事柄は多岐にわたっており、政治だけで組み立てられるものではありません。人の働きもまた多岐に分けて、それぞれに応じなければなりません。すなわち仕事の分業分担です。すでに分けて任せる以上、それぞれに得意なものがあるのは自然の理で、農業や商業に長じる者、工芸や技術に長じる者、あるいは学問に長じ、あるいは政治に長じる者など、互いに争うべきでないものがあります。そのため、その事に長じた者はその道の第一人者として尊び、その業に長じた者にはその業の第一人者として最上の栄誉を与えることも、自然の理からして許されることです。たとえば大関が相撲の最高の第一人者であるなら、九段は碁・将棋の最高の第一人者であり、その第一人者であることは、一等官が政治の第一人者であることと変わりません。 そうであれば、生まれながらに学問に志し、生涯の精神を自分の研究と他人の教導に注いで、その一方に長じた者は学問社会の第一人者であり、これも一等官が政治の第一人者であるのと変わらないことは、もとより明白です。それなのに、相撲の大関や碁・将棋の九段が太政大臣と同じ栄誉を得ないのはなぜでしょうか。相撲や碁・将棋は、事柄として政治に比べて軽重の差があるので、その差に従って、双方の第一人者どうしが肩を並べることはできないのです。しかし、いま一国の文明の進歩を目的と定めて政治と学問を比べたなら、どちらを重くどちらを軽いとするかは、判断がきわめて難しいでしょう。 学者に学問の尊さを説かせれば、政治などは子どもの遊びで論じるに足らないと言い、政治家もまた学問を軽んじて、実用に足りない古くさい空論だとするでしょう。しかしこれは双方の偏った議論で、公平に言えば、政治も学問もともに人間の営みにとって肝要であり、どちらも一日も欠かすことはできません。政治は目の前の実務にあたる点で大切であり、学問は永遠の大計をめざす点で大切です。政治は目下の安寧を守って学者の仕事を安らかにし、学問は人を教育して政治家をも育てあげます。双方に少しも軽重はないという裁定にすれば、どちらにも不平はないはずです。

解説

福沢は政治家と学者を同格の長者として並べ、学問と政治に軽重はないと論じます。『学問の独立』は、官を尊ぶ風潮のなかで、学問を官から切り離し、社会の独立した柱として位置づけようとした論説です。相撲の大関や碁の九段を例に引く素朴な比喩は、専門の優劣ではなく役割の違いを言いたいのだと示しています。現代の組織でも、経営や管理の仕事と専門職の仕事を上下で見てしまうことがあります。どちらが偉いかではなく、何を担っているかで見直す手がかりになります。

この章句が説くこと

分業長者学問と政治軽重栄誉

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